Aからの眺望 #31
ハーゲン・クァルテット、家に帰る。

2025.11.13 〈ハーゲン プロジェクト フィナーレ〉ハーゲン・クァルテット 第3夜より

文:青澤隆明
写真:大窪道治 提供:TOPPANホール

 ハーゲン、家に帰る。ラスト・コンサートをTOPPANホールで弾き進む4人を前に、自然とそのようなことを感じていた。ハーゲン・クァルテットの45年にわたる大冒険は、そうして静かに温かく結ばれていった。
 有終の美を飾った、とは常套句だが、ハーゲン・クァルテットは実際なにも飾りはしなかった。時が満ちて、彼ら4人でしか生きられない音楽を思うままに織りなしていっただけだ。
 アンサンブルは対話である。ハーゲン・クァルテットがきわめて独特なのは、4人で交わす会話の前に、まず個と個の対話がしっかりとあることだろう。ひとつひとつ声部を重ねていく、個々人のときどきの声の重ねかた、つまりは心の重ねかたが呼応して、全体の生命が流れ出し、うねり、歌い、踊り、立ち止まり、静まるのである。

 もともとそれぞれに遠い流れではなく、水源から直に連なる上流へのまなざしは重なっていたのだろう。ザルツブルクの音楽一家の兄弟姉妹ではじまり、1987年から第2ヴァイオリンに定着したライナー・シュミットも学びの土壌を同じくして、ハーゲンのユニークな音楽の家を支えてきた。シュミットとヴェロニカ・ハーゲンの内声が、ルーカスとクレメンスのハーゲン兄弟による外声を上手に活かしながら、全体のかたちを長らくつかまえていたのである。
 いずれにせよ、1960年代生まれの彼ら4人が一貫して求めてきたのは、一家を成すというような目標ではなく、それぞれが音楽を謳うことを活かしながら、それをアンサンブルとしてかたちづくり、豊かな調和と対話を実らせていくことだったに違いない。合奏においてロジカルな精密さを求める志向が強まってきた戦後世代のもとでアンサンブルの学びを探った彼らにとって、それが新しい自由であり、自発的な声でもあったはずだ。
 合致と連動は目的ではなく、結果として結ばれる。そのようにして、いい塩梅となるのを待ち続ける。それはある意味、非常にナイーヴで、フラジャイルなありようだ。固定的な精密の設計ではなく、流動的に変容する造型と言えばよいか、彫刻と塑像の違いに擬えればよいのか。それぞれの手と心と声で練っていく先に、4人が4人として個々に対話を交わしながら、そこがひとつの家であり、作品世界でもあるという位相を探り続けてきた。

2025.11.12 〈ハーゲン プロジェクト フィナーレ〉ハーゲン・クァルテット 第2夜より

 だからこそ、ハーゲン・クァルテットは終始面白かった。ときには必ずしもうまく行かず、謎のまま終わった演奏もあった。釈然としないのはなにも私の理解の問題だけではなく、おそらく彼らが割り切った演奏や目的を効率よく達成するストラテジーなどとらなかったから、そして手早い結果には到らないとしても対話のプロセスにずっとこだわり続けたからに違いない。 
 ひとことで言うならば、愚直さということになるのだろう。不器用と言ってもいい。不器用とは演奏の技量のことでなく、心や精神のありように頑さがあり、しかし硬直しない程度にはやわらかであるといった加減のことだ。それはきっと人間どうしの関係にも近い。
 若い頃はいかにも「俊英」という言葉に似つかわしく、意気も鋭く情熱を焚きつけていたところから、試行錯誤のうちにも、やがて円熟味を帯び、しかし大家ぶることなく、どことなく彷徨い続けるように歩んできた。4人の関係性やバランスが変化するのも折々に興味深かった。こうした飽くなき探求のプロセスが、そのままハーゲン・クァルテット独特の軌跡であり、かけがえのない彼ら4人の風合いの表現ともなった。いったんの完成という目標設定を遠ざけ、そのようにオープンなプロセス、未完結の流動性を保ってきたからこそだ。
 それが2023年秋、トッパンホールでの演奏会を聴いたとき、彼ら4人がずっと模索していた地平へ、ようやく豊かに辿り着いたのだ、という感銘を私は抱いた。しあわせにも満ち足りたかたちで、成熟のうちに時は満ち、音楽は充たされていた。アンサンブルとは合わせるものでもなく、自動的に合うものでもなく、そのように合ってゆくものなのだった。

 そうして、これからの期待をますます募らせたところへ、次なるシーズンをもってハーゲン・クァルテットとしての活動を終えるという決心がほどなく告げられた。さすがにもったいないとも思うが、彼ら自身がいまこそ佳境にあることをつよく確信したのだろう。
 とはいえ、実際にこの夏、最後の来日を聴いてみると、第1ヴァイオリンのルーカス・ハーゲンが昨秋に比べても俄然元気になって、フレージングでも積極的に工夫を仕掛けていた。そうしてみると、最後の最後まで、続いていくストーリーの一幕という様相なのだ。いっぽうで一歩引いてみれば、ハーゲン・クァルテットは結果として、兄の第1ヴァイオリンを活かすかたちで、いかなるアンサンブルを醸成させるかということについて始終苦慮してきたのかもしれない。圧倒的な優勢とはみられないファーストの背丈を存分に愛する位相を築くべく。
 家族のうちで兄は兄であり、結局は家長の面目を保ったのだろう。いよいよハーゲン・クァルテットの時は満ちて、幸いなことに、彼らには帰る家があった。そのことを信じ、あるいは疑うこともなかったからこそ、半世紀近くも協働でつねに模索しながら、良き家族として帰還を果たせたのかもしれなかった。

2023.11.1〈ハーゲン プロジェクト 2023〉ハーゲン・クァルテット 第2夜より

青澤隆明 Takaakira Aosawa

書いているのは音楽をめぐること。考えることはいろいろ。東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。音楽評論家。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる-清水和音の思想』(音楽之友社)。『ショスタコーヴィチを語る』(青土社)で、亀山郁夫氏と対談。そろそろ次の本、仕上げます。ぶらあぼONLINEで「Aからの眺望」連載中。好きな番組はInside Anfield。
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