吉田文(作曲) from ハーグ(オランダ)
海の向こうの音楽家 vol.12

ぶらあぼONLINE新コーナー:海の向こうの音楽家
テレビなどで海外オケのコンサートを見ていると「あれ、このひと日本人かな?」と思うことがよくありますよね。国内ではあまり名前を知られていなくとも、海外を拠点に活動する音楽家はたくさんいます。勝手が違う異国の地で、生活に不自由を感じることもたくさんあるはず。でもすベては芸術のため。このコーナーでは、そんな海外で暮らし、活動に打ち込む芸術家のリアルをご紹介していきます。
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 連載第12回に登場してくれるのは、オランダ在住の作曲家、吉田文(よしだ・あや)さん(前回に続き、またまたハーグから!)。2017年には日本・デンマーク外交関係樹立150周年を記念したオペラを発表するなど、ヨーロッパを中心に国際的に活躍しています。2019年には、アメリカのシンシナティ大学が主催するツェムリンスキー作曲コンクール Zemlinsky Composition Competition で見事第1位に入賞。その際の受賞作品であるバレエ音楽が、昨年12月にシンシナティで発表されましたが、作品はノルウェーのベルゲンにレジデント・アーティストとして滞在しているときに制作したそうです。作曲家の“思考”が垣間見える興味深いレポートです。

文・写真提供:吉田文

 2014年にデンマーク、コペンハーゲンに移住し、その後2019年よりオランダ、ハーグを拠点に移しました。オランダでは基本的に制作を中心に行い、その作品を国内外のコンサートで発表したり、また様々な国や都市でのアーティスト・イン・レジデンシーに参加したりしながら制作活動を行なっています。

 2019年ツェムリンスキー賞を受賞し、そこから早2年。ようやく受賞記念作である自身初のバレエ作品 “Let Me Take You There”(ダンス作品自体のタイトルは“Falling Upwards” 上に落ちる)を2021年12月アメリカ、オハイオ州シンシナティにて発表しました。

Falling Upwardsのステージより © DALEPICKETT PHOTOGRAPHY
© DALEPICKETT PHOTOGRAPHY

 私はこの作品を書き始めた2020年の初め、ノルウェーのベルゲン市にてアーティスト・レジデンシー(各種の芸術制作を行う人物を一定期間ある土地に招聘し、その土地に滞在しながらの作品制作を行わせる事業のこと)を行っていました。滞在予定は、2月の半ばから4月まで。海辺の制作スタジオでノルウェーの広大なフィヨルドを眺めながら1ヶ月半滞在、制作活動を行うというもので、まさにパノラマオーシャンビューの美しすぎるスタジオでの制作は夢のようでした。部屋も広く、オーケストラ作品を書くには最高のロケーションでした。スタジオの所在する建物は様々なアーティストが制作を行う集合制作スタジオのような建物で、ガラス職人さんがいらしたり、画家さんがいらしたり。ベルゲン市やその近郊に住むアーティストもいましたが、私と同様国外から来ているアーティストもいました。

毎晩のようにスタジオから見える美しすぎる夕日
フィヨルド(ローゼンダールに向かう道中)

 制作を初めて1、2週間経ったころでしょうか。世界が不穏な空気に包まれ始め、その影響はもちろんベルゲン市にも来ていました。コンサートやイベントが中止され始め、マスクやアルコール消毒液が販売され始めるなど、平穏なベルゲンの街にもただならぬ空気が漂っていました。空港が閉鎖になり、国境が閉鎖されるというまさかと思うような映画のような噂話もあっという間に現実になり、制作活動をしていた国外から来ていたアーティストたちは一刻も早く国を出ようと準備を始めていました。そんな時でも私はどこか楽観的で、私のアーティスト・レジデンシーが終わる4月になればまた国境が開くのだろうと制作を続けていました。この頃からアーティスト・イン・レジデンシーでお世話をしてくれていた職員の方も、他の現地のアーティストもいわゆる「ステイホーム」を余儀なくされ、そのスタジオの建物で制作を続けるアーティストは私を含めて数人に。互いの身を守るため極力接触を避けました。この頃から本当に孤独の時間が始まったように思います。4月に出国予定だったのですが、当然フライトはキャンセルされました。季節は移り、寒い寒いベルゲンの地にももう春が来るかというのに、そこにはまだ分厚い冬服で制作を続けている私がいました。フライトは予約しても予約しても、航空会社の都合でキャンセルされ続け、結局私がベルゲンからオランダの自宅に戻れたのは、当初の予定を2ヶ月過ぎた6月初旬でした。

ときに海を見ながら外でブレインストーミング

 もちろんベルゲンには友人も知り合いもいません。いたとしても、当時はステイホームが命じられている以上、外で人と会うことは大変困難だったと思います。私が寝泊りしていたのは、スタジオから目と鼻の先にある小さな小屋。いわゆる漁師小屋のような文字通り海の目の前の小さな小屋でした。インターネットもなく、小さな簡易キッチンとベッドが横並びになったような部屋では本を読んだり食事をしたりぼーっと海を眺めたりするしかありませんでした。そんな私の一日の楽しみは、その小屋のそばに停留しているボートハウスに住むおじさんとお話をすること。自宅にいつ帰れるのか分からない孤独で不安な私を慰めるように、航海の話をたくさんしてくれました。おじさんの飼っている犬は、そんな航海の旅路、キプロスから連れて帰ってきたそう。

ボートに住む犬
宿泊先の小屋にて

 このバレエ音楽“Let Me Take You There”は、見知らぬベルゲンの土地で自分自身に向き合えたからこそ、孤独ととことん向き合えたからこそ書くことのできた作品だと感じています。ノルウェーの孤立した場所から、その奇妙な世界を見たとき、私の中に一つの疑問が生まれました。私たちは何をコントロールし、何にコントロールされているのだろうか。もしかしたら、私たちがコントロールするもの(少なくとも、私たちがコントロールしていると思っているもの、あるいは、コントロールしたいと思っているもの)に、私たちは既にコントロールされているかもしれません。自分の身体、言葉、思考、感情さえも。ただ、こう考えてみではどうでしょう。例えば、波の進む方向を変えることはできませんが、自分が一度海の中に入ってしまえば、少なくとも自分の身体の周りだけはその波向を変化させることができるし、時には波に飲まれながらでも反対側へ辿りつくことはできます。また、波に翻弄されながら漂う、つまり、流れに身を任せるというのはどうでしょう。何かに逆らうことなく抗うことなく、ただ凪のように。孤独と向き合いながら、毎日少しずつ違った海の様子を見ながらそんなことを考えていました。そして、初めてのダンス作品を描くにあたって、ダンサーたちが「コントロールしたくてもできないもの」について考え始めました。

 音楽は「ムーブメント(動き、動作)」の集合体だと私は思っています。ここ10年弱私はそんなムーブメントに大変興味を持ちながら制作活動をしてきました。音自体の動き、音像の動きもそうですが、ときに音楽家が生み出す身体的な動きにも興味を持っていました。  ダンサーは身体的な動きで芸術を表現しますが、その動作はほぼ彼らによってコントロールされています。なぜ「ほぼ」と言ったかというと、私はダンサーがコントロールできない動きに特に興味がありました。例えば、激しい振りやパフォーマンスの後、彼らは身体や肩を使って呼吸をしなければなりません。いくらバレエ作品の美しい役を担っていても、人間である限りそれを止めることはできないのです。もしくは、重力に逆らうことはできないので、どうしてもステップの音を止めることはできませんし、いくら空中に長くいたいと望んでも重力に逆らうようなジャンプの動作はできないのです。そんなダンサーたちの「コントロールしたくてもできない動き(今回はそれを有機的身体動作と呼びました)」にインスピレーションを受け作品を書きました。

オーケストラ作品はひとまず手書き
トロルドハウゲンにあるグリーグの作曲小屋

 また、今回の作品ではオーケストラとダンスの新たな「親密性」を模索しました。多くのバレエ作品は音楽が独立したコンサート形式での上演を可能としますが、今回は「ダンスがないと成立しない音楽」というのを目指しました。音楽家の身体的動きがときにダンサーの振りにリンクしたり、またダンサーたちが生み出したステップの音や呼吸音を音楽として取り入れたり、ダンスがオーケストラの一部であり、オーケストラがダンスの一部を担う形です。コロナの状況下で音楽家もダンサーもすべてマスク着用のもと公演を行わなければならなかったこと、また適切な距離を保つためにオーケストラピットにすべての音楽家を入れられなかったこともあり、目指すものが100%表現できたわけではありませんが、それでも新たな親密性を模索する制作過程はとても興味深いものとなりました。

© DALEPICKETT PHOTOGRAPHY
© DALEPICKETT PHOTOGRAPHY

 “Let Me Take You There”ということばには様々な意味が内包されていますが、日本語に直すと「あなたを連れて」といったような意味を持っています。誰かと一緒にいることで思っていたよりずっと遠くまで行くことができたり、ときに気づかぬうちに、自分が誰かの手を引っ張っていたり。2020年に失ったもの、得たものを詰め込んだ作品になったように思います。  見えないものにコントロールされてきたような2年でしたが、変わらないものは確かに今もそこにあるなと思う日々です。また新しい作品の制作に精進したいと思います。

演出・監督・振付:Shauna Steele
作曲:吉田文(世界初演 “Let Me Take You There”)
指揮:Mark Gibson
演奏:CCM Philharmonia 
ダンス:CCM Dance Ensemble
衣裳:Shauna Steele
アシスタントコレオグラファー:Laykin Stoess, Mira Sidhu
メディア・照明デザイン:Ian J MacIntoshe
コンテントクリエイション:Jason Bowden, Ian J MacIntosh
サウンドデザイン:Emily Porter
アシスタントサウンドデザイン:Alex Brock
プロダクションステージマネジャー:Morgan Piper
Touchdesigner プログラマー:Syd Hunt
Touchdesigner オペレーター:Eli Suarez 
Content created in AE, Cinema, & TouchDesigner
Programmed with TouchDesigner
吉田文(作曲) Aya Yoshida

1992 年兵庫県神戸市生まれ、オランダ在住。6歳より作曲を始める。2014年桐朋学園大学音楽学部作曲科を卒業。これまでに、作曲を大里安子氏、正門憲也氏、法倉雅紀氏、Niels Rosing Schow、Jeppe Just Christensen に師事。また2014年より、デンマーク、コペンハーゲンに移住。2016年デンマーク音楽院作曲科修士課程を卒業。これまでに作品が日本をはじめ、世界各国でCurious Chamber Players、Arditti Quartet、デンマーク放送交響楽団をはじめ様々な演奏家やアンサンブルに演奏される。また、フィンランドで行われたTime of Musicやフランス、ロワイヨモン修道院での作曲講習会をはじめ各国のワークショップ、マスタークラスや音楽祭に選出され参加し、研鑽を積む。2017年11月デンマーク、コペンハーゲンにて自身初のオペラ“Skyggen「影」”をデンマーク・日本外交関係樹立150周年を記念して発表。パフォーマンスは在デンマーク日本大使館公認の外交樹立150 周年記念事業として認定を受け、日本とデンマーク両国の文化理解と今後のさらなる文化的交流発展を目指したアーティストコラボレーションとして多くのメディアの注目を集める。オペラはデンマーク・アート財団より「今年の音楽作品ベスト10」を受賞。2018年、オーストリア政府文化庁給費レジデンシーの滞在アーティストに選出され、ウィーンにて3ヶ月間の制作活動を行う。2019年ツェムリンスキー作曲コンクールにて1位受賞。2021年2-3月 オーストリアシュタイアーマルク州政府給費芸術レジデンシーに招聘されグラーツで2ヶ月の制作活動を行う。2020年よりコペンハーゲンにある文化施設、「チボリ公園」に所属する世界最古の少年少女音楽隊「チボリガード」の委嘱作曲家を務めている。
http://ayayoshidacomposer.com
Twitter @aycomposer
Instagram @ayayoshidacomposer

【Information】♪吉田さんの作品が世界初演されます!
東京・春・音楽祭 2022
ミュージアム・コンサート
成田達輝(ヴァイオリン) ~現代美術と音楽が出会うとき

2022.3/24(木)19:00 上野の森美術館 展示室
吉田文:ヴァイオリン・ソロのためのDrape(世界初演) ほか
https://www.tokyo-harusai.com/program_info/2022_tatsuki_narita/