テレサ・ベルガンサを悼む

Teresa Berganza 1933-2022

文:岸純信(オペラ研究家)

 世界中の声楽指導者から「歌声の理想形」と称賛され、来日も多く、東京でのリサイタルには著名な歌手が全員来たとも噂されたテレサ・ベルガンサ。明るく柔らかく、艶があるのにさらっと響く声音で客席を惹き付けた大メゾソプラノである。

 モーツァルトやロッシーニの名作で世界5大歌劇場を制覇した彼女は、《フィガロの結婚》のケルビーノのようなズボン役でも、《セビリャの理髪師》のロジーナといった娘役でも「才気煥発」「でも、程よく控え目」という姿勢を貫き、後にはドラマティックなオペラにも進出。ビゼー《カルメン》での蠱惑的な歌声はCDやDVDでも愛された。

 高音域に強いメゾとして、ベルガンサはソプラノの曲もたびたび披露。ミラノ・スカラ座から「《椿姫》に主演しませんか?」という驚きのオファーも受けたそうだが、録音ではペルゴレージの《奥様女中》の小間使いセルピーナのアリアなど、それは爽やかで初々しい。NHK-FMも彼女のライヴをたびたび放送。1984年ウィーンのコンサートは、カセットテープに録って長年聴いてきた。中では、ハイドンやヘンデルの典雅さもさることながら、トマの《ミニヨン》の名アリア〈君よ知るや南の国〉の、叙唱部における温和な響きが忘れ難い。孤独な少女の胸の内が、しんみりとした語り口から滲み出て、静かに心奪われた。

 地味なパッセージにも輝きを与えつつ、抑制の美学で全体を纏め上げるベルガンサ。その芸術性は、母国スペインの情熱の気風と、出身地の古都マドリードの品格が融合して生まれたものだろう。ギターのイエペスと組んだアルバムなど歌曲の名演も多いが、オペラでは上述のソースのほか、ソプラノのフレーニのために友情出演した《蝶々夫人》全曲盤が外せない。ベルガンサのスズキ役の優しさは、プッチーニの音の価値を倍にも増し、聴く人の心を深く揺さぶるものなのだ。

 最後に一つ、彼女の「篤い歌心」にひときわ心動かされた芸術家の名を挙げておこう。それは、かのマリア・カラス。「1958年ダラスの《メデア》で共演しました。侍女役の私が老けメイクをしたら、カラスさんが演出家に『若くしてあげて。たまには若い侍女も良いじゃない?』とおっしゃり、自然な感じで出演できました。本番でも私のアリアに拍手が続いたとき、『さあ、振り返って、お客様に答礼するのよ!』と囁かれて…歌手人生でただ一人、『本物の同僚』として接して下さった方でした」。

 あの歌姫をここまで揺さぶったベルガンサ。この思い出を彼女は生涯胸に温め、マスタークラスの場でも時には口にして、後輩たちを励ましたという。2022年5月13日に89歳で逝去。心から冥福を祈りたい。

2011年、ドミンゴの70歳の誕生日に行われたガラコンサート(テアトロ・レアル)で、「ハッピ・バースデイ」を歌う