ピアノ、時の流れ、そして音楽に心を澄まして

北とぴあ国際音楽祭2024
北村朋幹フォルテピアノ・リサイタル — シューマン《幻想曲》をめぐって

(C)TAKA MAYUMI

文:青澤隆明

 楽器に手がふれる。そのとき、ほんとうは、なにに、なにがふれているのだろう?
 作曲家には作曲家の、作品には作品の、楽器には楽器の、奏者には奏者の、そして聴き手には聴き手それぞれの時間があり、歳月の深まりや個別の経験というものもある。演奏者の知覚や感性のさきは、かつて夢みられていたはずの、まだきかれてはいない響きのほうへと、その音を手繰り寄せるようにのびている。響きとしてここに起ち上がり、きこえてくるのは、はなれた時の想いを、ひとつのこれからに結ぶことなのではないか。
 北村朋幹のプログラムは、いつも素敵な結び目をつくる。それは時の結び目である以前に、作品というものどうし、そして個々の作品と彼自身との結び目でもある。
 心が動き、考えが巡ることが、その出発点にはあろう。しかし、それを歌うには、声がいる。身体がいる。すなわち楽器が、音楽家の内面を伝えるために、呼び起こされる。
 作曲家が音楽を書くときの、その創造の原初への想像力が、北村朋幹の音楽家としての関心を発動させる大きなモティーフだとしたら、演奏という営みは思索と行為を結びつけるための、過酷だが愉楽に充ちたプロセスであるはずだ。ドイツに渡って以降、時代楽器演奏の知見と研究を本格的に深めたのは、その理解と表現のために必要なことであったのだろう。
 ベートーヴェンとリスト、シューマンの共振を深く歌うプログラムを叶えるのに、今回彼が選んだのは、ウィーンのヨハン・クレーマーが1825年に制作したフォルテピアノである。いや、むしろこの楽器の響きが呼び覚ますのにふさわしい作品として、当時はまだ新しかったはずのこれらの音楽が響き交わすことが求められたのかもしれない。北村朋幹にとって日本で初めて取り組むフォルテピアノでのリサイタルでは、そうして200年前後の時を超えて、作曲家の内面に迫る、初々しい感動と心の揺らめきを、瑞々しくつかもうとしている。
 彼にとって大切な曲であるに違いないシューマンのファンタジーを、そのなかでも歌われるベートーヴェンの「遥かなる恋人に寄す」と結びつけ、リストを頼りつつプログラム全体で円環を結ぶ構想は、2010年録音のデビュー・アルバムでの“展望”を懐かしく想起させもする。しかしこのとき彼はまだドイツにも渡っておらず、時代楽器の経験にしてもいまのようではなかった。なにも楽器のことにかぎらず、近年の解釈の深まりや表現の変容がどのように、この遥かで愛おしいプログラムに結ばれるのか、あらためて楽しみになる。
 シューマンからは「管弦楽のない協奏曲」から、愛するクララ・ヴィークのアンダンティーノによる「変奏曲風に」の楽章も採り上げられる。しかも、初版譜ではなく自筆初稿にもとづき、6つの変奏のかたちで演奏されるようだ。源泉へのまなざしを感じさせる。
 そして、とくに近年、リストの『巡礼の年』全3年に集中して取り組んできたピアニストが、ここでは名作「オーベルマンの谷」を『旅人のアルバム』の初稿版で遡るように辿るのも興味深い。なぜなら、曲集の『第1年 スイス』に彼がとくにつよく心惹かれているのは、その心性の純粋さゆえであるに違いないからだ。
 かくして、「密かに耳を澄ます者のため」の特別な一夜が、この秋の北とぴあ国際音楽祭を幕開けする――。

(C)TAKA MAYUMI

― 北村朋幹からのメッセージ ―

なにか古いものに触れる時、いつもよりもそっと手を近づけてみたりするのは、長い時間の香りのするとても繊細そうなそれを、壊してしまわないように、という無意識な心のはたらきだろうか。
そんな風にして、しばらく鍵盤に触れていると、指先を通して、楽器の内部にある1つ1つの部品の動きが敏感に感じられる気がしてくる。実際にピアノという楽器の巨大な躰の中では、鍵盤が下ろされてハンマーが弦を叩き、我々の耳に音が届くまでに、いくつものとても細かな運動が行われている。
そういったからくりの全てを、かつては人が手作業で、作っていた。

その楽器を作った人の“手”、そしてその楽器が歩んできた“道”、それら全てが楽器には完全に染み付いているから、かれらは唯一無二の個体である。
という風に考えれば、それは人間にも少し似ているのかもしれない、という事が許されるくらいに、今、我々は彩り豊かなそれぞれの道を歩むことが、果たしてできているのだろうか?

ピアノという楽器が一気に華やいだ19世紀に作られた音楽もやはり、それぞれが手作りで、それゆえに個性的で、一筋縄ではいかない。
それらと向き合うことは、古い楽器と触れ合うやり方ととても似ている。
そっと触れて、耳を傾け、理解しようと試みて。

【Information】
北とぴあ国際音楽祭2024
北村朋幹フォルテピアノ・リサイタル

2024.10/26(土)16:00 北とぴあ さくらホール

出演
北村朋幹(フォルテピアノ)

使用楽器
ヨハン・クレーマー 1825年ウィーン製(タカギクラヴィア所蔵)

曲目
ベートーヴェン/リスト:
 ミニョン S.468-1 〈ベートーヴェンによる6つのゲーテ歌曲集〉より     
 連作歌曲集〈遥かなる恋人に寄す〉S.469
シューマン:
 管弦楽のない協奏曲 op.14(1836) より
 “変奏曲風に”(後に削除された2つの変奏曲を含む、自筆譜に基づく版)
リスト:
 オーベルマンの谷 S.156-5〈旅人のアルバム〉より    
シューマン:
 幻想曲 ハ長調 op.17
※都合により曲目が変更になる場合がございます。

問:北区文化振興財団03-5390-1221
https://kitabunka.or.jp/himf/