In memoriam フジコ・ヘミング

Georgii Hemming Ingrid Fuzjko 1932-2024

 ピアニストのフジコ・ヘミングが4月21日、亡くなった。享年92。昨年11月に自宅で転倒して怪我をし、以降の公演をキャンセル。今年3月には膵臓がんと診断され療養していた。

フジコ・ヘミング ©野口博

 日本人ピアニストの母と、スウェーデン人の建築家の父のもと、ベルリンに生まれる。日本に移り住むがやがて父は妻子を残して日本を離れる。その後、5歳から母の手ほどきでピアノを始める。
 10歳からは、父の友人だったロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァーにも師事。青山学院高等部在学中、17歳でコンサートデビュー。その後、東京藝術大学に進学。NHK毎日コンクールに入賞。
 卒業すると本格的な演奏活動に入り、渡邉曉雄指揮による日本フィルなど数多くの国内オーケストラと共演。

 父が帰国してからも国籍はスウェーデンのままだったが、現地に住んだことがないため18歳で国籍を失ってしまう。
 28歳で念願のドイツ留学を果たすが、無国籍のため「避難民」として入国した。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。その後長きにわたりヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む。そしてレナード・バーンスタインからの推薦を得てリサイタルの機会を得るが、直前に風邪をこじらせ聴力を失ってしまう。予定されていた演奏会はすべてキャンセルに。
 その後、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得てピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。

 母の死をきっかけに30年ぶりに帰国。

 1999年、人生を一変させる出来事が起きる。これまでの半生を描いたNHKのドキュメンタリー番組、ETV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』が放映され大反響となる。番組は何度も再放送され、続編『フジコ、ふたたび〜コンサートin奏楽堂』も放送された。

 1999年に発売されたファーストCD『奇蹟のカンパネラ』は200万枚を超えるセールスを記録。これまでに日本ゴールドディスク大賞、4度にわたる各賞のクラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。

 2000年以降は、モスクワフィルハーモニー管弦楽団、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、ベルギー国立管弦楽団、イギリス室内管弦楽団などと共演。2001年には、ニューヨーク・カーネギーホールでリサイタルを開催するなど、活躍の場を海外にも広げていく。

「ぶっ壊れそうなカンパネラだっていいじゃない。
 私はぶっ壊れそうな繊細な芸術家の方が好きだもの。
 完全で機械みたいなのは嫌い。
 少しは間違えてたって構いはしない」

 切れ味鋭く物事を言い切る独特の口調、自身でアレンジするという個性的なファッション。そしてあまりに劇的すぎる生涯。その彼女が奏でるピアノの音は、理屈ではなく多くの人の心を掴み魅了し続けた。

◎TV放映情報
NHK BS
フジコ・ヘミング ショパンの面影を探して ~スペイン・マヨルカ島への旅~
2024.5/4(土・祝)11:00~12:29(初回放送 2022年12月28日)

NHK Eテレ
『おとなのEテレタイムマシン ETV特集 フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』

2024.5/4(土・祝)22:00〜22:45(初回放送 1999年2月11日)
5/6(月・休)13:10〜13:55


ぶらあぼ編集部では、2022年12月4日に、都内のフジコさんの自宅でインタビューをおこないました。自身の生い立ちなどについても語っています。ぜひお読みください。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。