結成から半世紀を迎えた「桐五重奏団」に聞く

7月に水戸と東京で50周年記念演奏会開催

 久保陽子(第1ヴァイオリン)、中村静香(第2ヴァイオリン)、店村眞積(ヴィオラ)、毛利伯郎(チェロ)、弘中孝(ピアノ)── 桐五重奏団が結成50周年を迎え、記念の演奏会を開く。結成以来のオリジナル・メンバーである久保、店村、弘中の三人に聞いた。

 桐五重奏団の結成をうながしたのは、桐朋学園出身の彼らの共通の師である齋藤秀雄(1902~1974)。1974年に民音が開催した日本初の室内楽コンクール出場のためだった。

前回の定期演奏会2018(東京文化会館小ホール)より ©Shumpei K.

弘中 齋藤先生から、「お前たち、このメンバーでやりなさい」と指名されて集まった五人なんです。つまり齋藤先生の意向で組んだグループなんですね。その時のメンバーは第2ヴァイオリンが永田邦子さん、チェロが藤原真理さんです。民音の室内楽コンクールで齋藤秀雄賞というのを出すから、そのコンクールにチャレンジしろということでした。僕が店村を見たのはその時が初めてですよ。

店村 たぶん僕の名前も知らなかったはずだよ。

弘中 セカンドの永田さんも知らなかった。推測ですが、齋藤先生がメインに考えていたのは、チェロの藤原真理さんだったと思っているんです。大事な若い弟子を鍛えようと、少し年上の僕らと五重奏を組ませた。そうじゃないかな?

店村 そうだと思う。彼女と永田邦子と。

弘中 でも二人は一年も経たないうちに留学やらコンクールやらで辞めてしまい、その後に恵藤久美子さん、安田謙一郎さんで、今の中村、毛利になってからもう30年は過ぎたね。 

 チャイコフスキー・コンクールやロン=ティボー・コンクールで上位入賞を果たした久保と、第1回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール第8位の弘中が夫婦でヨーロッパから帰国し、活動の拠点を日本に移した時期。すでに国際的なキャリアを築き始めていた彼ら二人と若手奏者三人という組み合わせだった。それが1974年5月のこと。しかし12月に行なわれたコンクールを待つことなく、同年9月18日、齋藤秀雄は72歳で他界する。

久保 7月と8月に、2回だけレッスンしていただいたかしら? すでにお身体が相当悪くて、ときどき横になりながら教えてくださったぐらいでした。

店村 僕は学生で、ちょうど4月から桐朋のオーケストラのインスペクターみたいなことをやっていたので、齋藤先生にお会いする機会がたくさんあったんですね。日ごとに先生の体調が悪くなっていくのがわかりました。そういう時期だったから、「桐」ももっとレッスンの予定を組んだはずだけど、実現しなかったんですね。

弘中 齋藤先生はピアニストにとってもひじょうに魅力的な先生でした。当時のピアノの先生方は、その曲をどうやって弾くかという、技術的なことに神経が行っていたと思うんですよ。それに対して齋藤先生は、外堀というか、たとえば作曲家がそれをどんな時期に何のために書いたのかという作品の背景も一緒に教えてくれたし、第1楽章から第4楽章まで全体を俯瞰したうえで、ここで声を荒げたら、こっちでは声をひそめるとか、そういう話術みたいなことも指導してくださいました。
 でも残念なことに、先生のお家ではそれで「ははあ!なるほどなあ」と思うんだけど、帰ってくるとすぐわからなくなっちゃうんですね(笑)。それを何回も重ねてだんだんわかってくる。齋藤先生はよくおっしゃっていました。弟子には100回でも同じことを言わなきゃダメだよ、と。それでやっと自然に相手に伝わるんだということを、ご自身が実践して知っていらしたのでしょうね。

弘中孝

久保 大事なことは、本当に繰り返しておっしゃってましたね。

店村 生徒に対して、すごく忍耐強い人でしたね。

弘中 僕が思うに、齋藤先生の先生だったエマヌエル・フォイアマン(*1)が、そういう人だったんじゃないかな。
[*編注1:Emanuel Feuermann チェロ/ 1902-1942]

 当時も今も、常設のピアノ五重奏団は世界的にもかなり稀だ。齋藤はなぜピアノ五重奏という編成を選んだのだろう。

弘中 そこですよね。その民音のコンクールで、私たちは齋藤秀雄賞をいただいたものの、順位は2位だったんですね。1位はやっぱり桐朋から出ていた弦楽四重奏(*2)。チェロが山崎伸子さんだったことは覚えています。
[*編注2:ベラ四重奏団=重本佳美、高木康子、河津偕子、山崎伸子。桐朋学園のサイトによれば彼女たちは、「桐朋」の名を冠した「桐朋弦楽四重奏団」の実質的な3代目だったとある。https://www.tohomusic.ac.jp/about/history_06.html

久保 バルトークの弦楽四重奏曲第6番を暗譜で、完璧に弾きましたね。

久保陽子

店村 彼女たちも齋藤先生のもとで勉強したクァルテットで、僕が思うには先生が、クァルテットを2つ出場させるのはおかしいと考えたのではないかな。それと、弘中さんと久保さんのご夫妻が拠点を日本に移したのにも目をつけられて。その前の年に齋藤先生と久保さんがモーツァルトの協奏曲を共演されてるでしょう? そういうことを全部絡めて、アンサンブルを組もうと考えられた時に行き着いたのがピアノ五重奏だったんだと思う。

 そしてさらに齋藤には、店村をヴィオラ奏者にするという狙いもあったようだ。日本を代表するヴィオラ奏者である店村だが、学生時代はヴァイオリンのほうが本業だったのだそう。

店村 その頃はヴァイオリンとヴィオラの二刀流だったんですよ。でも齋藤先生からはずっと、「お前ヴィオラに代われ」と言われていて。
 先生がウィリアム・プリムローズ(*3)を桐朋にお呼びになったことがあったのですが、先生から「お前たち、レッスン受けてこい」と指名されて、安永徹とかと一緒にプリムローズのクラスに行かされたんです。
 その時プリムローズが教えてくれたことは、いまだに僕のテクニックのすごく大事なところになっているけれど、当時はヴィオラに行くつもりは全然なかったんです。でもそうしたら急に電話がかかってきて、この方たちと一緒にクインテットを組めと。それはもう組まざるを得ない。
[*編注3:William Primrose ヴィオラ/ 1904-1982]

弘中 至上命令だもんな(笑)。

店村 齋藤先生が全部お膳立てしてくれて、うまいこと乗っけられた感じです。でもそういう事情ですから、「桐」が始まった頃はまだ、ヴィオラを弾くということ自体、わからないことばかりで、毎日いろんな課題が出てくる。すでに演奏家として活躍しているみなさんとのギャップがすごくて、練習は辛かったです。

弘中 イタリアに行ったのはいつ?

店村 ヴィオラを専門に勉強しようと思ってフィレンツェに行ったのが1976年。コンクールが1974年だから、そのあいだ、ちょっと迷ってたんです。久保さんに相談したら、「どっちつかずになっちゃうし、徹底してヴィオラにしなさい」と言うので決心しました。

久保 迷って、ずっと揺れてたからね。

店村 「イタリアに行くまでの間、私が手伝うわ」と言って、ヴィオラとヴァイオリンのデュオを一緒に練習してくれたり。だからお二人は僕の恩人なんです。桐五重奏団に参加して、お二人に助けてもらったおかげでヴィオラに行く道が決まったわけですから。二人がいたから今僕はヴィオラを弾いていられる。

店村眞積 ©堀田力丸

久保 でもすごいですよ。向こうに行ってすぐにジュネーヴの国際コンクールで優勝したでしょ。そのあとすぐ、フィレンツェのテアトロ・コムナーレ(フィレンツェ市立歌劇場管弦楽団)の首席奏者になって。

店村 でも、あんまり自慢できないのは、コンクールの頃、まだハ音記号が読めなかったんですよ(笑)。

久保 それなのにテアトロ・コムナーレの首席よ(笑)。

 50周年演奏会ではこのジャンルの代表曲であるドヴォルジャークとブラームスを演奏する。

弘中 ピアノ・クインテットの代表曲中の代表ですね。ブラームスは、われわれが50年間で一番多く弾いている曲じゃないかな。ドヴォルジャークは、僕は日本人にすごく合うと思っています。

店村 結局40周年の時と同じ曲になっちゃったけど。

弘中 あるときお客さんに言われたことがあるんです。最初われわれは、なにしろ新しい曲を見つけてきて弾かなければいけないと思ってたんですが……。

久保 一応「定期演奏会」と銘打ってるから、やっぱり新しい曲を弾けないと思っていたんですね。

弘中 ピアノ・クインテットを全部やってやろうぐらい、だいそれたことを考えて、なんだか得体の知れないものまでやろうとしていた。そうしたら20年目ぐらいかな、お客さんから、面白くない曲はやめてくださいと言われてしまって(笑)。

一同 笑!

弘中 作品自体は300曲以上はあるようですよ。

久保 もっとあるんじゃない? アンリエット・ピュイグ=ロジェ先生が、すごくたくさんあるよとおっしゃっていました。

弘中 この2曲以外では、ショスタコーヴィチはいい曲ですね。フランクもいい。

店村 フォーレの2曲もいいね。

弘中 ドホナーニもまあまあいいと思います。
 僕はピアノ・クインテットは、小型の協奏曲だと思っているんです。クァルテット対ピアノ1台のコンチェルト。最初にクインテットを弾いた頃、これは面白いなと思ったのは、やっぱりその協奏曲的なところ。ピアニストがフルに弾いても大丈夫。すごく惹かれました。

店村 コンチェルトとまでは言わないけれども、その要素は強いよね。

弘中 それと、もしかしたら弦楽四重奏よりわかりやすいかもしれない。考えなくていいというか。このあいだ《ラズモフスキー》を聴いたけど、あんなの難しくて聴いてられないよ(笑)。

左より)弘中孝、久保陽子、店村眞積

店村 ああいう難しさはクインテットには全然ないね。

弘中 もっとポピュラーですよ。

 先述のとおり、桐五重奏団の結成50周年は齋藤秀雄の没後50年でもある。コンサートでは、上記2曲の他、シューマンのピアノ五重奏曲第2楽章を師の思い出に捧げる。

弘中 結成の時、この曲でコンクールを受けろと、齋藤先生が指定されたのがシューマンだったんです。第2楽章の葬送行進曲をプログラムの前に演奏します。
 さっき、ピアノ・クインテットはコンチェルトだと言いましたが、シューマンだけは違うんですね。シューマンのクインテットは、ピアノは全体のバランスを取るのにおそろしく気を配るんですよ。

久保 同じ音域をみんなで団子になって同時に弾いてるみたいな書き方でね。バランスといい何といい、シューマンはものすごく難しい曲です。拍の取り方なども、そうやるのか!と、私はあの曲で勉強したことを非常に鮮明に覚えています。

店村 今でもシューマンを弾くと、あの時ここで誰が何を言ってたとか、全部思い出す。そんな曲、他にない。シューマンだけですよ。

「この年齢になってようやく、お互いを聴き合って作ること、調和を目指すことができる気がします」
 すでに日本楽壇のレジェンドとも言えるような存在の大ベテラン三人だが、コンサートへの抱負について、そう口を揃えたのが印象的だった。
 その言葉の、そして彼らをもってしてそう言わせる音楽の、その“深さ”。ちょっと鳥肌が立つ思いがした。50周年。文字どおりの円熟に耳を澄ましたい。

取材・文:宮本明

【Information】
桐五重奏団 結成50周年記念演奏会

2024.7/20(土)14:00 水戸/佐川文庫
7/21(日)14:00 東京文化会館(小)

出演/桐五重奏団
弘中孝(ピアノ) 久保陽子 中村静香(以上ヴァイオリン) 店村眞積(ヴィオラ) 毛利伯郎(チェロ)
曲目/
ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 イ長調 op.81
ブラームス:ピアノ五重奏曲 ヘ短調 op.34
問:佐川文庫029-309-5020(7/20公演)
https://www.sagawabunko.com/doc/event.html
オフィスアルシュ03-3565-6771(7/21公演)
https://www.officearches.com