精鋭奏者が雑魚寝で合宿状態!?音楽漬けの5日間

田中千香士音楽祭2024
第24回 明治座クラシックコンサート 密着レポート 後編

写真・取材・文:編集部

白熱するリハーサル

 前編では、音楽祭の成り立ちから今回の公演の様子をレポートしたが、「芝居小屋はめずらしいけど、割とよくある地方の音楽祭では?」と思われた方もおられよう。しかし、特筆すべきはこの音楽祭を取り巻く環境なのだ。リハーサルは、出演者が加子母(かしも)に到着して夕食をとるとすぐに開始される。しかも初日から深夜まで。その後、最終公演を終えるまでの5日間、奏者たちは文字通り寝食をともにする。会場周辺にはホテルのような宿はなく、研修所のような施設の大部屋で雑魚寝。練習は本番と同じかしも明治座で行い、食事は小屋近くの集会所で、地元の方々が料理を準備してくれる。まさに「合宿状態」で、音楽漬けの日々を過ごすことになる。取材した日のリハーサル終了時間は、22:14。そして音楽家が大勢いるとなれば、酒盛りは深夜まで続く・・・。

写真左上に注目、時計の針は22:10を指している

奏者たちはこの環境をどう思っているのか?

戸原直(読響 コンサートマスター)
「めちゃめちゃ楽しいです。でも来週が心配かもしれません。今すごく音楽に集中していて疲れとか忘れているので(笑)」

村尾隆人(N響 第1ヴァイオリン)
「みんなが時間を気にせず、純粋に音楽のことだけを考えられるのは最高です」

荒木奏美(読響 首席オーボエ)
「(深夜のリハーサルを終え笑顔で)ここはたくさん練習ができて本当に嬉しいです♪」

衛藤理子(東京藝大 ヴィオラ)
「普段なら先生と呼ぶ人がいつも近くにいて、何を聞いても答えてくれる。音楽を学ぶのにこの上ない環境です!」

コメントをもらった4名は全員初参加。ほかのメンバーも口を揃えて「楽しい!」と笑顔が溢れている。シンプルに、音楽に集中できるということに大きな幸せを感じているようだ。

実行委員長で舞台演出も手がける秦雅文さん

 ではそんな環境を準備している運営側はどうなのだろう?この音楽祭の創設当時からスタッフとして関わり、実行委員長を10年以上務めている秦雅文さんに話を聞いた。
「僕は元々、加子母の出身ではないんですが、大学で美術を学び、この音楽祭の舞台美術として参加したのが始まりです。白井さんが音楽監督になったころに実行委員長という立場になりました。あるとき地元の人が合唱で出演するという企画が浮上しました。地元民からすると『楽しく歌えれば・・・』という雰囲気で。あるとき練習の成果を白井さんが視察にきました。すると舞台に立つレベルに至っていないという厳しい指摘が。残念ながらその企画は実現できなかったのですが、出演者の『本気度』がわかって個人的には嬉しくなりました。今年で24回、地元ではこのコンサートを知らない人はなく、完全に定着しています」

お待ちかねの昼食

 食事や宿舎と会場の送迎など、出演者周りのケアは、すべて地元の有志の方が行なっている。特に食事を準備しているご婦人たちは、出演者たちとまるで家族のように接していたのが印象的だった。

「加子母の人は“もてなす”のが大好きなんです。何年も参加している音楽家とは、個人的に連絡をとっている人もいるようで、本当に家族みたいです」

加子母の魅力とは・・・

 出演者サイドの世話役をしているN響 チェロ奏者の市(いち)は、18回目の参加となる中心メンバーのひとり。出演者は、初参加のプロ奏者、年若い学生奏者もいたりとさまざま。その全員が音楽に集中できるように細かく気を配っていて、実際、参加者からの信頼も厚い。
「特殊な環境なので、馴染んでもらえるかどうか声をかける人(音楽家)には少し気を遣います。でも多くの人は『また来たい』って言ってくれて。リピーターが増えていくのも加子母の特徴なんです」

 サイトウ・キネン・オーケストラのクラリネット奏者、中ヒデヒトも学生のころから加子母に来ている中心的存在。
「ここ(加子母)は本当に特別な場所です。地元の方が何から何までサポートしてくれるので、僕たちはまるで子どものころに返ったように、完全に音楽だけに集中できるんです。そして他の奏者たちと一緒に寝て、一緒に食事をしているうちに心が解放されていって。本来、音楽をするうえでとても大切なことですよね。みんながそういう気持ちになって生まれる音楽は、ここだけの特別なものなんです」

加子母の美しい自然

最後に、公演を終えた音楽監督の白井に話を聞いた。

「加子母に来て、仲間たちと音楽している時間もすごく好きだけれど、外に出てこの景色の中にいる時間も素晴らしいですよね。ふだん街の喧騒の中にいると、音楽をやっている時だけデトックスというか心が洗われるような気分になるけれど、ここは外にいても最高で。演奏している時の幸せな感覚が外に出てもそのまま続いていくような感じです。
 音楽的にも、優秀な奏者たちが興味を持って一緒に最高のものを目指して作っていく、ということが今回もできたと思います。どうなるかな・・・と思っていた作品でも、みんなが『うわー、すごいいい曲・・・』って思いながら弾いているのが伝わってきましたからね。僕はよく『自分のために音楽をやっている』と言ってしまうんですけれど(笑)、加子母の人たちと会えるのは嬉しいし、アンケートを読んでもみんなすごく喜んでくれていて。やっぱり自分が楽しんでやっていることが、人の幸せに貢献しているとわかると『やって良かったな』って毎回思いますね」

最後の公演を終えて 
左より:市寛也、白井圭、中ヒデヒト

 今回は密着取材。何を隠そう取材チームも音楽家たちと寝食をともにした。もちろん雑魚寝も。すると1日が過ぎたあたりからこの音楽祭の魅力の秘密が徐々にわかってきた。
 加子母の皆さんの温かいもてなしにより、奏者たちは完全に音楽に集中できる。そして全員がひとつ屋根のしたで生活し、さまざまな話をしながら濃密な時間が過ぎていく。大自然のなか、人と人とが触れ合うことで、生命感溢れる唯一無二の音楽が生まれるのだ。
 アクセスは決して良いとは言えない。でもだからこそ日常から離れ、タイムスリップしたような空間で、音楽家も観客も心を開き純粋に音楽に没入できる。そんな体験は、日本中探してもここでしかできないだろう。

かしも明治座
https://meijiza.jp