INTERVIEW 平野一郎(作曲家)

眼に浮かぶ、澄みわたる夏の原風景

 心ある音楽家たちを魅了してやまない作品たちを、早く味わいたい。自由な地平、自在な空間を拓くヒューマンな調べが、すぐそこに。

 舘野泉、吉川真澄、イリーナ・メジューエワら、多くのトップアーティストと交歓、聴き手と創造の喜びを分かち合う作曲家平野一郎の、東京では初めてとなる「個展」〈作曲家 平野一郎の世界 2023〉(8月12日、銀座ヤマハホール)が近づいてきた。

 京都市立芸術大学と同大学院で学び、委嘱歴も受賞歴も枚挙にいとまがない平野一郎は、いわゆる現代音楽、コンテンポラリー・ミュージックの人である。今の音楽を書く人だ。

 でもこれらの言葉は時として作曲家、演奏家の本意から離れ、聴き手を分断しかねない。この領域を愛してやまないファナティックなファンがいる一方「ああ、そういうジャンルね」「現代音楽か」「聴かないなあ」「まあ好きな方は好きですよね」と距離を置く音楽好きも少なくない。

 もったいない。日頃「コンテンポラリーはどうも…」「新作ねえ」とおっしゃる方にこそ、平野一郎が紡ぐ、時空を超えた響きと調べに抱かれて欲しい──切にそう思う。自然の神秘や人々の多様な営みを映し出す、平野の静謐にして動的な楽の音を体感しない手はない。

 「西洋音楽に魅せられ、徹底的な書式訓練を経てその音楽を深く探究しました。学生の時からコンクールにも入選し、ドイツにも留学し、順風満帆のようだったけど、ある日突然何も書けなくなった。自分にとっての音楽の根っ子って何だろう。響きは、どこから来て、どこに向かっていくのだろうか。自分は何を書くべきだろうかという自問がどん底にまで届いたのです。歴史は好き、というより止むに止まれず凝視めてしまう。歴史というより考古、自然の神秘、大地の胎動、人の営みは尚更ですね。ヨーロッパだったらカトリック信仰以前、それこそ太陽とか原始信仰の時代、日本だったら仏教伝来以前にも深く関心を抱いています。
 僕は京都府北部の宮津市生まれですが、あえて丹後國宮津出身という書き方を選んでいます。豊かな自然があり、伝統文化にも恵まれていました。でもその土地特有の余りにディープな共同体生活の中で、次第に個の世界への沈潜を望むようになった。そんな多感な時期にシューベルトの世界に出会ってしまった(笑)。そうして自分の内なる世界に閉じこもる少年時代を過ごしたのかも知れません。
 天橋立をはじめ海、山を背景とした丹後地方の空気感、宮津の祭りやそのお囃子はどんなに避けようとしても理屈抜きに血が騒ぎ、いつもその響きにこっそり心躍らせていました。
 意気揚々と故郷を離れて大学に行き、西洋音楽の探求を深めれば深めるほど、クラシック音楽の背景に広がるヨーロッパの伝承世界、それも地域毎に異なるかけがえのない特質が聴こえるようになっていった。真似事では飽き足らない。本当の意味で借り物ではない私たちの音楽を作りたい、という熱望から、自分自身のルーツ探求を1996年から始めたんですよ。まあそんな訳で、私にとっての人間以外の音楽の師匠は、一に波、二に鳥、三に祭、と言ったりしています(笑)。」

 日本の風土や伝承、神話の世界とそれこそ呼応する平野一郎は、言葉でも魅せる人だ。この人の話をずっと聞いていたい、文章を読みたい、早く聴きたいがセットになっているとは、誉め言葉が抽象的で評論家的過ぎるだろうか。

 8月の「個展」は三部構成。平野の記念すべき作品1、21世紀の始まりと同時に創られた無伴奏ヴァイオリン曲「空野」(くうや)が開演の火蓋を切る。続いてピアノのための「二つの海景」、弦楽四重奏のための「ウラノマレビト」、2つのヴァイオリンのための「双子の鳥」(ふたごのとり)、ヴィオラとピアノで奏される「アマビヱ」、無伴奏チェロのための「獏の舟」(ばくのふね)、そして極めつけのフィナーレがピアノと弦楽四重奏のための「鱗宮」(いろこのみや)。

 虚心坦懐に、平野の響きと調べにいだかれるのもよし。ホールで配布される、創作のロマンをも感じさせる詳細な曲目解説に目を通すのもよし。

 「東京での初の個展。『そらのおと うみのいろ』と題しました。天から降り注ぐ音が雫になって海に落ち、波紋を広げ千変万化の色彩がわきたつ、そんなイメージです。
 そうですね。海水浴に行って、きらきらの海に飛び込んで、仰向けになって浮かぶ。全身に沁みわたる波の音、まぶしい太陽の光を感じていただければ、最高にうれしいです。
 波、海、鳥、そして祭りは、僕の創作にいつも寄り添っている言葉であり、概念です。今の世の中、ロゴス(論理)とパトス(情念)の二項対立で物事を測ることが多い。もちろんそのふたつを忘れてはいけませんが、とりわけ音楽にとって本当に大事なのはエトス(風調)でしょう。太古と未来を結ぶ摩訶不思議な縁(えにし)、愛、共感覚。幸せなことに、僕の響きと調べに交感してくださる最高の演奏家たちが集まってくださいました」

 調阿彌(ちょうあみ)こと平野一郎と信頼の楽師たちが繰り広げる真夏の「響宴」へ、さあ。

写真・取材・文:編集部

そらのおと うみのいろ
作曲家 平野一郎の世界 2023

2023.8/12(土)14:00 ヤマハホール


出演
成田達輝、ジドレ、對馬佳祐(以上ヴァイオリン)
安達真理(ヴィオラ)
山澤慧(チェロ)
佐藤卓史(ピアノ)

曲目
空野(2001)
二つの海景(2004/2007-2011)
ウラノマレビト(2003)
双子の鳥(2022)
アマビヱ (2020/2023)
獏の舟(2022)
鱗宮(2006)

問:東京コンサーツ03-3200-9755
http://confetti-web.com/TOKYO-CONCERTS