高田正人の『L’opera Vita 〜オペラのある暮らし〜』Vol.2


歌唱、演技とともに、オペラやクラシック音楽初心者にもわかりやすい語り口の解説で定評があり人気の、二期会テノール・高田正人。連載『L’opera Vita 〜オペラのある暮らし〜』第2回は11月23日に開幕した東京二期会オペラ劇場《天国と地獄》ゲネプロの様子とともに、作品をご紹介します!

高田正人

第2回 銃を捨てよう、音楽を手に取ろう、歌を歌おうと叫びたくなるではないか。

写真提供:公益財団法人東京二期会 撮影:西村廣起

オペレッタといえば、歌だけではなくセリフがあり、芝居の要素もオペラに比べてかなりの比重を占める。しかしながら日本の音大は、芝居という分野では、少なくとも僕が学生だった頃かなり世界に遅れをとっていたと思う。 

当時のカリキュラムは、東京藝術大学では学部の3年生から芝居の授業があり、演劇の先生と台本を読む、みたいな授業があったものの、それは座学の域を出ず、台本を覚えたり、立って芝居をしたり、ということは無かった。とにかく基本は歌唱のテクニックを磨くことに特化された4年間だった。 

そもそも日本人は一般的に感情表現が小さい。海外のドラマを見ると日常からして身振り手振りも大きく、表情筋も豊か。日本人がオペレッタなどの海外ものの芝居をするには、我々の日常から考えると幾多の壁を越えていかなければならない。それなのに日本の音大の授業は芝居に時間を割かない。 

僕の通っていたイタリアの音楽院では、Arte Scenica(演劇法)という授業があっていわゆるエチュード(即興芝居)や芝居の一部分を発表するようなものがあったし、アメリカの音大ではシェイクスピアの芝居をやったりすると聞く。イギリスでもスタニスラフスキーのメソードを基礎からやったりとか。それでは差は開いていく一方。 

海外の歌手と一緒に舞台をするとその表現力の豊かさと自然さに驚かされる。じゃあ日本の若き声楽家たちがどう勉強していたかというと、「好きこそ物の上手なれ」戦法。やはり舞台の上で演じることが好きな人たちは、ドラマや映画を見て真似てみたり、芝居を観に行ったり。ディズニーアニメの動きを真似てみる、なんて人もいた(これは結構有効な気がする) 。
とにかく与えられないのなら自らが求めていかなければいけない訳で、芝居が好きな人は学校の外にその方法論を求めたのである。 

最近の音大教育がどのようになっているのかは自分が関わっている部分でしかわからないが、当時に比べれば芝居に対しての重要度は増しているように感じる。 
現に今回の二期会の舞台でも、最近の若手たちは芸達者だなぁと思う。 まぁそもそも腕に覚えがなければオーディションを受けないだろうから、自然とそういう「好きこそ物の上手なれ」な人たちが集まるかもしれない。 
そんなことを考えながら若手たち(と、もちろんベテラン勢)の芝居を楽しませてもらった1ヵ月だった。《天国と地獄》本番の舞台を乞うご期待。 

さて、ギリシャ神話の『オルフェオとエウリディーチェ』はオペラの成立以来、実に多くの作曲家によってオペラ化されてきた。ペーリ、モンテヴェルディ、グルック、最近ではオーコインなど、枚挙に暇(いとま)がない。 
オルフェオの最愛の妻エウリディーチェは、ある日草原で蛇に噛まれ、帰らぬ人となってしまう。 それを知ったオルフェオは嘆き、冥界へ妻を取り戻す旅に出る。 
まずこの設定が良い。 
容姿の仔細はないが、絵画などを見る限りきっとオルフェオはイケメンに決まっている。(神話では妻の死後に何人もの女性に求愛されるが、妻を好きすぎてすべて断るという中身もイケメン!) そのイケメン神が妻に一途で、妻の命を取り戻すために冒険の旅に出るのだ。これだけでも心ときめく。 

オルフェオは父アポロンの能力を受け継ぐ、音楽の神。 剣の力で冥界の化け物たちを切り進んでいくのではなく、竪琴を奏で、歌を歌うことで相手を懐柔させていく。 彼がひとたび竪琴を鳴らせば、森の動物たちはもちろんのこと、木や草までも心地よくなり、石まで柔らかくなってしまったというから凄すぎる! 
彼はこの力で冥界の番犬ケロベロスを眠らせ、魔物たちを恍惚とさせ、一滴も血を流すことなく冥界の王プルートの元に辿り着くのだ。 なんと素晴らしいではないか。銃を捨てよう、音楽を手に取ろう、歌を歌おうと叫びたくなるではないか。 
武力ではなく音楽の力で進んでいくストーリーは、もちろんオペラとの親和性も抜群。 魔法の笛の力で困難を乗り越え王女を救いだすモーツァルトの《魔笛》にも通じるものがある。 

竪琴の音に気を良くした冥界王プルートはエウリディーチェを連れ帰ることを許すが、「ただし、地上に戻るまでは絶対に振り返って妻を見てはいけない」という条件をつける。オルフェオはそれを了承し、喜び勇んで帰途につくが、地上に出る最後の最後で妻のことが心配になり後ろを振り向いてしまう。そして、その刹那エウリディーチェは冥界へと連れ去られてしまうのだった。 
その悲劇性も人々の涙を誘い、クライマックスを盛り上げていく。 
多くの作曲家がオペラの題材に選んだのも納得のドラマ力である。 

この話はヨーロッパ人なら日本における桃太郎とか浦島太郎レベルで知られているギリシャ神話だが、パリで一世を風靡したオッフェンバックの《天国と地獄》はこのお話のパロディ。 この一途な純愛物語を根底から覆し、オルフェとユリディス(エウリディーチェの英語名)はまったく愛し合っていない仮面夫婦、そしてなんとどちらも不倫している、という設定からスタートする!

これは日本で言えば桃太郎のお爺さんとお婆さんが悪党で、お金目当てで桃太郎に鬼退治をそそのかす、とか、浦島太郎が率先して亀をいじめちゃう、とか、そのくらいのインパクトがある。 
天国と地獄版のオルフェの設定は、街の音楽教室で講師をしていて教え子とできちゃう、という音楽の神の子であるあたりを絶妙に生かしたパロディ。一方のユリディスは羊飼いと浮気しているんだけど、この羊飼いは実は冥界の王プルートが変装しているという手の込んだ設定。 
ユリディスはオルフェのヴァイオリンの音を身の毛もよだつくらい嫌っている。オルフェもさっさと離婚したいんだけど、世間体があるので仮面夫婦を続けているわけ。 
なので、ユリディスが蛇に噛まれて死んでしまった時は、それはもう大喜びなのだが・・・、ここに登場するのが「世論」である。 

世論というのは「世間の人々の声」ということなので、本来ならコーラスとかが出てきそうなものだが、このオペレッタでは「世論」という名前の一人のおばさん(失礼)が出てくる。世論の擬人化だが、バリトンとかソプラノとかでなく、メゾソプラノというところが面白い。おばさんの口には絶対勝てない気がするし・・・。 

この「世論」が、オルフェオに「妻が死んで喜ぶとは何事か!! 私はすべてを知ってるわよ! もっと嘆き悲しみなさい! そして冥界に妻を取り戻しに行くのです! そうすればあなたは許され、妻思いの名誉を得られるわよ!」とまくし立てるのである。 
この構図、最近の日本でよく目にする光景ではないですか? 

芸能人などの有名人が不倫をすれば、法律の前に、固有名詞を持たない「世論」に裁かれる。 SNSなどでちょっとでも不用意な発言をすれば、「世論」によって炎上し、社会的な地位をもあっという間に剥奪される。 
現代においては「世論」はもはや法や神を超えた存在ではないか、と。 

このオッフェンバックのオペレッタは1858年に書かれたが、160年経った今でも、そして国は違えども、「世論」の力はまったく衰えないどころか、ネットという新たな環境の下、ますます凄まじく燃え上がっているのである。 
世論にそう言われてしまったら仕方がない。妻にまったく未練のないオルフェではあったが、渋々と冥界(地獄)に旅立っていくのであった。 

地獄にやってきた美人ユリディスの噂は瞬く間に神々の世界を駆け巡り、天国にいる全知全能の神でプルートの兄であるジュピターと、その妻ジュノーの耳にも届く。 ジュピターはパロディになるまでもなく、元々女好き、浮気しまくりの神様。 
当時のローマ人が「全知全能の神ジュピターがあれだけ浮気をするんだから、人間の俺たちがそれを自制できるはずがないだろう!」と言ったとか言わなかったとか(まぁイタリア人なら絶対言いそう)。 

プルートがオルフェを操って冥界に招き入れたユリディスを、もちろんジュピターも狙っていく。そこに色々な神様がやってきて入り乱れ、天国と地獄を舞台に(1幕が現世と天国、2幕が地獄)スピーディーで切れ味の良いオペレッタがハイテンションで展開されていくのだが・・・。 

そんな訳でこのオペレッタは元ネタであるギリシャ神話(ローマ神話)がわかっていると2度も3度も楽しめる作りとなっている。オリンポス12神のマーキュリー、軍神マルス、ヴィーナス、ダイアナ、ミネルヴァ、ジュノー、そしてキューピッドや酒の神バッカスなど、誌面に余裕があれば一人ひとり解説したいくらいだが、さすがに難しいので、是非これを機会に神話の世界を紐解いてみても面白いかもしれない。 

そしてこのオペレッタの面白いところは、この神々もまた、「世論」を気にしながら過ごしているところ。人間も神々も世論に翻弄される様を是非お楽しみあれ。

Information

二期会創立70周年記念公演
東京二期会オペラ劇場 NISSAY OPERA 2022提携
《天国と地獄》

2022.11/23(水・祝)17:00、11/24(木)14:00、11/26(土)14:00、11/27(日)14:00 
日生劇場

演出:鵜山仁
指揮:原田慶太楼
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

出演   
プルート:渡邉公威(11/23, 11/26) 高田正人(11/24, 11/27)
ジュピター:又吉秀樹(11/23, 11/26) 杉浦隆大(11/24, 11/27)
オルフェ:市川浩平(11/23, 11/26) 下村将太(11/24, 11/27)
ジョン・スティクス:髙梨英次郎(11/23, 11/26) 相山潤平(11/24, 11/27)
マーキュリー:中島康晴(11/23, 11/26) 荒木俊雅(11/24, 11/27)
バッカス:鹿野由之(11/23, 11/26) 倉本晋児(11/24, 11/27)
マルス:菅谷公博(11/23, 11/26) 的場正剛(11/24, 11/27)
ユリディス:湯浅桃子(11/23, 11/26) 冨平安希子(11/24, 11/27)
ダイアナ:上田純子(11/23, 11/26) 川田桜香(11/24, 11/27)
世論:竹本節子(11/23, 11/26) 手嶋眞佐子(11/24, 11/27)
ヴィーナス:鷲尾麻衣(11/23, 11/26) 清野友香莉(11/24, 11/27)
キューピット:吉田桃子(11/23, 11/26) 松原典子(11/24, 11/27)
ジュノー:増田のり子(11/23, 11/26) 柴田智子(11/24, 11/27)
ミネルヴァ:北原瑠美(11/23, 11/26) 中野亜維里(11/24, 11/27)
合唱:二期会合唱団

問:二期会チケットセンター03-3796-1831
http://www.nikikai.net
http://www.nikikai.net/lineup/orphee2022/