伝承遊びやわらべ歌を題材にした新時代の名作「いろはにほへと弦楽四重歌曲集」が誕生!

取材・文:林昌英
写真:平舘平

後列左より 對馬佳祐、石上真由子、山下裕賀、安達真理、富岡廉太郎
前列 左:松﨑国生 右:泉志谷忠和

 8月14日、猛暑の午後の銀座、ヤマハホールで開催された「いろはにほへと弦楽四重歌曲集」公演。内容は「日本の伝承遊びやわらべ歌による新曲」というものだが、聴衆に与えたインパクトはその字面から受ける印象の何倍も大きく、意義深くも楽しい時間になった。
 
 公演を主宰したプロデューサー泉志谷忠和は、事前のインタビューで公演の目的を「私たちの中に深く根差した伝承遊びや民謡を、西洋音楽と融和させて、作品にしてみたかった」と説明していたが、実際にどんな体験になるのか、想像するのは難しかった。それをこの上ない形で具現化したのが、川宮史紀仁の新作詩から最大限にファンタジーと遊び心を膨らませた松﨑国生の音楽であり、国内屈指の名歌手と名奏者たちによる、これ以上は考えにくいほどの演奏だった。

 松﨑は作曲にあたり「民謡を形として掘り起こしたものを、自分というフィルターを通して、普段接しない人に提供したい」と目的を語っていた。果たして、出来上がった作品は「“日本っぽい”メロディこそ、クラシックから見て一番のアイデンティティ」との言葉通りのものとなった。
 弦楽四重奏だけの序曲と歌の入った5曲による、演奏時間計60分ほどの大作。大きくまとめると、「●●(過去の作曲家や作品)っぽさにあふれながら、いつしか唯一無二のオリジナリティが生まれる」作品だった。通常なら「●●っぽい」は誉め言葉にはなりにくいが、松﨑は承知の上だろう。先人への敬意を隠そうとはしないし、むしろ聴く際の取っ掛かりになるなら喜んで、という気質の持ち主。では真似ごとで終わるかというと、その反対なのが面白い。全曲にわたり絶妙な工夫や仕掛けが張り巡らされていて、笑顔で聴いているうちに、いつの間にか全く知らない響きが聴こえて、孤独な寂寥から忘我の境地までが表現されていく。

 川宮の詩は「こども心とおとな心」「この世について」「生きるとはなにか?」「死とはなにか?」「わたしとはなにか?」の5編。「あらゆる声に耳を傾ける」ことから始めたという本作は、わらべ歌の歌詞を契機にそのメタファーから発想を広げ、過去の記憶や自然の風景、生と死などを語る、和の文化の範囲に留まらないロマンティックなもの。そこに松﨑の新古典主義的でありながら感情にも訴える音楽が加わることで、クラシック作品としてのメッセージが成立する。

 なにより、この音楽であれば、海外でも楽しまれるかもしれない。考えてみれば、日本の伝承の歌、民謡やわらべ歌などは、いまや西洋の音階で記譜されている。もちろん明治時代に西洋音楽のルールが日本に入る前はそこに収まらない表現があったが、いま現実的には西洋音楽のルールで「日本の歌」が歌われているのである。それを西洋クラシック音楽の語法に乗せて、新しい表現を模索することは理にかなっているともいえる。しかし、そのように正面切ったアプローチはこれまで意外と少なかった。

 大きな方向性でいえば、芥川也寸志の「弦楽のためのトリプティーク」が本作全体を支える原案と言うべき楽曲と感じられた。欧米で人気だった邦人作品といえば、その芥川「トリプティーク」と外山雄三「管弦楽のためのラプソディ」が挙げられるだろう。前者は日本音楽のエッセンスが新古典主義的な手法による弦楽器の響きで見事に表現され、後者は日本民謡などのメロディがそのまま素材となって西洋オーケストラの表現法で楽しく聴ける。松﨑の方向性はその両面が融合されたスタイルといえそうだ。一歩間違えれば陳腐になる恐れもある表現法だが、今回はその難しい路線を成功させた代表作になるかもしれない。

 以上、作品について考察してみたが、それもこれも世界基準の演奏があればこそ。殊に称えられるべきは5人の出演者であることに疑いはない。

 和の心とロマンを見事に歌い上げた山下裕賀。その歌声の魅力は筆舌に尽くしがたいものがある。いまもっとも期待を集めるメゾソプラノである山下の実力が遺憾なく発揮され、完璧に歌いながら言葉を“語る”ちから、母音抜きの子音だけで聴かせる音など随所にあるさりげない難所も見事な処理、最後は伸びやかな歌声を雄大に響かせて会場の興奮を誘った。
 弦楽四重奏はヴァイオリン石上真由子、對馬佳祐、ヴィオラ安達真理、チェロ富岡廉太郎。作品を問わず、この人の演奏を聴きたい!と思わせる名手ばかりで豪華そのもの。アンサンブルも知り尽くした4人で、四重奏としてのまとまりを見事に作りあげながら、華麗な個人技も余裕を持ちながら披露。なかでも石上がカデンツァ的場面で聴かせる名技、表現の深さには唸らされるばかり。

 アンコールとして石上のソロで、松﨑の「4つの日本民謡の主題によるパスティーシュ 〜無伴奏ヴァイオリンの為の〜」(石上の依頼による2014年の作品)が披露された。これがまたなかなか面白い快作で、石上の最高に鮮烈な名奏を堪能できた。バルトーク、イザイ、ラヴェルほかの「●●っぽさ」を前面に出して聴く人をクスリとさせつつ、ヴァイオリンの超絶技巧は全開。日本のわらべ歌の旋律が新鮮な姿で提示されて味わいもあり、これこそ海外でもかなりウケそうだ。松﨑の音楽には、良い意味で「“●●っぽさ”上等! ウケてなんぼ!」という潔さがある。

 なお、この日は最後にもう1曲、本編の第2曲「この世について」(「あんたがたどこさ」に基づく)の後半が5人で演奏された。

 泉志谷によると、将来は海外でもこの作品を演奏したいという思いがあるとのこと。初演と同水準の演奏が再現できるかは重要だが、仮に違うメンバーであっても新たな魅力が出てこそ歴史に残る作品になる。「日本の伝承遊びやわらべ歌なども、あえてクラシックの遺伝子を加えて音にすることで、その文化遺伝子が強化され、おおもとの歌が生き残っていくことに繋がる」という意志のためにも、作品や演奏以外のことにもさらに磨きをかけて、ぜひ再演を目指してほしい。

「いろはにほへと弦楽四重歌曲集」日本の伝承遊びより
2022.8/14(日)15:00 ヤマハホール

出演
山下裕賀(メゾソプラノ)
石上真由子 對馬佳祐(以上ヴァイオリン)
安達真理(ヴィオラ)
富岡廉太郎(チェロ)

いろはにほへと弦楽四重歌曲集
作曲:松﨑国生 詩:川宮史紀仁
序曲
第一曲「こども心とおとな心」
第二曲「この世について
第三曲「生きるとはなにか?
第四曲「死とはなにか?
第五曲「わたしとはなにか?

IROHANIHOHETO Project
https://www.jccr.or.jp/iroha