interview & text:青澤隆明
photos:武藤 章
岸田繁が個人的なクラシック音楽の個人的な敬愛について語るロングインタビューの2回目。今回は、モーツァルト、武満徹、ドビュッシー、ラヴェルなど。
果たして、ドビュッシーの『モテ和音』とは…?
──『ホルベルク組曲』やビゼーの録音は、カラヤンの指揮でした?
「はい、最初に聴いたのはカラヤンでした。その後、だいぶ経ってからいろんな指揮者の演奏を聴いてびっくりしましたけど。いまはカラヤンのは、あんまり好きじゃない。ぼくが最初に買ったCDが『ペール・ギュント組曲』と『ホルベルク組曲』がカップリングになったやつと、あとベートーヴェンの第九。それもカラヤン指揮ベルリン・フィル。第九もいろんな人の演奏を聴いたんですけど、ぼくはやっぱり断トツでアーノンクール指揮ヨーロッパ室内管が好きです。ウィーンにいた当時、たぶん楽友協会のコンサートの後とかに売ってるCDを見に行ってたんですけど、そのときに買ったベートーヴェンとモーツァルトの38番と39番が最高で。
──アーノンクール指揮ウィーン・フィルの実演でも痺れたという交響曲第39番ですね。
痺れましたね。39、大好きです。モーツァルトこそ、シンフォニーが好きですね、いま。ベートーヴェンはピアノの曲とか四重奏がいま、すごく楽しめるようになったんですけど、モーツァルトはシンフォニーが好きです。
──かたちのしっかりしたなかに、オペラ的にいろいろな要素が入っているという意味で?
モーツァルトのシンフォニーは、ぼくの印象なんですけど、なんかやっぱり主題が弱い。モーツァルトは旋律作家だと思うんですけど、なんか複数の旋律でぼやかしてるというか。もちろん『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』みたいな強い旋律もあるんですけど、ラフマニノフとかと違って、旋律があってもほかの対旋律やいろんな伴奏のかたちが強烈だから全体が混じるというんですかね。ビートルズのときのポール・マッカートニーみたいな、もうぜんぶ必然的なポップさで。ピアノ・コンチェルトは美しいし、24番とか27番とか大好きなんですけど、やっぱり晩年のシンフォニーが、すごい完成度と彼自身の人間としての揺らぎみたいなものが感じられて、音楽としてすごく好き。
──場がつくれてますよね。
そうですね、場がつくれてますね。
──オペラ的というか、おしゃべりというか。人の気配がいろいろ混じって、全体の場の空気として動いているというか……。
だから、意外に、武満さんとか聴いていると、ぼくはモーツァルトとわりと同じような気持ちになることがあります。武満さんのとくに大所帯の曲を聴いていると、ベートーヴェン的じゃなくて、すごくモーツァルト的な多様性と、なんか筋の通ったポップさがあって。
ベートーヴェンは強烈な印象と強烈な作品性と、あとあの顔(笑)のイメージがどうしても強い。ヴィジュアルのイメージといっしょにやってくるアーティストというか。肖像画を観たことなくても、みんなベートーヴェンの音楽聴いたら、絶対あの顔を選ぶと思う。べートーヴェンはやっぱりベートーヴェンというイメージの強い作品をたくさん遺されたので。
モーツァルトは多重構造的な、楽曲自体もそうだし、たぶん交響曲のとくに最後の2作はごくごくパーソナルでシリアスなメッセージを入れられた感じがあると思うんです。なんか、うんこの曲とか「きらきら星変奏曲」とか、ふざけた作品とかこども向きと言われている作品においてしっくりくる彼の即興的な、なんと言うか、要は狂気の部分。人がなにか思いついてるときって怖いじゃないですか。たぶんベートーヴェンが曲を思いついてるときって近づけないと思うんですよ。でも、モーツァルトはもっとダイレクトで、奔放で、こどもっぽい。即興的な狂気を瞬時にバランスよく組み立てている天才的な感覚を感じます。
──あれ、場に降りてきちゃうんでしょうね。
そうです。絶対もう、立体的なものがすでに組み上がっていて。けっこう適当に書いたインプロヴィゼーションも多かったはずですよね。でも、そういうふうに誘えるようなもの、『メガネ、メガネ』って探してたら『そこついとるがな』みたいな、そういうわかりやすい地図が彼の音楽のなかにあったんじゃないかな。
──ずっとみえてますよね。一音思いついたとき、メロディを思いついたときに、アレンジを含めてぜんぶがみえる曲って、作曲していてもあるでしょう?
はい、そうそう。で、なんとなく武満さんもそういう感じがしてて。社会的なバイアスがかかっていないというか、音が鳴ってから終始するまで。そこでなんらかの形式や楽器を使うところでかかるけど、それもまあまあええ加減にええ感じで採り入れて、なんかうまく成り立っているような仕事のうまさというか。聴くのにストレスがかからない。それがいいときもあるし、ベートーヴェンみたいな負荷のかかる音楽がいいときもありますけれど。
──音楽のなかでは自由である。つまりは水木しげるに通じるような、創造する人の純粋さみたいなところが、いちばんつかみとしてあるということですね。
なんかやりたいことしかやってなくて、これになるっていうような、ほんとに社会的なバイアスがかかっていない感じ。メンデルスゾーンもそういう感じがするんですけど。
──ドビュッシーとかワーグナーは、逆側の極の感じということですね?
ドビュッシーはやっぱりぼく、官能的やと思います。セックスに特化してる音楽だと、ぼくはそう思っています。それは美しいものであるし、グロいもんでもあるし。長年古典音楽が積み重なって、ハイドンがつくった『オケはこう鳴らしてこういうリズムでこう弾くんです』というところから逃れられないなかで、だんだん形骸化していった和音構成とかにいろんな人たちが抗うわけじゃないですか。ワーグナー然り、スクリャービン然り、チャイコフスキー然り。でも、それをドビュッシーは軽く、なんていうか、『モテ和音』て言いますか……。
──『モテ和音』って(笑)、うまい言いかたですね。
モテ和音(笑)、それをドビュッシーは使って。なんとなく敬遠してたんですけど、最近ぼくはドビュッシーに興味があって。自分が作曲するときに、ピアノをちょっと弾いてみたり、主題に対してどうやって和声を書いてみようかにというときに、たまに『ラヴェルならどうするか、バッハならどうするか……』という遊びをすることがあるんですけれど、やっぱりドビュッシーがいちばんこう、モテそうな感じがする。これってなんやろうかなって思ったんだけど、すごく官能的な感じがするんですね。
セックスというと直接的ですけど、官能的な響きを衒いなく使っていて。モーツァルトのそれはもっと原初的な、こどもの感情とかもっといろんなものを内包していると思うんですけど、ドビュッシーはやはり生理、そういう性的な興味に特化してるというのかな。
だから、性に関する悩みってみんないろいろあると思うんですけど…恋人がほしいっていうところから、自分はふつうのジェンダーではないとか、それぞれいろんな悩みがあると思うんですけれど…そういう性愛というよりは性に特化した悩みみたいなものを、ふわっと溶かしてくれるみたいな。性に対する『こうあらなあかん』みたいなものを、すごく溶かすような音楽ですよね。とくにピアノの曲、『ベルガマスク組曲』とかは。
──でも、男性的な、意地の悪い感じというのもありますよね、ドビュッシーは。
ああ、そういうの、ありますね。弦楽の曲とか、ちょっとした曲で。でも、空間の使いかた、リズムや和音の使いかたもそうですけれど、東洋的な音階の厭らしい使いかた、ふわーっとした感じって、クラシック音楽の世界に女流作曲家の名前はとくに古典ではあまり見当たらないですけれど、彼の音楽はすごく女性たちを『わー、きゃー』じゃない虜にしたんやないかと思いましたね。で、ラヴェルはもっとマッド・サイエンティスト的なところがありますし。
──でも、なんか正装してる感じもあります。だらしなくないんですよね。
うん、だらしなくないですよね。かと思えば、ぼくはボレロがほんま好きで、弦楽四重奏曲も好きなんですけど、なんか他のフランスの作家さんよりも折り目が正しいものと正しくないものの差があるというか。アクセントの位置だったりとか、主題が始まって終わるまでのひとつの波みたいなものが、きっちりしているものと、もうちょっとプログレッシヴなものとの、その差が気になる。ラヴェルはぼく、まだまだ掘れてないんで、もっといっぱい聴いていこうと思ってるんですけど。
──仕上げの良さが異様に見事ですよね。
そうですよね。リヒャルト・シュトラウスもぼく、同じような意味で完璧な作曲家だと。とくに歌曲はいいですよね。じつは歌ものの作家なんかなと思います。
あ、リヒャルト・シュトラウスで思い出したんですけど、やっぱりヨハン・シュトラウス大好きです!
profile
岸田繁(Shigeru Kishida)
京都府生まれ。ロックバンドくるりのフロントマン。作詞作曲の多くを手掛け、多彩な音楽性で映画のサントラ制作、CMやアーティストへの楽曲提供も行う。2016年より京都精華大学にて教鞭を執り、2018年には特任准教授に就任。京都市交響楽団の依頼を受け完成させた初の交響曲「交響曲第一番」に続く「交響曲第二番」を発表した。最新作は、2019年4月発表の『リラックマとカオルさん オリジナル・サウンド・トラック(NETFLIXオリジナルシリーズ)』。
information
岸田繁 「交響曲第一番・第二番 連続演奏会」
2019.10/5(土)14:30 京都コンサートホール大ホール
出演:岸田繁、広上淳一、京都市交響楽団
https://shigerukishida.com/
広上淳一(指揮)
京都市交響楽団
VICC-60955
ビクターエンタテインメント ¥2500+税
広上淳一(指揮)
京都市交響楽団
VICC-60944
ビクターエンタテインメント ¥2500+税