取材・文:池上輝彦
フランス伝統のピアニズムを受け継ぐ「山田富士子ピアノ・リサイタル」が5月20日に大阪市のザ・フェニックスホール、同28日に東京の紀尾井ホールで開かれる。山田はパリ国立高等音楽院のペルルミュテール門下で、ラヴェルの孫弟子に当たる。荻須高徳や藤田嗣治らパリゆかりの絵画を所蔵する山田。ウィーン古典派のハイドンから読み解き、ラヴェルの新古典主義の真価を伝える貴重な公演だ。
ピアノが2台並ぶ山田の自宅の一室に、くすんだ青壁の「BLANCHISSERIE(ランドリー店)」を描いた絵が掛かっている。絵の左上には「OGUISS」「1928」のサインも見える。パリで活躍した荻須高徳の「ラ・モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り」(1937年)という有名な作品のキャンバス裏面に描かれた絵だ。「30年ほど前、額縁を修復した際に発見しました。荻須さんにとっては完成した絵だった」と山田は説明する。当時の貧しい画家たちは、塗りつぶした絵の上に新しい絵を描いた。荻須は裏返して描いたのだ。
山田の父は東京銀行(現三菱UFJ銀行)の前身、戦前の横浜正金銀行に勤めた。フランスに赴任し、リヨン支店勤務からパリ出張所の開設に携わった人物だ。「パリの若い画家たちを支援するつもりで絵を購入し、日本にみやげとして持ち帰っていた。ちょっとしたパトロン気分だったと思う」。荻須が渡仏したのは1927年。エコール・ド・パリの時代。パリ生活を振り返ったヘミングウェイの「移動祝祭日」にも、エズラ・パウンドと親交のあった久米民十郎と思われる日本人画家についての文章が出てくる。藤田、佐伯祐三らがパリに集っていた。
荻須も山田の父もパリにいた頃、ラヴェルは脳の疾患が始まりつつある中で「ボレロ」や「ピアノ協奏曲ト長調」を作曲した。晩年のラヴェルから彼のほぼ全ピアノ作品の演奏法を直伝された唯一のピアニストが、ヴラド・ペルルミュテールだ。それから約30年後、山田は東京藝術大学に入学後、1960年代の6年間をフランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に学んだ。そこで彼女が師事したのが、「ラヴェル弾き」として知られたペルルミュテール教授だった。
5月の大阪と東京のリサイタルには、トリにラヴェルの「クープランの墓」を入れている。「パリに留学して初めて触れたラヴェルの作品。最初はわけが分からなかった」。ペルルミュテールからは徹底してバッハやベートーヴェンの作品について指導を受けたという。ラヴェルの音楽については「楽譜に作曲家の意思がすべて書き込まれていると教わった。先生の演奏も、楽譜に忠実に演奏し、あとは自分の出したい響きに向かって進んでいくスタイルだった」と振り返る。
「最近はラヴェルのピアニスティックな技術面を強調している演奏家が多い。ラヴェルはむしろ古典的だと思う。ドビュッシーとは全く違う」。ラヴェルのピアノ曲ほど演奏によって印象が変わる作品群も珍しい。技巧的なサンソン・フランソワ、抒情的なモニク・アース、古典的なペルルミュテールといったところか。
山田のリサイタルはラヴェルの新古典主義の本質へと漕ぎつくようなプログラムだ。1曲目はウィーン古典派の父、ハイドンの「アンダンテと変奏曲Hob.XVII-6」。「ハイドンが大好き。シンプルな作品で、弾き手に丸投げしてくれる感じ。古典であることを意識せず、素のまま入っていける」。ラヴェルには『ハイドンの名によるメヌエット』というピアノ曲もある。
「めったに弾かない」というベートーヴェンも、「ロンドop.51-1」と「ピアノ・ソナタ第18番op.31-3」の2曲を入れた。いずれも中期の明快な曲調の作品で、ハイドンにも通じる。深刻でも重々しくもない新鮮なベートーヴェン像を聴けそうだ。
フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」は独特の選曲だ。ペルルミュテールが留守のとき、女優の岸恵子の義父でピアニストのマルセル・シャンピから指導を受けた曲という。「オルガンの要素が強い作品。シャンピからは『オルガンを聴くべきだ』と言われた」。そこでパリのサントトリニテ教会に通うようになった。この教会の首席オルガニストが作曲家のオリヴィエ・メシアン。「ミサが終わるとメシアンの即興演奏が始まり、感動した」と語る。
山田は国内外での演奏活動のほか、国際コンクールの審査員を務め、桐朋学園大学の教授として後進の指導に当たってきた。荻須や藤田の絵が掛かる自宅で研鑽を積み、パリ音楽院の伝統をいかに伝えるか。録音ではほぼ聴けないピアニストだけに、かけがえのないライブ体験になる。
山田富士子 ピアノ・リサイタル
大阪公演
2022.5/20(金)19:00 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
問:06-6135-0503
artists@gol.com
東京公演
2022.5/28(土)18:00 紀尾井ホール
問:クレオム090-8878-7684
info@creomu.com
[曲目]
ハイドン:アンダンテと変奏曲 Hob.XVII-6
ベートーヴェン: ロンド op.51-1
ベートーヴェン:ソナタ 第18番 op.31-3
フランク:前奏曲、コラールとフーガ
ラヴェル:クープランの墓