2つの“B”〜バッハの聖典とブラジルの現代作品のコラボレーション
アントニオ・メネセスは1957年にブラジルのレシフェで生まれ、10歳の時リオデジャネイロ歌劇場首席ホルン奏者だった父の勧めでチェロを始めた。16歳でイタリア出身のチェロ奏者で指揮者、偉大な教育者でもあったアントニオ・ヤニグロ(1918〜89)と出会い、ヨーロッパへ。デュッセルドルフとシュトゥットガルトで教えを受けた。ヤニグロは11歳で20世紀のチェロの巨人パブロ・カザルス(1876〜1973)に才能を認められ、後にパリで本格的に師事した。門下からはメネセス(1982年)、マリオ・ブルネロ(1986年)とチャイコフスキー国際コンクールのチェロ部門優勝者を輩出している。メネセスは1977年のARDミュンヘン国際コンクールでも第1位を得た。
カザルスによって「息を吹き返した」、J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」全6曲をメネセスが最初に録音したのは、1993年。東京・お茶の水のカザルスホールで、かつてカザルスが弾いた名器(1733年製のマッテオ・ゴフリラー)を手に入れてのセッションだった。2004年には英国で再録音を行った。
11月15日、トッパンホールでの「アントニオ・メネセス 無伴奏チェロ・リサイタル」はバッハの「無伴奏」3曲(第1、3、6番)それぞれに先立ち、20世紀生まれのブラジル人作曲家3人の無伴奏チェロ曲を1曲ずつ紹介するユニークな構成だ。
「エティウス・メロス(バッハへのオマージュ)」を作曲したロナウド・ミランダは1948年リオの生まれ。作曲家、教育者だけでなく音楽評論家としても活躍してきたブラジル楽壇の重鎮だ。2人目のアルメイダ・プラドは1943年にサンパウロ州の港湾都市サントスに生まれ、69年から73年のヨーロッパ留学中、パリでオリヴィエ・メシアンとナディア・ブーランジェ、ダルムシュタットでジェルジ・リゲティとルーカス・フォスの教えを受けた。2010年に亡くなるまでに、今回取り上げる「プレアンブルム」を含め400曲以上を作曲、ブラジルを代表するピアニストで指揮者のジョアン・カルロス・マルティンスは「ブラジル音楽史上、恐らく最も重要な作曲家」と追悼した。3人目、1955年サンパウロ州カンピーナス生まれ、音楽番組のプロデューサーとしても活躍するマルコ・パディーリャはプラドの生徒の1人。「インヴォカシオ」 第1番は第2番とともに2005年、「バッハの『無伴奏組曲第6番』の前に置く作品」としてメネセスの委嘱を受け、作曲された。
東京から見れば地球の裏側に位置するブラジルだが、1908年から1世紀の間に26万人以上の日本人が移住、現在も約200万人の日系人が暮らす「遠くて近い国」。早くから日本と縁のあるメネセスの妙技を通じ、「サンバとカーニバル以外のブラジル音楽」を知る好機でもある。
文:池田卓夫
(ぶらあぼ2023年10月号より)
2023.11/15(水)19:00 トッパンホール
問:ヒラサ・オフィス03-5727-8830
https://www.hirasaoffice06.com
他公演
2023.11/12(日) 横浜市港南区民文化センター ひまわりの郷(045-848-0800)
11/18(土) 名古屋/Halle Runde(芸文プレイガイド052-972-0430)