青澤隆明(音楽評論)
言葉はとても人工的なものだ。もともと人がつくったのだから。つまり、なにより人間的でもある。ということは、それは自然にもなりうる。
自然たるべき人間を、その根底に据えて耐えながら、ときどきに移ろう心象を生きぬくことが、ある意味、芸術の本懐なのではないか。
そのことを高座から私に教えてくれたのが、柳家小三治師匠だった。近年になればなるほど、その確信はつよまっていった。
青菜、という滑稽噺があって、植木屋が夏の庭に水を撒く様子が語られる。まるで夕立がひと過ぎしたように、とご隠居は心持よく言う。いつもどおり音楽を聴くように、小三治の口跡に聴き惚れていると、ふと涼しげなその風がみえた。腕や頬を冷やっと撫で、さっと渡っていくのを感じた。そのとき、そこに夏はきていた。
こうした風景を五感で味わえたのは、師匠の語りが固有の景色を精確に生み出していたからに他ならなかった。風がみえた。水が渡る涼やかなにおいが、さっと吹き過ぎた。
生きることは芸で、芸はたたかいだった。老いてなお、生きることをたたかう姿が、悲壮ではなく軽やかな身振りで伝わってきた。それが近年の小三治の凄みだった。あしたにはまたちがう風景が、ちがう人と人の掛け合いで織りなされていく。そのさきをみきわめようという、獰猛なまでに強靱な意志が、小三治の噺には宿った。誰がどのような顔で、どのような気分で出てくるのかは、そのときになってみないとわからない。飄々とした構えである。
毎日は違う。おなじことのくり返しにみえることで、おなじことなどひとつとしてない。それを生きて、証しすることが、芸術の意味でもある。話すことは、生きることとおなじで、だからそのときどきでいかようにも変わりうる。
移ろいゆく時のなかの生命として、小三治の噺は高座で、そのたびごとに生み出された。「日によってどんな与太郎が出てくるのか、きょうなりの登場人物に会えることはとても楽しい」とも語っていらした。自分でもわからないから楽しみで、その人物たちが語り手をそのときどきの情景に連れ出す、ということだろう。まだなにひとつできていない、すべてはこれからだ、と息巻く姿もドキュメンタリーなどを通じて伝えられていた。切実な自戒であり、後進を含めた現代の人間たちへの戒めでもあったと思う。
最後までたたかいぬくつもりだったに違いない。そのままの姿勢で、突然、亡くなってしまった。81歳、自宅での心不全。旅の途中で、ふっと、どこかへ行ってしまったのだろうか。まるで、彼の噺のまくらが自在に、一見とりとめなく広がっていってしまうように。
音楽の話ではないではないか、と思われるかもしれない。とんでもない。生きることはすべて音楽の範疇だ。芸と術に関するかぎり、なにひとつとして人間を取りこぼすものはないのである。
それでも音楽に寄せて、ひとつだけ言い添えておくなら、私がラドゥ・ルプーのとくに近年のピアノ演奏に感じてきたことの多くと、高座に上がる柳家小三治の姿勢は自然と響き合っていた。ふたりとも古典といわれる先達の作品に日々向き合い、長い歳月をかけて自分を拓いてきた。私にとっては本当に特別な芸術家だった。そうして、私のなかで、いまもそっと風を吹かせる――その江戸言葉と、あのピアノの音による語りは、未知の場所を探り当てようと、歌のつづきをみつめている。
── 2021年10月10日、柳家小三治師匠の訃報をきいて