髙田智宏(オランダ人)& 田崎尚美(ゼンタ)に意気込みを訊く
兵庫県立芸術文化センターの夏の風物詩、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ。同センターは今年、開館20周年を迎えます。記念すべき節目の演目に選ばれたのは、意外にも「プロデュースオペラ」シリーズ初となるワーグナーの歌劇《さまよえるオランダ人》。2018年の《魔弾の射手》で壮大なメルヘンの世界を描き出したミヒャエル・テンメを演出に迎えた新制作、ダブルキャストで上演されます。7月19日の開幕を前に、準備がいよいよ佳境を迎える稽古の様子を取材しました。 (2025.6/23 東京都内スタジオ)
取材・文:岸純信(オペラ研究家) 撮影:長澤直子
「世界的な日本人アーティスト」には二通りある。一つは文字通り「世界でいま活躍中の人」。「バーンスタイン最後の愛弟子」と称され、世界をまたにかける指揮者・佐渡裕や、ドイツ各地の歌劇場で18年間も出演し続けるバリトン、髙田智宏など、いま最も光る人々だろう。なんといっても、海外の厳しい現場でずっと勝ち残ってきた名手たちであるのだから。

そして、もう一つが「世界から注目される人材」である。例えば、ワーグナーやR.シュトラウスのオペラで、常に主役の座を占めるソプラノ田崎尚美がその代表格。というのも、彼女のステージを観た人たちが、毎回、必ず質問してくるからだ。特に外国人が積極的に問う。「あのソプラノはどういうキャリアの持ち主か? なぜ、あの声量が出せる?」と、みな不思議がる。見た目がたおやかなのに、一声放てば客席を圧するそのギャップの烈しさが、練達のオペラファンの耳を捉えて離さないのだろう。

今回、7月に兵庫県立芸術文化センターがワーグナーの歌劇《さまよえるオランダ人》を上演するが、リハーサルが始まったとのことで、見学の希望を出してみたところ、快く受けてもらえた次第。公演の指揮者はもちろんマエストロ佐渡だが、配役はヨーゼフ・ワーグナー率いる組と、髙田がタイトルロールを務める組のダブルキャスト。そこでまず、上述の歌い手二人、髙田と田崎の実力を目の当たりにすべく、最前列で聴かせてもらった。

結果、何が起きたかというと、まさしく「超弩級」の歌試合が展開。第2幕の二重唱において、髙田演じるオランダ人を、田崎演じるヒロイン、ゼンタは心から愛してやまないが、これまで何度も女性に失望させられたオランダ人としては、ゼンタの激情を前にしてなお、「俺に自らを永久に捧げてくれるのか?」と問わずにはいられない。するとゼンタは「どんな悪魔の仕業があなたを悲惨なものにしようとも! ……私は死ぬまで貞節よ!」と毅然と言ってのける。そこで二人の心の距離が一気に近づくさまが、猛烈な歌の綱引きのごとく、ありありと表現されたのだ。

その圧倒的な迫力には、稽古を見つめるマエストロのみならず、実際に指揮した副指揮者・瀬山智博も、ピアノ伴奏の小埜寺美樹も、リハーサルを仕切った演出助手・森川太郎も、みな深く揺さぶられたよう。筆者も目頭が熱くなり、慌ててハンカチを取り出したほどだが、それにもまして興味深かったのは、ワーグナー組のキャストが一斉に押し黙ったこと。「これは……負けてはいられない!」といった静かな闘志が、彼らの表情にありありと浮かんできた。


そこで、休憩中のお二人に、抱負をそのまま尋ねてみた。まずは、声にも体格にも風格漂う髙田智宏から。

「ワーグナーはこれで6役目です。最初は《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のベックメッサーで、最近だと《タンホイザー》のヴォルフラムですが、オランダ人については最初、ファッハ(声域)がやや低いこともあり、上手く出来るのかと少し悩みました。でも、チャレンジだ!と一年前から練習を始めたところ、歌い込むにつれて、声量も体格も少しずつ増し、いろんな可能性が広がったんです。具体的にはベルトの穴が一つ、二つずれたといいますか(笑)。ワーグナーを歌う欧米人はみな大柄ですが、それも、歌っているうちに成長するということなのかな?
ちなみに、このオペラの中で、オランダ人は『闇を一手に引き受ける』存在です。だから、演じていて面白いですし、呪われた者のダークさを抱えながら、今度こそ愛で救済してもらえるのかと願うオランダ人の胸中を、声で目いっぱい表現できれば幸いです。演出のミヒャエル・テンメさんの、物語に忠実なご姿勢にも大いに共感しています」

続いては田崎尚美。その見事なボリュームと気品溢れる歌い回しはいつ身に着けたものなのだろう?

「高校時代から声の質はほとんど変わっていないようなんです。ですから、勉強を重ねる中で、成長と共に声のサイズもすくすくと育っていったということでしょうか(笑)。いろんな面でのタフさや体力にしても、いまが一番良いときかと感じています。一方、私自身は生来がリアリストなので、今回演じるゼンタの『思いこみの烈しさ』については、共感できるところとできないところがあるんです。でも、いま、ちまたで流行っている『推し活』の姿勢は、ゼンタの『オランダ人推し』とも重なるように思うんですよ。私自身にも自分の『推し活』はありますし」
そこでたとえば? と尋ねると……「芸人コンビの『さらば青春の光』さん推しなんです。ファンクラブにも入ってライブチケットは確実に手にしています(笑)。今日の稽古着も、そのツアーTシャツの一つです!」とのこと。その気取らぬ朗らかさあってこそ、相手にまっしぐらの乙女の内面も冷静に受けとめ、全力で演じられるのかもしれない。

ワーグナーの作品では上演に5~6時間かかるのが普通なのに、《さまよえるオランダ人》は休憩込みで2時間半という異例の短さ。幽霊船伝説をもとにしたオペラなので、あらすじは分かり易く、音楽は極めてドラマティック。「オペラは初めて」の人にもまっさきに勧めたい名作であり、かつ、今回のステージなら、日本に居ながらにして世界水準を体感できるはず。どの世代の方にも、躊躇わずに触れてもらえたらと願っている。
【Information】
兵庫県立芸術文化センター開館20周年記念公演
佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2025
ワーグナー:歌劇《さまよえるオランダ人》
(全3幕/ドイツ語上演・日本語字幕付/新制作)
2025.7/19(土)、7/20(日)、7/21(月・祝)、7/23(水)、7/24(木)、7/26(土)、7/27(日)
各日14:00 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール
指揮:佐渡裕
演出:ミヒャエル・テンメ
管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団
合唱:ひょうごプロデュースオペラ合唱団
出演
オランダ人:ヨーゼフ・ワーグナー★ 髙田智宏☆
ダーラント:ルニ・ブラッタベルク★ 妻屋秀和☆
ゼンタ:シネイド・キャンベル・ウォレス★ 田崎尚美☆
エリック:ロバート・ワトソン★ 宮里直樹☆
マリー:ステファニー・ハウツィール★ 塩崎めぐみ☆
舵手:鈴木准★ 渡辺康☆ ※当初発表より変更いたしました
(★7/19、7/21、7/24、7/27 ☆7/20、7/23、7/26)
問:芸術文化センターチケットオフィス0798-68-0255
兵庫県立芸術文化センター
https://www.gcenter-hyogo.jp/flying-dutchman/

岸 純信 Suminobu Kishi
オペラ研究家。『ぶらあぼ』ほか音楽雑誌&公演プログラムに寄稿、CD&DVD解説多数。NHK Eテレ『らららクラシック』、NHK-FM『オペラファンタスティカ』に出演多し。著書『オペラは手ごわい』(春秋社)、『オペラのひみつ』(メイツ出版)、訳書『ワーグナーとロッシーニ』『作曲家ビュッセル回想録』『歌の女神と学者たち 上巻』(八千代出版)など。大阪大学非常勤講師(オペラ史)。新国立劇場オペラ専門委員など歴任。


