上原彩子(ピアノ)

次なる節目を見据え、いざ32曲の旅へ

©武藤 章

 第12回チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で第1位を獲得し世界から注目を集め、強い存在感を放ち続けるピアニストの上原彩子。2020年からの3年計画のリサイタルを成功させ、22年にデビュー20周年を迎えたが、早くも“30周年”に向け動き出している。24年から8年をかけてベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲に挑むという。

 「ピアノ曲を数多く作曲した人はたくさんいますが、ベートーヴェンほど個性的な“ソナタ”を、生涯かけて書き続けた作曲家はほとんどいません。以前はソナタのように緻密な構成の作品に対する苦手意識があったのですが、これまでの活動の中で少しずつ演奏し、それを払しょくすることができてきました。いま、ソナタを一つひとつ順を追って弾いていくことで、何か改めて見えてくるものがあるのではないかと考えたのです」

 ピアノ・ソナタに対する苦手意識を取り払えたのは、この作曲家の協奏曲を演奏してきたことが大きいという。

 「協奏曲はオーケストラ、そして指揮者から学ぶことがとてもたくさんあり、その中で楽曲との向き合い方がかなり変わってきました。ヴァイオリン・ソナタを弾いてきたことも大きかったですね。ピアノ・ソナタよりも自由に書かれているので理解がしやすかったですし、共演者によって様々な発見がありました。協奏曲では全曲中もっともシンフォニックなつくりの第5番『皇帝』をよく弾かせていただきましたが、エリアフ・インバルさんの指揮で演奏したとき、特に楽曲に近づけた感覚がありました。彼の作り上げてくれるフォームの中に入って演奏することで、ベートーヴェンの楽曲をどう奏でていくべきかを知ることができたのです。ソリストとして自分が完全に表に出ていったり、時にはオーケストラの中に入り込む…そのバランス感覚もかなりわかってきましたね」

 ベートーヴェンのピアノ・ソナタは交響曲作品にも通じる音使いが特徴的なことも、オーケストラとの共演を重ねてきた上原にとって演奏のイメージがしやすくなるポイントであったようだ。

 「彼のピアノ・ソナタには、様々な楽器が想定された音型や旋律が散りばめられているので、弦楽器や管楽器ならではの音色はもちろん、フレージングも意識することで自然と音楽を運んでいけるようになると思います」

 今回のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏のプロジェクトは一年に一回ずつ、成立年代順に作品を取り上げていく。

 「新しく取り組む曲も多いですし、じっくりと深めていきたいという想いがありました。また複数のエディションを検討しながら解釈を進めたいので、やはり時間が必要だなと。そして、これからの8年、ベートーヴェン以外の楽曲にも継続的に触れていきたいということもあって、このペースが一番いいと判断したのです。ベートーヴェンは人生で様々な戦いを経て多くの名曲を遺しました。今回、彼の生涯を追うように楽曲を順番に演奏していくことで、新たなものを見出すことができると思いますし、ソナタが終わった後に演奏する協奏曲でも今までの私とは違うものをお見せできるはずです。ぜひお客様も一緒にその旅を楽しんでいただきたいですね」
取材・文:長井進之介
(ぶらあぼ2024年1月号より)

上原彩子 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全曲演奏会 Vol.1
2024.3/9(土)14:00 東京文化会館(小)
問:ジャパン・アーツぴあ0570-00-1212 
https://www.japanarts.co.jp