現代最高峰のテノールが導く、はかなくも美しい歌曲の世界
ボストリッジがシューベルト「白鳥の歌」を歌う。英国のテノール特有の繊細な響きで陰影豊かに彫琢するドイツ歌曲。社会学的視点の魔女研究で博士号を持つ彼のアカデミックな探究心も音楽を支える。邦訳版で全440ページの労作『シューベルトの「冬の旅」』(2017)は、詩と音楽の分析を、ときにアニメ『シンプソンズ』のエピソードや自然現象である「幻日(幻の太陽)」の科学的説明など、多角的な視点の中で論じた名著。そんな研究の成果が「白鳥の歌」にも生きる。
ボストリッジはこの歌曲集を2008年にアントニオ・パッパーノと、21年にラルス・フォークトと録音した(フォークトが急逝したのはその翌年)。やや表現のディテールにこだわりがちだった旧盤と比べて、13年後の新盤の語り口はけっして大袈裟でない自然な息づかい。前掲書で彼は、言葉と旋律の関連づけに関してクラシック歌手はもっとボブ・ディランやビリー・ホリデイ、シナトラらの歌の説得力に感化されるべきだと説く。その柔軟さに潜む凄み!
ベートーヴェンの「遥かなる恋人に寄す」と併せたプログラムも心憎い。連作歌曲集の元祖。「白鳥の歌」はもともと歌曲集として企図されたものではないが、冒頭7曲のレルシュタープの詩は「遠く離れた最愛の人」というテーマでほのかに結ばれ、敬愛するベートーヴェンの先例と呼応している。共演ピアノに名手ジュリアス・ドレイク。二人が、未体験の歌曲の宇宙へいざなってくれる。
文:宮本 明
(ぶらあぼ2023年11月号より)
2024.1/19(金)19:00 神奈川県立音楽堂
問:チケットかながわ0570-015-415
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