日本の声楽界を牽引してきた、バリトン歌手で音楽評論家の畑中良輔氏が5月24日、三鷹市の病院で間質性肺炎のため亡くなった。享年90。畑中氏は福岡県出身。東京音楽学校(現東京芸術大学)を1943年に卒業してから、ドイツ歌曲やオペラの分野で活躍し、《魔笛》のパパゲーノ、《フィガロの結婚》のタイトル・ロールを日本初演で歌うなど、日本におけるモーツァルト受容史においてきわめて重要な存在だった。二期会の創立期のメンバーの一人であり、さらに93年から99年にかけては新国立劇場の芸術監督を務めるなど、わが国のオペラの発展に尽力した功績は大きなものがある。奏楽堂日本歌曲コンクールの運営にもかかわり、日本歌曲の普及に多大な貢献を果たした。2000年に文化功労者に選出され、06年には、日本芸術院賞、恩賜賞を受賞している。自伝「オペラ歌手誕生物語」(音楽之友社)、詩集「超える影に」(不識書院)など著作も多数あり、07年には日本エッセイスト・クラブ賞も受賞した。そのほか作曲家として歌曲やピアノ曲なども遺している。
7月7日(土)14時より、青山葬儀所において「お別れの会」が「青の会」の主催で行われる予定。