東京二期会が11月23日から日生劇場でオペレッタ《天国と地獄》を上演する。今年創立70周年をむかえた東京二期会とNISSAY OPERAの提携公演。2019年に初演、日本語歌唱のわかりやすさ、セリフの面白さ、カラフルな衣裳と演劇的な要素をこれでもかと詰め込み大好評を博した舞台の待望の再演だ。
演出は、鵜山仁。いまノリに乗っている若手のホープ、原田慶太楼が指揮を執るが、なんと言っても注目は、この10月からバリトンとして再出発を遂げた、又吉秀樹だ。
(2022年11月 都内稽古場 取材・文・撮影:寺司正彦)
2019年の公演では東京二期会の期待のテノールとしてオルフェ役で出演した又吉。「自分には“笑い”の才能はない」と謙遜するが、14年、二期会デビューにして鮮烈のロールデビューを飾ったオペラ《イドメネオ》のシリアスな役から一転、17年、21年にはオペレッタ《こうもり》でのアイゼンシュタイン、そして19年《天国と地獄》と、いずれも満場の客席を感動と笑いの渦に巻き込んだ。
「前回の《天国と地獄》はほんとうに楽しかったです。オペレッタは自分を解放してくれる存在ですね。観てくださるお客様との距離が近く、演じながらお客様と対話している感覚です。しかも演出の鵜山さんがほんとうに素晴らしく、言葉少ないながらもいつのまにか皆、“鵜山ワールド”に引き込まれている。懐が深くそれぞれの個性や佳さを引き出してくれるので、自由に楽しく演じられました」
その後、公演中止になったものの、22年2月に上演予定だったオペラ《影のない女》では皇帝役に抜擢されるなど、誰の目にも次代を担うテノールとして順風満帆な歌手人生と映る大活躍のなか、今年3月、10月以降テノールからバリトンへと声種を変更すると宣言。11月の《天国と地獄》公演ではバリトンとしてジュピター役で出演する。又吉がバリトンに転向するきっかけとはなんだったか? すると、意外な答えが返ってきた。
「東京藝術大学の声楽科に入った当初はバリトンだったんです。声楽家になりたいという想いだけはありましたが、自分がどこに向かっていくのか、どういう歌手になりたいのかまだわからなかったとき、ヴェルディの《オテロ》に触れて衝撃を覚えました。それからいろんなヴェルディの作品を聴いているなかで、バリトンの役を歌いたいという気持ちがつのりながらも、そのときの自分にはまだ難しいと感じたんです。それで先生に、自分はテノールでいきたいと直談判しました(笑)」
大学時代から10年あまり、テノールとして声を鍛え、2010年第40回イタリア声楽コンコルソにて優勝。12年の第5回トスティ歌曲国際コンクール第3位入賞を経て、14年《イドメネオ》のあとウィーンにて研鑽を積む。
「ちょうどそのころですね、やはりバリトンでと意識し始めたのは。いろんな先生方に『君はテノールではなくバリトンなんじゃない?』と言われるようになり、あるときデジレ・ランカトーレ先生からバリトンの曲を歌ってみて、と言われたんです。《椿姫》のジェルモンのアリア〈プロヴァンスの海と陸〉を歌ったところ『あなたのレパートリーはこれよ!』と(笑)」
35歳になって、今度はイタリアへ留学。ピエロ・カプッチルリ国際コンクール2018で第3位入賞。19年からジェノヴァのカルロフェリーチェ劇場の研修所に所属した。
「希代の名バリトンの名を冠するコンクールで入賞したことは自信になりました。世界中の並み居るバリトンが出場するなかで、3位とはいえバリトン勢では自分が一番成績がよかった(1、2位はソプラノ、テノール)。やはり自分の適性はバリトンなんじゃないか?と思い始めました。ウィリアム・マッテウッツィ先生や、ルチアーナ・セッラ先生からも、二言目にはバリトンだと。そうしたこともあって残りの歌手人生、バリトンの声を育てていきたい、いま決まっている公演が終わったらバリトンに転向しようと考えました」
とはいえ、声種を変更するのは肉体的にも精神的にも容易ではない。時間もかかる。一朝一夕にはできないことだ。
「転向を意識し始めてからもテノールの役を歌いつつ声を調整し、鍛える日々が続きました。なかには、マイケル・スパイアーズさんのように第一線で活躍され、バリトンの作品はバリトンの声で、そして《連隊の娘》を素晴らしいテノールの声で歌われる方もいます。自分でも一瞬、バリトンとテノールどっちもいけるんじゃない?と考えたことはありましたが、いまはもうバリトンとしての道しか考えていません。大好きなヴェルディの作品が歌えるようにそこへ突き進んでいこうと思っています。
もちろんすぐにヴェルディを歌えるとは思っていません。もっと声を成長させて自分の声がヴェルディの音楽に少しでも近づけたらいいなあ、いつかヴェルディを歌えたらと思っています。ヴェルディは特別な存在なんです」
《イドメネオ》での二期会デビューから今日まで、ほぼ2、3年おきに二期会のオペラの舞台に立ってきた。その間、留学も重ねながら慎重に自分の声を見極め、チャンスがあっても無理せず、その時々で自分の声に合った役を大事に歌ってきた又吉らしい言葉だ。
さて、前回のオルフェ役からジュピター役へと変わる今回。声の変化に留まらない難しさもある。
「《天国と地獄》のオルフェ役はある意味、物語の“枠”を作る役。そうした意味では割と自由度がありました。今回のジュピター役は、物語が進む中でいろいろと説明する役割も担います。オルフェとはまた違った面白さ、難しさのある役です。
前回ジュピター役を務められた大川博さんと三戸大久さんは、自分のイメージするジュピターそのものでした。威厳もありながらチャーミング。ともすると彼らを真似してしまいそう。そうすることで面白くなるんじゃないかと思いつつも、真似しても彼らにはかなわない。お二人のジュピターにはそれぞれに個性もあり、それぞれの佳さ、面白さもありました。自分なりのジュピターを演じる難しさ、苦労もある反面、ジュピターの新たな魅力をどう演じられるか、楽しみでもあります」
本公演は、歌唱もセリフも日本語だ。又吉はリサイタルで日本歌曲を多く取り上げ、日本語歌唱の専門家にも指導を受け続けている。
「オペラやオペレッタを日本語で歌うことは、とても大事だと思っています。普段、オペラやオペレッタとあまり馴染みのない方にも、舞台で繰り広げられている世界、音楽とをより結びつけてくれる。そのことで、聴いていただくみなさんも、その世界観により浸れると思うんです」
《天国と地獄》は、グルックのオペラ《オルフェオとエウリディーチェ》のパロディとしてオッフェンバックが書いた。今春、新国立劇場で上演されたオペラを観た方も多いだろう。正式名称は《地獄のオルフェ》。《天国と地獄》の終盤ではグルックの有名なアリアからの引用もある。
「悲劇と喜劇の対比の面白さがありますね。もともとは悲劇で、演じていることは同じなのに、それをおもいっきり喜劇にしながら、風刺もある。その二面性は面白いなあと思います」
指揮の原田慶太楼とは初共演となる。
「とにかくエネルギーに溢れた方ですね。前向きなエネルギーがある。そうしたマエストロとオペレッタでご一緒できるのは、ほんとうに楽しみです」
共演には先輩、後輩、憧れの歌手もいる。
「オルフェ役の市川浩平さんは学生時代憧れの存在でしたので、共演できるのは嬉しいです。ジュピター役でダブルを組む杉浦隆大さんは可愛がっている後輩。そしてなんと言ってもマーキュリー役の中島康晴さんとの共演! 中島さんのCD『PRIMO!』は穴があくほど聴きました。いつかどこかでご一緒できたらと思っていましたので、夢のようです」
この先、さらに成長したバリトンとしてヴェルディを歌う又吉の姿を夢見ながら、まずは11月の《天国と地獄》での“新生”又吉秀樹の活躍に期待したい。
Information
二期会創立70周年記念公演
東京二期会オペラ劇場 NISSAY OPERA 2022提携
《天国と地獄》
2022.11/23(水・祝)17:00、11/24(木)14:00、11/26(土)14:00、11/27(日)14:00
日生劇場
演出:鵜山仁
指揮:原田慶太楼
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
出演
プルート:渡邉公威(11/23, 11/26) 高田正人(11/24, 11/27)
ジュピター:又吉秀樹(11/23, 11/26) 杉浦隆大(11/24, 11/27)
オルフェ:市川浩平(11/23, 11/26) 下村将太(11/24, 11/27)
ジョン・スティクス:髙梨英次郎(11/23, 11/26) 相山潤平(11/24, 11/27)
マーキュリー:中島康晴(11/23, 11/26) 荒木俊雅(11/24, 11/27)
バッカス:鹿野由之(11/23, 11/26) 倉本晋児(11/24, 11/27)
マルス:菅谷公博(11/23, 11/26) 的場正剛(11/24, 11/27)
ユリディス:湯浅桃子(11/23, 11/26) 冨平安希子(11/24, 11/27)
ダイアナ:上田純子(11/23, 11/26) 川田桜香(11/24, 11/27)
世論:竹本節子(11/23, 11/26) 手嶋眞佐子(11/24, 11/27)
ヴィーナス:鷲尾麻衣(11/23, 11/26) 清野友香莉(11/24, 11/27)
キューピット:吉田桃子(11/23, 11/26) 松原典子(11/24, 11/27)
ジュノー:増田のり子(11/23, 11/26) 柴田智子(11/24, 11/27)
ミネルヴァ:北原瑠美(11/23, 11/26) 中野亜維里(11/24, 11/27)
合唱:二期会合唱団
問:二期会チケットセンター03-3796-1831
http://www.nikikai.net
http://www.nikikai.net/lineup/orphee2022/