いまだ戦争の収束は見えないが、約3年に及んだ感染症による混乱から徐々に日常を取り戻しつつある昨今。2023年は、久しぶりの来日となった外来組も多く、クラシック音楽界にとって再会と躍進を感じる年となりました。そんな一年を振り返って、評論家3名による2023年のマイ・ベスト公演をそれぞれの目線で選んでいただきました。3人目は音楽評論家の青澤隆明さんによるピアノと室内楽公演を中心としたふりかえりです。
◆音楽評論家・室田尚子が選ぶ2023年マイ・ベスト公演
◆音楽評論家・山田治生が選ぶ2023年マイ・ベスト公演
文:青澤隆明
再会は心を強くする。とくに、世界がさらに混迷に傾くなかで、個々の人間が時代を超えた創造力に真率に向き合い続けるさまには。さまざまな生きかたがあり、それぞれの音がある。今年聴いた独奏や室内楽について思い出そうとすれば、なおさらそのことを考える。心に残る音がある。いつまでも留まり、問いかけをやめず、歌い続ける意志の響きがある。
歳月を深めた成熟というものを、すっと滲むように伝えてきたのが、レイフ・オヴェ・アンスネスのピアノだった。リサイタル幕開けのイ短調ソナタが鳴り響いたとたん、シューベルトの真情に打たれる思いがした。素朴さに余裕と風格が備わり、いよいよ大家への静かな歩みを期待させる演奏が続いた。
ティル・フェルナーは、2月にアンナ・ルチア・リヒターとのリート・デュオ、デイヴィッド・レイランド指揮東京都交響楽団とのモーツァルトK.466、そしてウィーンで書かれた創作を集めた11月のリサイタルで、それぞれにじっくりと温められ、無我の献身を強めた深化と余裕を実直に聴かせていった。
イェフィム・ブロンフマンが、ルイージ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と聴かせたリストの協奏曲第2番は堂々と、静かで熱い巨人としての風格を滲ませていた。清水和音が協奏曲や室内楽で示し続ける存在感も、重量感と作品への実直な献身で傑出したものだ。
ブルーノ・リグットはショパンのノクテュルヌ全曲を通して、内省的情感とファンタジーの豊かな深まりを聴かせた。ジャン=クロード・ペヌティエの80歳の記念リサイタルは、長年の音楽への愛情を沸々と湧き上がらせた心温まる会となった。舘野泉は数え年で米寿を迎え、なお新作や難曲への挑戦を意欲的に続けている。
ピョートル・アンデルシェフスキは、長年のレパートリーになおも表現の奥行を広げるとともに、シマノフスキの複雑さと神秘への共感を強めた。シマノフスキやバツェヴィチに進境を示したのは近年精彩を増すペーター・ヤブロンスキーだ。クリスチャン・ツィメルマンはシマノフスキ初期の変奏曲で、彼独特のヴィルトゥオジティーを披露していった。
ファジル・サイは、独自のステージをさらに温めるとともに、ピアニストとしての存在感を堂々と増してきた。ラファウ・ブレハッチも古典的な明晰さを保ったまま、少しずつ表現の自由を滲ませてきている。
イーヴォ・ポゴレリッチは重量級の、ダニール・トリフォノフは鋭敏な技巧の存在感を大胆に示したが、どこか過渡期を歩んでいるようにもみえた。ミハイル・プレトニョフはラフマニノフの生誕150年に臨み、高関健指揮東京フィルハーモニー交響楽団と協奏曲全曲を披露して、若い頃とはまた違う、独自に変幻自在なピアニズムを聴かせた。
藤田真央が全5回のモーツァルト・ソナタ全曲を充実とともに結び、ショパンのポロネーズ連作とリストのソナタを組み合わせたリサイタルでも、作品の精細な読みと綿密な表現を聴かせた。セミヨン・ビシュコフ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団と聴かせたドヴォルザークの協奏曲も特筆すべき成果だろう。三浦謙司が「天と地」のプログラムで示した、豪胆な冒険心と剛直な存在感は手応えがあった。
北村朋幹の演奏は室内楽や協奏曲も含めてたくさん聴いたが、ホリガー、バルトーク、ノーノをシューマンで囲んだプログラム、武満徹のピアノ・ソロ全曲での卓抜な成果に加えて、自己のシリーズ“Real-time”ではリストの「巡礼の年」への進境も細心に色づけていった。
イゴール・レヴィットが、2年にわたる4回のベートーヴェン・ピアノ・ソナタ・サイクルを鮮やかかつ精細に完結した。鍵盤音楽の新しい表現を拓くさまを鮮烈に印象づけたピアニストといえば、ヴィキングル・オラフソンとフランチェスコ・トリスターノのバッハもまさしくそうだ。キット・アームストロングは「東京・春・音楽祭」で5日にわたり5世紀を旅した《鍵盤音楽年代記》で、余人には為し得ない知情意の結合と技巧の精髄を端正に示していった。
アレクサンドル・カントロフはバッハ、シューベルト、リスト、ブラームスを結ぶ独創的なプログラムで、多彩な要素を孕む作品との昇華を鮮烈に響かせた。チェロのズラトミール・ファンとの初めてのデュオは、両者のダイレクトな触発力が見事に嚙み合い、精密な設計とは異なる次元で、作品の情熱と劇性を鮮やかに立ち上げていた。
弦楽器の演奏で、私がもっとも驚きをもって聴いたのは、山根一仁のバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会だった。この人は天才的な直観と試行錯誤を独自の振れ幅としてきたように思えるが、バッハの無伴奏に集中してくり広げられた想像力の遥かさは、人間の世界を超えて、生命の遡源にいたる時空まで自ずと飛翔していたのではないか。
ペッカ・クーシスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチ、松原勝也、ジョヴァンニ・ソッリマも、それぞれに奔放な自由と冒険的自由を謳っていた。パトリツィア・コパチンスカヤの直情的、直観的な正直さは、第2次ウィーン楽派を生命の漲る色彩で躍らせた。大野和士指揮東京都交響楽団とのリゲティの協奏曲での演出表現も含めて、実に素直で鮮やかだった。
新たにグァルネリの銘器を手にした三浦文彰の剛胆な活躍には心躍る未来がある。松田理奈が清水和音と聴かせたモーツァルトは天性のものだ。
リゲティの生誕100年といえば、トッパンホールが2夜のプロジェクトで、トーマス・ヘルや日本の精鋭たちを集めて聴き応えがあった。イェルク・ヴィトマンが出演した自作個展もそうで、カルテット・アマービレ、周防亮介、鈴木慧悟、上村文乃を交えつつ、ホール独自の企画力が光っていた。ハーゲン・クァルテットとの長年のプロジェクトではここへきて、独自の融合に満ち足りたアンサンブルが実った。
管楽器の名手も多く来日したが、ハインツ・ホリガーの自演による新旧の自作、ヴィトマンの「不条理」をARKシンフォニエッタと披露したセルゲイ・ナカリャコフの快演が際立っていた。
他にもさまざまな演奏が頭をめぐるが、次なる再会が待ち遠しく思えると言えば、ざっとこのようなところだろうか。多種多様な冒険が鳴り響くだけの静謐と余白を、そっと心の内に護るようにして、また新しい年を待ちたいと思う。
【Profile】
青澤隆明
音楽評論家。1970年東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。高校在学中からクラシックを中心に音楽専門誌に執筆。エッセイ、評論、インタビューを、新聞、一般誌、演奏会プログラムやCDなどに寄稿。主な著書に『現代のピアニスト30-アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、清水和音との『ピアニストを生きる-清水和音の思想』(音楽之友社)。「ぶらあぼONLINE」で、「Aからの眺望」を連載中。