ジュネーヴ国際音楽コンクール ファイナルをふりかえって

2022秋 高坂はる香の欧州ピアノコンクールめぐり旅日記 3

取材・文:高坂はる香

 ジュネーヴ国際音楽コンクール ピアノ部門、4名のファイナリストによる全ての演奏が終わり、結果が発表されました。

左より)五十嵐薫子、セルゲイ・ベリャフスキー、ケヴィン・チェン、ズージェン・ウェイ
© Anne-Laure Lechat
FIRST PRIZE
Kevin Chen (17 years old, Canada)
SECOND PRIZE 
Sergey Belyavsky (28 years old, Russia)
THIRD PRIZE
Kaoruko Igarashi (28 years old, Japan)  Zijian Wei (24 years old, China)

 優勝は、17歳の中国系カナダ人、ケヴィン・チェンさん! 第3位に、日本の五十嵐薫子さんが入賞です。入賞、各種特別賞はこちら
 個性の異なる4人のファイナリストが協奏曲を聴かせてくれたファイナルを振り返りつつ、コンテスタントの言葉をご紹介したいと思います。

ファイナルの会場ヴィクトリア・ホール © Haruka Kosaka

 ファイナルで共演したのは、ポーランドの女性指揮者、マルゼナ・ディアクン、スイス・ロマンド管弦楽団。そして会場は、ヴィクトリア・ホール。19世紀末に建てられたものは焼失し、1993年に再建されたそうです。その際、装飾画はスイスのドミニク・アッピアが新たに手がけたとのこと。内装がとにかくゴージャス。
 審査員席は、1階の中央。私は2階右サイドのバルコニーで聴いたので、下でどのように聴こえるのかわかりません。あくまで私の席からだと、セミファイナルまでの会場とはうってかわって響きが少なく、“ホールが音をまろやかに混ぜて膨らませてくれる”、みたいな効果は期待できない印象です。

 ズージェン・ウェイさんは、リストのピアノ協奏曲を演奏。あまり響かない会場をものともせず、パワフルな音を鳴らしていきます。リストの音楽に酔いしれた様子で、濃厚にロマンティックな世界を描きました。

Zijian Wei © Anne-Laure Lechat

 続けて登場した五十嵐薫子さんは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。先ほどと同じピアノであるにもかかわらず全く印象の異なるしなやかな音で、柔軟に、溌剌とした音楽を奏でていきます。後半に向かって一層音も通ってきて、躍動感あふれるプロコフィエフを聴かせてくれました。

「多少の緊張はありましたが、この大きな舞台で、すばらしい指揮者、すばらしいオーケストラと演奏できたのが本当に嬉しくて、夢のようで途中からすごく興奮して弾いていました」とのこと。

Kaoruko Igarashi © Anne-Laure Lechat

 プロコフィエフの3番を選んだ理由については、このように語っていました。
「これまで日本のコンクールなどでも弾いてきて安心感があったのと、曲の個性と自分の音色が合うかなと思ったのが一番です。あと、この作品には彼が日本に来た時に耳にした民謡の影響が表れているという説がありますよね。私は、母の実家が徳島で、毎年阿波踊りを踊っているのですが…“にわか連”という、一般の人が飛び込みで踊れるものがあるので。それで、魂としてちょっと近いものを感じているのです。プログラムは即決でした」

Kaoruko Igarashi © Haruka Kosaka

 …あの溌剌と弾むプロコフィエフが阿波踊り仕込みだったとは!第3位入賞、おめでとうございます。

 休憩を挟んで登場したケヴィン・チェンさんは、ショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏。冒頭からしっかり落ち着いた音でピアノを十分に鳴らし、美しくピュアなショパンの世界を描きあげていきます。オーケストラとのコミュニケーションにも問題がなく、17歳の若さでありながら、ソリストとしての多方向のポテンシャルを持っていることが十分にわかりました。

Kevin Chenc

 自然でスムーズ、しかし言いたいことのたくさんある音楽。「あなたの音楽性に最も影響を与えているものは何なのですか?」と尋ねると、静かで控えめな語り口でこのように話してくれました。

「ほとんどが感情です。音楽というのは、何かを伝えるためのとても人間的な方法だと思います。自然な表現方法であり、ユニバーサルな言語です。バックグラウンドがなんであろうと理解してもらうことができ、とてもファンダメンタルなものです」

 チェンさんは優勝に加えて多くの特別賞を受賞していて、セミファイナルのアーティスティック・プロポーザルの賞も受賞。ご本人によると、その内容は「ダンサーとのコラボレーションの企画」とのこと。

「音楽と同様、自然というのはとてもユニバーサルなものだと思うので、自然というテーマを中心においたプロポーザルをしました。他のアートと音楽の関係性を探求するのはとても楽しい。より深く潜ってみたいという気持ちがあります。たとえばこのコンクールでは歌手と共演する機会がありましたが、絵画とか、テキストとか、いろいろなコラボレーションをしてみたいです」

 先のクライバーンコンクールと同様、成熟した感性を持つアジア系ティーンエイジャーの快挙となりました。

Sergey Belyavsky © Anne-Laure Lechat

 最後の奏者となったのは、セルゲイ・ベリャフスキーさん。28歳の余裕、ステージマナーも当然ばっちり。冒頭から期待通りのキレのいい思い音を鳴らし、作品が求める音を、多彩なタッチを使いながら、的確に打ち鳴らしていきます。それにオーケストラも応え、共に走り抜けていくようなエキサイティングなプロコフィエフでした。

 セミファイナルのソロステージでの6番のソナタも印象的だったので、プロコフィエフの音を鳴らすためのような指ですね!と言ったら、「これだけじゃなくて、どんな音だって鳴らせるよ」という答えが返ってきました(もちろんわかってましたよ!)。そんな自信に満ち溢れた感じが、音楽にも滲み出ている。

「この協奏曲はよく弾かれますし、場合によってはとてもつまらない演奏になってしまう。でも僕は今回、何か新しい音楽を届けたいと思いました。そして、遠くまで届く音を鳴らすことも大切です。リハーサルでの録音を聴き返したりして調整したので、うまくいったんじゃないかと思います。コンクールが進むに従って、ピアノの音も開いていく感じがして、とても弾きやすかったです」

 ベリャフスキーさんも、聴衆賞はじめ多くの特別賞を受賞していました。

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 最後に、審査員の児玉桃さんによる、4人のファイナリストについて、若いピアニストに伝えたいことについてのインタビューをご紹介します。

── 今回、審査結果はすぐに決まったと伺いました。

 主にファイナルの印象からということでしたが、もちろん今までに聴いたものの印象を消すことはできませんから、そちらも含めた印象で点数が集計されました。
 今回良かったのは、4人のファイナリスト、みんな個性が違ったこと。セミファイナルも、一人一人の演奏を全部覚えているというくらいです。プログラムの選び方にも特徴があり、表現力の強い人が集まっていました。
 ファイナリストたちの演奏は、また何年かたってから聴きたいですね。

── 優勝者は17歳ですもんね。

 そうですね、可能性がたくさんあります。でも28歳もピアニストとしては十分に若くて、まだまだ可能性がありますよね。
 私の先生の一人だったタチアナ・ニコラーエワさんは、コンクールのあとに大切なのは、さらに前に進んでゆくことだとおっしゃっていました。進まないということは、後ろに戻るということ。同じところにいられるわけではないのです。コンクールをバネに、これからもどんどん前に進んでほしいです。

Kevin Chen © Anne-Laure Lechat

── チェンさんのどのようなところが評価されたのでしょうか?

 お若いのにとてもオーソドックスな演奏をされて、何か変わったことをしようとか、派手な演奏で拍手をたくさんもらおうとか、そういったことを考えていないことが伝わってきたからだと思います。
 若くいろいろな情報に囲まれているなか、そのようにいることは難しいと思いますけれど、先生をはじめ、良い人たちに囲まれた環境にいらっしゃるのだろうと思いました。先生がどなたなのかなど、私は見ていませんけれど。
 プロジェクトの提案でも、考えていることがハッキリしている印象でした。可能性がありますね。

── べリャフスキーさんの印象はかいがでしたか?

 時代がちょっとタイムスリップしたような演奏でしたよね、良い意味で。

── 昔のロシアみたいな。

 そうですね! でも、インタビューを見るとわりとユーモアもある方で。

── 見かけによらず。

 そうなんですよね。経験のある28歳らしいところと、若者的なところのおもしろいミックスだと思いました。音に関してのこだわりが強いことも伝わってきました。なかでも室内楽のリスト「ペトラルカのソネット」のピアノがすばらしかったですね。それまでプロコフィエフなどを弾いたところに、詩的な瞬間が現れて、歌手の歌い方も全く変わって、このコンクールのハイライトといえる演奏だったと思います。

── 優勝者は即決という感じだったのでしょうか?

 1位の方に入れた人、2位の方に入れた人がいたと思います。

── ウェイさんはいかがでしたか。

 リストの協奏曲をオーケストラと演奏するのは初めてだったそうですが、そういう状況でも、マイペースに演奏を楽しむことができるのはすばらしいことだと思いました。これだけプレッシャーが多い環境で、自分の空間を守ることができるのは、ピアニストとしてプラスの能力です。

Kaoruko Igarashi © Anne-Laure Lechat

── そして、日本の五十嵐薫子さんの印象はいかがでしたか?

 素晴らしい演奏をされて、ぜひファイナルに進んでほしいと願っていましたが、私が一人で決められることではないので…ですからファイナリストとなってくれて嬉しかったです。プロコフィエフも、彼女のされたいことがしっかりしているのが伝わってくる演奏で、すごく良かったと思います。
 セミファイナルも、「ハンマークラヴィーア」とシューベルト=リストの「12の歌」という選曲が良かったと思います。
 あとは、日本の進藤さんも、とても才能のある方だと思いましたから、ファイナルに進むことができず残念でした。まだ若くて可能性があるので、がんばってほしいです。

── 最後に、若いピアニストのみなさんに、大切にしてほしいことなどがあれば。

 大切なのは、自分のしたいことをしてゆくということ。それには、自分の分析も大事だと思います。自分で自分の姿を鏡で見ることは難しいと思うのですが、いいところを大切にしながら、成長できるところを見つけて、怖がらずに進んでほしいです。
 また、自分がなぜ音楽をしているのか、今の世の中で音楽家としてどういう役割があるのかも、少し考えられると、音楽の見方が広がって良いと思います。ただ、それを考えることがメインになってはいけないと思うのですが…やっぱりピアニストとしては、まず弾けるということ、音楽や音色を大切にすることが重要ですから。
 人生、うまくいくときもいかないときもあるけど、めげずに進んでいってほしい。ただ、最初から諦めてはいけません。できることは一生懸命、成功すると確信を持って最後までやり遂げなくてはいけません。
 ただ、人生、どうしても自分でコントロールできないこともあるんですよね。そこは仕方ないと思って、その経験もプラスにしてほしい。もちろん、人それぞれに考え方があるとは思いますけれど。
 自分で自分の良いところは褒めながら、あまり悪いところばかり反省しすぎることなく、進んでいってほしいです。

ファイナリストと審査員たち(左から2人目が児玉桃) © Anne-Laure Lechat

♪ 高坂はる香 Haruka Kosaka ♪
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/