2022年2月に予定されていたもののコロナ禍により延期となった東京二期会オペラ劇場《影のない女》が、満を持してついにその幕を開けた。ボン歌劇場との共同制作によるペーター・コンヴィチュニー演出のプロダクションで、本公演がワールドプレミエとなる。10月22日に行われた、初日&26日出演組の最終総稽古(ゲネラルプローベ)を取材した。
(2024.10/22 東京文化会館 取材・文:室田尚子 撮影:寺司正彦 写真提供:公益財団法人東京二期会)
まず、公演チラシをよく見てほしい。そこには「コンヴィチュニーの影のない女」と書かれている。このタイトルが意味するところは何なのか、を胸に刻んでおく必要がある。霊界の王カイコバートの娘である皇后は「影」がないため、皇帝との間に子どもをなすことができない。あと3日のうちに「影」を手に入れなければ皇帝は石になってしまう。皇后は乳母と共に人間界に降りていき、そこで出会ったバラクの妻から「影」を手に入れようとする。皇后、乳母、バラクの妻という3人の女たちを中心にまわるストーリーは、こう書いただけでもわかるように、現代においては問題となる女性差別的な問題をはらむ(「影」は「子宮」のメタファーだ)。コンヴィチュニーとドラマトゥルクのベッティーナ・バルツが目指したのは、「今日の我々が道徳的に納得できる上演」(プログラムより)であり、そのために大胆な読み替えが施されている。
皇帝はマフィアのボスとなり、カイコバートは敵対する組織のボス。バラクは遺伝子操作研究所の所長で、皇后はそこに胎児をもらいにいく、という設定。もっとも大きな変更は、離れ離れになったバラク夫妻が霊界で再会し、皇帝・皇后夫妻と共に四重唱を歌う第3幕のフィナーレが丸ごとカットされていること。舞台は、第2幕の途中で前半が終了となり、休憩を挟んだあと第3幕が始まるが、フィナーレの部分の代わりに第2幕の最後の場面が続く、という構成になっている。本プロダクションの筋書きに従って説明すると、皇帝の子どもを宿したバラクの妻が皇帝と共に研究所を出ていき、残った皇后はそれに倣ってバラクと交わるが、罪の意識から自分で幕を引いてしまうところで前半が終了。後半は、互いの愛を確認し合うバラク夫妻と、悩む皇后の姿が描かれ(オリジナルの第3幕前半)、そこから少し経って皇后とバラクの妻は共に子どもを産んでいるが、皇帝とバラクはもはや妻たちを無視し続けており、それぞれの争いが激化したところで幕がおりる(オリジナルの第2幕後半)。
コンヴィチュニーの問題意識は明白だ。夫の従属物として扱われ、子どもを産まなければ価値がないとされる女性たちが、最後には夫への愛を自覚することで救われるというラストは、現代におけるポリティカル・コレクトネスの観点からは到底受け入れることはできない。子どもを「産まなくても」愛があればめでたしめでたし、では、そもそも「子産み機械」として扱われ続けた女性の問題は何も解決しないからだ。だから、子どもを「産んだのに」(あるいは「産んだからこそ」)従属的位置に留まり続ける女性たちの姿をラストに置いたことは、未だ女性が搾取され続ける状況への強烈なカウンターパンチとなり得る。さらに、このプロダクションが、ジェンダー・ギャップ指数が未だに世界118位という日本の首都でワールドプレミエを迎えることの意義もあるかもしれない。
他にも細かいカットや言葉の入れ替え、また日本語のセリフの挿入などがあるが、こうした大胆な変更をシュトラウスの音楽への毀損と考える人がいることは、想像に難くない。クラシック音楽の世界では、楽譜を変更することは許されないという考え方が一般的だ。コンヴィチュニーが「敢えて」音楽そのものに手を入れた理由は、音楽もまた、上記のような女性差別的物語に加担していると考えたからではないだろうか。個人的には、この演出はもはや「読み替え」の域を超え、一種の「再構成(リメイク、あるいはリバイス)」になっていると感じた。それを是とするか否とするかは、それぞれの観客が実際に劇場に足を運んで判断するしかない。
削除や変更があるとはいえ、鳴り響いている音楽の充実度は高い。皇帝の伊藤達人、皇后の冨平安希子をはじめ、二期会歌手陣の充実は目をみはるものがある。特に、乳母役の藤井麻美からは、舞台全体を引っ張るような吸引力を感じた。指揮のアレホ・ペレスは間違いなくコンヴィチュニーの演出意図を明確に理解した上で音楽を構築している。削除や入れ替えの矛盾を感じさせないのは、ペレスの指揮があればこそだろう。おそらく今年一番の問題作となるだろう「コンヴィチュニーの影のない女」。オペラの世界に刺激的な一撃を与える上演であることは間違いない。
ボン歌劇場との共同制作
東京二期会オペラ劇場《影のない女》(ワールドプレミエ)
2024.10/24(木)18:00、10/25(金)14:00、10/26(土)14:00、10/27(日)14:00 東京文化会館
指揮:アレホ・ペレス
演出:ペーター・コンヴィチュニー
舞台美術:ヨハネス・ライアカー
照明:グイド・ペツォルト
ドラマトゥルク:ベッティーナ・バルツ
出演
皇帝:伊藤達人(10/24, 10/26) 樋口達哉(10/25, 10/27)
皇后:冨平安希子(10/24, 10/26) 渡邊仁美(10/25, 10/27)
乳母:藤井麻美(10/24, 10/26) 橋爪ゆか(10/25, 10/27)
伝令使:友清崇、髙田智士 、宮城島康(全日出演)
若い男の声:高柳圭(10/24, 10/26) 下村将太(10/25, 10/27)
鷹の声:宮地江奈(10/24, 10/26) 種谷典子(10/25, 10/27)
バラク:大沼徹(10/24, 10/26) 河野鉄平(10/25, 10/27)
バラクの妻:板波利加(10/24, 10/26) 田崎尚美(10/25, 10/27)
バラクの兄弟:児玉和弘、岩田健志、水島正樹(10/24, 10/26)
岸浪愛学、的場正剛、狩野賢一(10/25, 10/27)
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京交響楽団
問:二期会チケットセンター03-3796-1831
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