次代のディーヴァが放つきらめきのベルカント
2019年、ドイツのベルテルスマン財団と横須賀芸術劇場が共催する「世界オペラ歌唱コンクール“新しい声 NEUE STIMMEN”」オーディションを経てドイツ本選に出場した中川郁文。このコンクールをきっかけに21年にはザルツブルク音楽祭の“ヤング・シンガーズ・プログラム”に招待されるなど、今、俄然注目を集めているソプラノ歌手だ。自らを「異色の経歴」という中川。実は、もともとは数学の教師になりたかったのだという。
何がなんでもオペラの道へ
「家族がみんな教師だったので、子どもの頃から教師に憧れてきました。奈良教育大学に進み、数学と音楽の教員免許をとりました。本当は美術もとりたかったんですが、さすがに3教科は難しくて…(笑)。一方で、大学で出会ったオペラに魅了されてしまい、先生から、もっと声楽を勉強したいのなら京都市立芸術大学の大学院に進んではどうか、と勧められ受験を決意しました」
ところが、である。両親は大学院進学を猛反対。妥協案として出された条件が、「教員採用試験と大学院入試、両方合格したら院へ行ってもいい」という過酷なものだった。ここで中川の持ち前の「馬力」が爆発する。同年度に二つの試験に合格し、晴れて大学院へと進学を果たした。
「2年間の勉強を経て大学院修了試験が終わった日に、改めて両親に歌の道に進みたいと話しました。とても心配されましたが、家を出て一人暮らしをスタートさせ、音楽とは関係のない仕事をしながら歌の勉強を続けたんです」
こうと思い定めた時の真面目さ、ひたむきさが中川の最大の長所であり、それには運命の女神も微笑まざるを得ない。17年にはサントリーホール オペラ・アカデミーに合格、これを機に東京に移り住むことになる。ここに至ってさすがの両親も、全面的な応援態勢に入ってくれたそうだ。
“NEUE STIMMEN”で得た確かな感触、そしてリサイタルへ
「自分自身の力で、がむしゃらに道を切り拓いてきた」と語る中川。そんな彼女にとって“NEUE STIMMEN”はまさに人脈やチャンスを得る場所となった。
「1週間のマスタークラスではセルフ・マネージメントやキャリア構築についての授業もありました。本選には42人が進みましたが、審査員には、ミラノ・スカラ座総裁のドミニク・マイヤー氏をはじめ欧米の錚々たる劇場のインテンダントが顔を揃えていて、一人ひとりの歌についてアドバイスをしてくれました。実は、フランクフルト・オペラ総監督のベルント・レーベ氏からサインの入った名刺をもらい、これを持って大野和士さん(新国立劇場オペラ芸術監督)をたずねるように、とまで言ってくれました」
2月にヨコスカ・ベイサイド・ポケットで行われる初のソロ・リサイタルには、そんな中川郁文の「今」と「これから」がギュッと詰まっている。
「ラフマニノフやドリーブなど、前半の歌曲はこれまでに勉強してきたもの、そして後半の《椿姫》のヴィオレッタ、《トゥーランドット》のリューなどのアリアには初役も多く、今後10年をどういう風に歌っていきたいかという将来像をお見せできるようなプログラムにしてあります。ピアノは音楽性抜群の篠宮久徳さんにお願いしました」
「35歳ぐらいまでには音楽界にきちんとした位置を獲得できるようにしたい」という中川に、将来歌いたい役は? とたずねると「トスカ!」と即答。ただ美しいだけではない、光と闇のコントラストのある音楽に「芸術」を感じるそうだ。未来の大器は、いま、まさに輝き始めたところ。そのすがたをこの耳と目で体験したい。
取材・文:室田尚子
(ぶらあぼ2021年3月号より)
フレッシュ・アーティスツ from ヨコスカ シリーズ58
中川郁文 ソプラノ・リサイタル
2021.2/28 (日)14:00 ヨコスカ・ベイサイド・ポケット
問:横須賀芸術劇場046-823-9999
https://www.yokosuka-arts.or.jp