Aからの眺望 #7
月の満ち欠け、友愛の太陽
——別府アルゲリッチ音楽祭2022 東京公演を聴いて

文:青澤隆明

 才能とは穴のようなものだ。ほんとうの才能とは、どう思おうと、当人にとってはおそろしいものに違いない。その人が才能を使うのではなく、才能に使われるのである。遣わされたのは人のほうか。個人を超えたなにかとは、いつもその個人にぎりぎりの負荷を課すものなのだ。どうにかして折り合いをつけなくてはいけない。足りないと思う者はそれを埋めるなにかを、余っている者はその余剰を、かたちに変えることに必死になる。

 それは、宿痾のような囚われでもある。つかまったらさいご、そこを通り抜けようと命がけだが、そうかんたんには出られない。多くの場合、それは欠落の反照なのかもしれない。才能が欠落からのギフトなのか災禍なのかは、おそらく当人にもわからない。わからないままに生きていくのだ。

 マルタ・アルゲリッチのコンサートに行くたびに、私はよくそのことを思い出す。もちろん、聴いているあいだは余計な思いに構わず、そこで起きていることに夢中になっている。ときには、それは作品がどうあるべきかという類の思考を離れて、むしろ驚きをもって自然現象を眺めたり、その内に没入していっしょに泳いでいくような感覚にぐっと近い。

 どの曲をどのように弾こうと、アルゲリッチはアルゲリッチであり、しかもそれを演じているわけではない。演奏というより体現の感が強いので、解釈よりも同化の直観のほうに強く惹かれてしまうのである。古き佳き「演奏家の時代」への郷愁にも近いにおいも覚える。

(C)藤本史昭

 才能が穴ぼこである、ということは、たしか村上龍の『テニスボーイの憂鬱』のなかにくっきりと書かれていた。テニスプレイヤーにはテニスボールのかたちの穴があいているのだと。もしかしたらラケットだったかもしれない。生まれつきの穴を一生かかって埋めなければならないのだ、と天与の才能を説きつつ、小説は使命を描いていった。そう書く村上龍にはもちろん万年筆の穴があいていて、書けば書くほど広がることもわかっている。小説家の使命と責任を引き受けるだけの覚悟を、彼の才能は当初から自身に厳しく求めていたのである。

 だとしたら、天性のピアニストにはグランド・ピアノの穴があいていることになる。ひどく大きな空洞だ。と、かつて私が思ったのかどうかも、いまはわからない。なにせもう三十数年もむかしのこと。一気に読みきった分厚く熱い小説も、いますぐ手元では探せない始末だ。

 それでも、畏怖するほどの巨大な才能について思うとき、私はいつもブラックホールのような運命の穴を想像している。輝かしい才能など持ち合わせなくとも、穴という穴に脅えて生きているのが人間である。空虚との闘いは、持ち前の才能いかんに関わらず、個々人を不安に苛むものだろう。

 莫大な才能がなくてよかった、と安堵するのは、まさにそういう瞬間である。だからこそ私たちは、ときに凡庸な自我を超えた、極限的ななにかを垣間見る欲望にも逆らうことができない。さまざまな虚構や、実在する人物の超人的な営みが、それを助けてくれる。大作曲家たちの果敢な創作物はその最たるものだろう。

 マルタ・アルゲリッチの話だった。彼女はこの5月中旬から6月にかけて、東京、水戸、別府、大分、熱海、東京で、協奏曲や室内楽を中心に、次々と多様な演奏会を実らせていった。そして、長年の友人ギドン・クレーメルとのデュオの初日に、東京で81歳の誕生日を迎えた。ハッピー・バースデー。

 3年ぶりの来日、という言葉が、だいぶ待ち遠しく聞こえたのは、アルゲリッチが毎年一度ならず日本を訪れることが、ひとつの風物詩ともなってきたからだ。とくに別府アルゲリッチ音楽祭は、温泉地の顔もあいまって、自然の熱き湧出というイメージが重なってくる。

 以前は毎年のように訪れていたこの音楽祭を、私が聴くのはじつに5年ぶりのことだった。しかもプログラムは、アルゲリッチが長く愛奏してきたシューマンである。来日して4日後、今回の初舞台は5月16日、東京オペラシティで行われた「ピノキオ支援コンサート」。学生オーケストラを積極的に登用してきた本音楽祭は今回、東京音楽大学オーケストラ・アカデミーを、俊英チョン・ミンの端正な指揮に託した。コンサートマスターをウィリアム・チキートが務めて。プログラムは、通例のオーケストラ・コンサートのあいだに、ミッシャ・マイスキーとアルゲリッチのデュオをはさむ豪華な構成。幕開けにベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、メインにはブラームスの交響曲第1番が演奏された。

 万雷の拍手のなか登場したアルゲリッチがまず弾いたのは、シューマンのピアノ協奏曲である。だが、なにかがおかしい。本来はどれほど小さな音でも、会場のすみずみまでくっきりと伝えるのが、アルゲリッチのピアノの至芸であり、生命でもあるはず。それがなんらかの理由で、思ったように発色してこないもどかしさがある。どこか全体がくすんでみえる。

 アルゲリッチほどの天才でも、思うようにピアノが弾けないときはくるのだ、と認めてしまえば、聴き手も少なからぬ衝撃をまともに受けることになる。たまたまかもしれないし、衰えなどではなくて、疲れかもしれない。パンデミックもあって、ステージ嫌いの心理がいっそう億劫な域に入ったのかもしれない。もっとも、ときには舞台で調子が乗ってくるのに、時間がかかる人ではあるのだ。そう思って、コンチェルトのあいだ待ったけれど、ついに霧は晴れなかった。はっとする瞬間はいくつもあった。それは、たしかにアルゲリッチのシューマンではあるのだが、あのアルゲリッチのシューマンの強度ではない。好調のときの凄まじい冴えを思えば、なにかしら音楽に入りきれていない感じは、曲の最後まで拭えなかった。

(C)藤本史昭

 勝手を互いに知り尽くした盟友ミッシャ・マイスキーとのデュオ、シューマンの『幻想曲集』op.73で一転するかといえば、それがそうでもない。アルゲリッチのピアノはここでも、どことなく声が小さいように感じられた。小さい音だから弱いというのはふつうアルゲリッチにはないことなので、どことなく所在なげで、どうしても弱々しく聞こえてしまうのである。やはり心理的ななにかが大きいのか。マイスキーがこまやかに気づかい、あたたかく見守るように弾いているように感じた。どこかそっと庇うようにすら思えたが、それは2015年に別府で聴いたときに、アルゲリッチのほうが音量を控えつつ、ひたすらマイスキーに寄り添うようにみえた記憶とはちょうど逆である。そのときと同じく、ふたりの友愛のやさしさに思いを寄せたが、それは親密さという本質をおけば、作品世界の表現内容とはまたべつのことだ。

 もっとも、このふたりのデュオともなると、小さな声でひそやかに話すだけで、思っていることのすべてを伝えてしまう。なにを感じるかを逐一わかりあった魂の姉弟には、あえて大きな声で話す必要など、もはやないのかもしれない。とすれば、聴き手のほうが内々に耳を澄まして、その心境に近づいていくほかないのだろう。その意味で、融通無碍に、ときには親密に、ときには幽妙なほどに、かすかな気配の変化を感じとり、微妙な温度でも通じ合うこと自体が、彼女と彼の歳月のかけがえない実りを歌っている。

 ところが…、というか、やはり!というのか、アンコールになると、格段とリラックスして、伸びやかに自在で、しかも生命の輝きが大らかに戻ってくるのもまた、アルゲリッチ一流の道行きに他ならなかった。つまりはかのアルゲリッチともなると、心理的なことが、演奏のかなりの部分を左右し、決定づけるのだ。それに、曲がショパンであったことも大きかっただろう。

 初期作の「序奏と華麗なポロネーズ」が鳴り響いたとたん、ピアノの音がぐっと生彩を放ち、舞台がたちまち明るくなった。細かなことを言えば、それはショパンのピアニズムの輝きでもあるだろうし、殊に若書きで祖国の舞踊を溌剌と語る口調にも「ブリリアント」に表されている。しかし、これこそまさに、アルゲリッチの音楽に月でなく、太陽をみようと求む聴き手の気持ちにはぴったりくる。決して大げさでなく、生き返った、と思うほどの陽ざしだ。

 そして、もう一曲。こんどはショパン晩年のチェロ・ソナタからラルゴが、かぎりなく親密に歌われていった。この楽章は誰の心をも深く打つ音楽だろうが、それにしてもこれほどにやさしく、どこまでもぴったりと気持ちの通じ合った演奏を、私は聴いたことがないかもしれない。シューマンの逡巡の果てに響いたということをいっさい置いたとしても、このデュオはまっすぐに胸に滲み渡ってくる、切々と静かな歌だった。長い長い友愛の歳月の実りが、あたかも双子の影のように寄り添うふたりの孤独を、すみずみまでそっと照らしていた。

(C)藤本史昭

【Profile】
青澤隆明 あおさわ・たかあきら

音楽評論家。1970年東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる—清水和音の思想』(音楽之友社)。