水中豊太郎(チューバ) from ボルドー(フランス)
海の向こうの音楽家 vol.6

ぶらあぼONLINE新コーナー:海の向こうの音楽家
テレビなどで海外オケのコンサートを見ていると「あれ、このひと日本人かな?」と思うことがよくありますよね。国内ではあまり名前を知られていなくとも、海外を拠点に活動する音楽家はたくさんいます。勝手が違う異国の地で、生活に不自由を感じることもたくさんあるはず。でもすベては芸術のため。このコーナーでは、そんな海外で暮らし、活動に打ち込む芸術家のリアルをご紹介していきます。
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 第6回は、フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団の首席チューバ奏者として活躍し、現代音楽の初演やダンス・演劇とのコラボレーションなど、多様な活動を展開する水中豊太郎さん。ボルドーは、ヨーロッパの各都市からのアクセスも良く、ワインの産地としても有名な観光地。フランスならではのゆとりある生活や、現地の音楽家たちの働き方などをご紹介。日本では吹奏楽部で演奏されるイメージのチューバですが、フランスでのお稽古事情や音楽との関わり方など、たっぷりとレポートしていただきました。

文・写真提供:水中豊太郎(みずなかあつたろう)

 日本を出て早くも20年になる。現在はフランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団のチューバ奏者として活動している。日本の方には佐渡裕氏が欧州デビューを果たした楽団であることや、オーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督でおなじみのマルク・ミンコフスキ氏がボルドー・オペラ座の総監督、というと親しみやすいかもしれない。街をぶらぶらと歩いていると「先日のコンサート良かったです!」などと声をかけられることもある。たいして有名人でなくても、楽団に1人しかいないチューバ奏者は街の顔になるんだな、とあらためて身が引き締まる。

ONBA(ボルドー・アキテーヌ管弦楽団)リハーサルの様子

 ボルドーはバスク・スペインから車で2時間、パリからもTGVで2時間程度。ロンドンやアムステルダムからは飛行機で1時間半程度と近い。豊かな自然も近く程よい大きさのこの街は「ヨーロッパで住みたい都市」の上位に挙げられる。ワインの産地としても観光地としてもとても人気なので、やはりソムリエやシェフなどの飲食関係やワイン業の方が多く見受けられる。地方在住のメリットは、家族や友人関係に振り回されることなく自分の仕事に打ち込めるという点だ。同じ理由でパリからやってくる人も多い。フランス人は日頃から「自分の時間を持つこと」を尊重してくれるので、日本人にとっては程よい距離感で付き合ってくれるのだ。ゆとりを持った毎日は心が健康になる。そしてゆとりがあると良い仕事ができる。私も毎日の音楽ライフを大切にしつつ、フランス料理とボルドーワインを楽しんでいる。

Tuba Jaialdia(チューバフェスティバル)にて

 私が山口県の田舎町の吹奏楽少年だった頃、初めて聴いたラヴェルの管弦楽曲「ラ・ヴァルス」に凄まじい衝撃を受けた。フランス音楽独特の揺らぎと洗練された色彩感溢れるオーケストレーションにすっかり夢中になり、どうして自分の街にはプロのオーケストラがないのかと酷く嘆いたものである。その後もフランス音楽とそのオーケストレーションに深い関心を持ち、色々な楽団のLPレコードを毎日のように聴き比べ、無意識かつ必然的に自分の将来の方向性が作られていった。

 私の経歴は少々変わっている。 高校卒業と同時に就職し留学するまでの13年間を自衛官として務めた。その職務の特性上「生と死」について深く考えるようになり、コンクール入賞をきっかけに、残りの人生は自分のために大好きな音楽に捧げようと一念発起。貯めたお金を使って渡仏した時はすでに30歳だった。幸い7度目のオーディション挑戦で現在の楽団に採用された訳だが、かなり遅いオケマンデビューだ。 採用当時は演劇音楽グループとの仕事が中心だったこともあって、オケ1年目は「椅子に座ったまま演奏できる」ことに心から感激した。今思うとかなりピントがズレている。

海上自衛隊時代
ボルドーオペラ座のオケピ

 所属のボルドー・アキテーヌ管弦楽団は130名が在籍しているが、事業自体はボルドー国立オペラ座の管理下にあり、合唱団、バレエ団、ホール技術スタッフ、大道具、衣裳、メイク担当など合わせると約400名が携わっている大所帯だ。地元特化型の地方オケだけあって、安価な演奏会料金設定が市民から好評だ。オペラ、バレエ公演もかなり安価で、学生席は8ユーロから観劇できるのが魅力。バレエ団は「名門」と呼ばれるほど公演が成功している。最近、若手バレエダンサーの太田倫功(おおたりく)氏が日本人初のプルミエ・ダンスール(第1舞踊手)に抜擢され、わざわざ彼の追っかけが日本から観劇にやってくるほどの人気ぶりだ。理由は不明だが、オペラ公演は男性に、バレエ公演は女性に人気である。(自分調べ)

 オペラ座が年間プログラムを作成する都合上、歌手との関わりがとても深い。近年の出演をみるとプラシド・ドミンゴ、ナタリー・シュトゥッツマン、サビーヌ・ドゥヴィエル、ヨナス・カウフマン、アンナ・ネトレプコ、ガエル・アルケス、シリル・デュボワなど。地方都市にしては豪華な顔ぶれである。生ドミンゴ写真はすでに「一生のボク記念」に深く刻まれ、シュトゥッツマン女史にもちゃっかり産まれて数ヶ月の息子を抱いてもらい役得である。定期演奏会の招待ソリストも厳選されており、ヴァイオリン奏者のルノー・カピュソン、ピアニストのニコラ・アンゲリッシュ、アレクサンドル・タロー、ファジル・セイなど、人気の音楽家とも共演している。一流のアーティストとの公演はいつも以上に聴衆の熱い拍手と声援を受けるので、ミーハーではなくともグッと来るものがある。

 私が入団してこれまで、パリ、ウィーン、ジュネーブ、ミュンヘン、ザルツブルグなど欧州各地や海外での公演も行っているが、地域に根付く文化育成を目指し、ホームでバレエやオペラの連続公演が多いため担当地域圏外への演奏旅行は稀だ。おかげで2008年の日本公演ツアーの際、チューバの出番のないシューマンとベートーヴェンのプログラムが決定された時は愕然とし、あまりのショックにリアルでがっくり膝をついた。いつの日かぜひ日本の皆さんにもお聴かせしたい。

現代音楽の作曲家シュトックハウゼンの
「The Light」公演の様子
スタジオ撮影の様子(c)CieEVER

 フランスで「国立」と称されるすべての楽団はオーケストラ事業とコンサートホール事業が一体化されており、公共サービスの一環として安定した運営ができていると言える。事業者には作曲者やクリエーターのサポートも義務付けられているため、年間を通して前衛的な管弦楽曲、オペラ、バレエなどの新作の発表がミッションに含まれる。プロジェクトの発表の場を提供するために国営ラジオにはクラシック専門チャンネルがあり、毎年かなりの数の新作が発表されている。これらの予算はすべて税金で賄われているため、楽団員はみんな地方公務員の扱いだ。ラジオクラシックでは日中は室内楽やオーケストラ、ピアノのクラシック作品、深夜帯はオペラや現代曲がよく流れている。車を運転中に自分たちの演奏が聞こえてくる時などはなかなか感慨深い。

 ところでこの仕事も長くなると色々と事件がおこる。「フランス人と仕事をする」という時点で、基本的に価値観が違う。自由奔放な彼らの行動の結果「それはアウトでしょ!」としか言えないことも過去にあった。特に前世代同僚達(定年退職済み)金管奏者はぶっ飛んだ逸話が多い。今回特別に伝説となったエピソードを2つご紹介しよう。

その1:ある港町でのコンサート前の食事休憩に入るトロンボーンメンバー。プログラムの都合で出番待ちが長く、生牡蠣を取りに自家用クルーザーで出港。しかし夢中になって採取している間に引き潮で湾内中央に取り残される。結局出番までに戻って来られなかった。

その2:山奥の町でラジオの演奏会生中継。ラジオ放送では、アナウンサーから金管アンサンブルが紹介されたのに、何故かトランペット独奏が続く。実はこの奏者を除いた他のメンバーは同時刻、運転手を含め、誰も地図も持たずに出発したため、山の中を絶賛迷子中であった。結局全員が到着するまでの約45分、トークとソロ演奏の生放送で乗り切った。

 以上、冗談のような実話である。独占生中継となったラッパ吹きには心からの拍手を送りたい。2例共に限りなく「アウト」だが、当時はスマホなんて無かったし、あくまで事故ということで教育的指導にとどまった。うっかりは誰にでもあるし、寛容は大事だとも思う。そんな彼らに前述の失敗は「五十歩百歩」だと話すと「倍違うじゃん!」と突っ込まれた。ここで文化の違い発見! 算数の話じゃないんだけどなあ。そういえば私も演奏旅行の際に運搬係に楽器を忘れられた経験がある。もはや他人を信用するのが大変である。

子どもコンサート共演の様子

 日本では学校の部活動や楽器店主催の音楽教室が楽器を始めるきっかけになるが、ここフランスには学校の部活動は存在しない。楽器初心者が最初に通う先は街の音楽学校だ。年間200€〜400€前後とお財布にも優しい。公立の教育機関であるため練習室代もチケットノルマも当然無い。試験の際には無料で公式ピアノ伴奏者が付く至れり尽くせりの環境だ。「なぜ?どうして?」という子供の素朴な疑問にも専門家がすぐに答えてくれるので進度は早くなる。ある程度以上の演奏技術と芸術的素養を引き出せるようになった生徒の多くはコンセルヴァトワール・レジョナル(地方音楽院)からコンセルヴァトワール・ナショナル・シュペリウール(国立高等音楽院、パリとリヨンの2校のみ)へと進み、プロの登竜門を辿る。

 何もオーケストラや音楽教員だけが仕事ではない。フランスではすべてのフリーランスのアーティストのために「アンテルミッタン・デュ・スペクタクル」という制度があり、パートタイム就業型の舞台芸術、映画、視聴覚企業で働くアーティストや専門技術者に失業や休業など社会保障をする制度となっている。ジャズ、ポップス、コメディアン、ダンサー、演出家、作曲家、照明技師、 音響技師など、多くの職種が該当する。給料の手取りと同じ額を社会保障の経費に持っていかれるため、出演料の相場は高止まりだ。条件は年間契約が累計507時間を超えること。リハーサルなども含まれるため、実現不可能な数字ではない。

 昨年からのコロナ政策下においてフランスのアクティビティーへの影響は甚大で、「アートは職業か?」などという広告が全国で見受けられるようになった。これは美術館や劇場の閉鎖による税金の無駄遣いが懸念され批判の高まりを受けたことによるものだ。その後もワクチン接種への忌避感から衛生パス導入まで時間を要しているものの、接種率の増加とともに5月から演奏会を再開。当初は収容率50%、段階的に増え、幸いなことに6月終わり頃から100%の収容率でコンサートを行うことができるようなった。同じ頃からレストランや商業施設もほぼ通常営業になり、街の雰囲気も良くなってきている。

Bordeaux Brass Sextet(BBS/ボルドー・ブラス・セクステット)

 定期的に活動している「ボルドー・ブラス・セクステット」も再始動し、聴衆との距離感が近いのが嬉しい。そのほかにも演劇パフォーマンス、即興演奏、他ジャンルとのコラボレーションやクリエーターの新作プロジェクトも始動している。アーティストとして刺激が多いので積極的に継続するつもりだ。複合的な芸術プロジェクトの醍醐味は、規模の大小はあれど多くの人が関わっていることだと思う。演奏家はコンサートで聴衆を興奮と熱狂に包んで初めてその価値が出る。演技・演出に関わった人の数だけ熱量が増し、緻密に組み込まれたサプライズに感動することも多い。スポーツのようにホームランやハットトリックがないのが腕の見せ所だ。

 アマチュアとの活動も活発だ。ボルドー地域で開催される「プランタン・デュ・チューバ」のほか、スペインのアスペイティアのチューバフェスティバルにも参加している。5歳の子どもからヨボヨボのお爺ちゃんまで、約150名が和気藹々とチューバを持つ姿に音楽好きが伝わってきてほっこりさせられる。彼らの笑顔を見て感じたのは、音楽家になった人もならなかった人も、等しく音楽好きだということ。そして彼らの子供もまた音楽に関わり、同じように育っていく。

Printemps du Tuba(プランタン・デュ・チューバ)の様子

 世界を見ると紛争やコロナの流行などネガティブな報道に目を奪われがちだが、今に始まったことではない。どうにもならないことで嘆くより、毎日をポジティブに生きることが一番大切だ。これからも身近に暮らす音楽ファンが楽しめる、心豊かで文化的な「普通の毎日」が続くことを切に願う。

水中豊太郎(チューバ) Atsutaro Mizunaka

 フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団首席チューバ奏者。PESMD Bordeaux Nouvelle-Aquitaine(ボルドー高等音楽教育機関)教授。 ソリストとして協奏曲の演奏だけでなく、シュトゥックハウゼンの「The Light」「Tierskreis」など超絶技巧曲を演技付きで披露。ベネチア現代音楽祭やドナウエッシンゲン現代音楽祭など国際音楽フェスティバルにも招聘されている。これまでにSWRバーデン&フライブルグ放送響、リヨン・オペラ座管弦楽団、モンテカルロ管弦楽団、オーケストラ・レ・シエクルなど名門と共演し録音多数。オーケストラ奏者としての活動の傍ら、演劇やダンス、書道家や彫刻家、音響エンジニアらと共演し、即興を含む多様性のある作品を多く手がけている。
 1970年、山口県岩国市生まれ。海上自衛隊呉音楽隊および陸上自衛隊第13音楽隊の奏者を経て渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。チューバを故メル・カルバートソン、室内楽をミシェル・ベッケ、指揮法をロベルト・ガットの各氏に師事。
Twitter @Tubatsutaro