「現在最高のメゾ」が時代や国をこえて織りなす歌の世界
藤村実穂子は「日本を代表するメゾソプラノ」であると同時に、今や「現在最高のメゾソプラノ」としてその名を世界中にとどろかせている。その名声を確立したのは、何といってもバイロイト音楽祭での活躍が大きい。2002年、《ラインの黄金》のフリッカ役でデビューした際には、日本人として初めて主役級でバイロイトに出演したと大きな話題となったが、その後ワルトラウテ、ブランゲーネ、エルダ、クンドリなどワーグナー作品における重要なメゾソプラノの役を次々に歌い、9年連続で同音楽祭に出演するという快挙を成し遂げた。またオペラだけでなく、ドイツリートにおける高い表現力は常にドイツ国内などでも賞賛の的となっており、さらにはマーラーの交響曲などの大規模な管弦楽と声楽の作品にとってもなくてはならない存在だ。
そんな藤村が、初めてびわ湖ホールでリサイタルを開催する。プログラムは、「藤村実穂子」の真髄が存分に味わえる選び抜かれた選曲だ。幕開けはモーツァルト。はじめにイタリア語で書かれた歌曲が置かれているのが心憎い。優美な〈静けさは微笑み〉に続いて、《フィガロの結婚》のスザンナの差し替え曲(もしくは追加の曲)として書かれたといわれている〈喜びの鼓動〉の2曲で、まずは藤村の歌声が生み出す空気に包まれよう。そしてゲーテの詩に作曲した有名な〈すみれ〉に、〈ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼く時〉〈夕べの想い〉というドイツ語の3曲が続く。
そして、マーラーが書いた最初の連作歌曲集である「さすらう若人の歌」全4曲が登場。恋人を失った男性が苦しみの中でさすらいながら、最後は菩提樹の下に横たわり「何もかももういいんだ。愛も、苦しみも、世界も、夢も!」と諦念に達するという内容で、マーラー自身が若い女性歌手に失恋した体験をもとに書かれたともいわれている。男性の歌ではあるが女声で歌われることもあり、藤村の品格のある歌声でぜひ聴いてみたい。
休憩をはさんで歌われるのは、このリサイタルのメインとなるツェムリンスキーの「メーテルリンクの詩による6つの歌」op.13。ツェムリンスキーは世紀転換期に活躍したウィーン出身の作曲家だが、のちにナチス・ドイツの台頭によってアメリカに亡命した。本作は彼がプラハ・ドイツ劇場で指揮者をしていた時代の作品。生と死、過去と未来、愛と無常を描いた象徴的なテクストで、たゆたうようなメロディが時に無調的な響きを帯びるピアノの上で展開されていく。作品の文化的・芸術的背景への深い理解を持つ藤村ならではの表現が期待できる。最後は細川俊夫の編曲による2曲の日本の子守唄。日本民謡を洗練された芸術的表現に高めた作品である。
ピアノ伴奏は名手ヴォルフラム・リーガー。凝縮した歌の世界を存分に味わえるこの機会を逃すことはできない。なお、東京文化会館ほかで同じ内容のリサイタルも予定されている。
文:室田尚子
(ぶらあぼ2023年8月号より)
2023.9/30(土)14:00 びわ湖ホール 大ホール
問:びわ湖ホールチケットセンター077-523-7136
https://www.biwako-hall.or.jp/