text:香原斗志(オペラ評論家)
力強いアジリタと余裕の超高音
ファン・ディエゴ・フローレスがヴェルディやプッチーニ、あるいはグノーやマスネなどのフランス・オペラにレパートリーを拡大し、ロッシーニやベッリーニを歌う機会が少なくなった分、その穴を埋めているのがメキシコ出身のテノール、ハビエル・カマレナである。実際、メトロポリタン歌劇場(MET)のスターになったのも、フローレスの代役として登場し、聴衆の心を鷲づかみにしてのことだ。それは2014年、ロッシーニ《ラ・チェネレントラ》のドン・ラミーロ役で、このとき、鳴り止まない拍手にアリアのカバレッタをもう一度歌い、パヴァロッティ、フローレスに続き、ここ70年においてMETでアンコールに応えた3人目の歌手にもなっている。
カマレナは紛れもないベルカント歌手である。叙情的な旋律を、音を漸増させ、ふたたび漸減させるメッサ・ディ・ヴォーチェを駆使しながら表情豊かに歌うことができ、加えて技巧的な装飾に長けている。小さな音符の連なりを敏捷に歌うアジリタを、それぞれに音に明確なアクセントを置きながら力強く刻んでいく能力は抜きんでている。フローレスが現れる以前は、ロッシーニ・テノールといえば特殊な軽い声が多く、特殊なレッジェーロの(軽い)声質の歌手であるかのように思われていたが、フローレスはリリックな声による輝かしい歌唱で力強くアジリタを刻み、ロッシーニ・テノールに対する誤解を覆した。
カマレナはその流れの延長にいる。いわゆるレッジェーロの性質ではなく、密度が高くて音圧の高い声にアジリタが加えられるから、聴き手に強い印象が残る。加えて特筆すべきは、そうした声からあまりに軽々と発せられる超高音である。
2019年3月、METでドニゼッティ《連隊の娘》のトニオ役を歌い、アリア〈ああ友よ、なんて嬉しい日!〉で九つのハイCをいとも簡単に、しかし力強く、輝かしく、最後の音は思い切り伸ばして、圧倒的な喝采を浴びた様子は、同年4月、METライブビューイングでも上映された。見逃した人は、アンコール上映が必見である。この《連隊の娘》は7公演が行われたが、そのすべてでアリアのアンコールに応えたというから、ただ者ではない。ちなみに、カマレナはハイDもかなり余裕をもって響かせる。
ベルカントに力強い生命を吹き込む
ロッシーニはテノールのパートに三点CやDといった超高音をたくさん書きこんでいる。だが、実はロッシーニがオペラを書いていた時代には、テノールが胸声で出す声はだいたい二点A止まりで、それより高い音はファルセットか、胸声と頭声をミックスした音でカバーしていた。超高音は、そうして発せられる柔らかい声で歌われるものだった。こうしうた超高音を胸声で出すようになったのは、ドニゼッティ《ランメルモールのルチア》の初演でエドガルドを歌ったジルベール・ルイ・デュプレが、ロッシーニ《ギヨーム・テル》のアルノール役でハイCを初めて胸声で歌い、聴衆に強い印象を与えてからである。
カマレナが繰り出すハイCやハイDは、デュプレが初めてハイCを胸声で響かせたときの衝撃はこのようなものだったのだろうか、と想像させる。カマレナの歌には、フローレスの歌にくらべると、エレガンスやノーブルな様式感には欠ける。失礼ながら、ルックスもエレガンスには欠けるが、しかし、それを補ってしまうだけの強い力が歌にみなぎっている。
スケジュールを確認すると、ビゼー《真珠とり》のナディール役を除けば、ここ4年ほどの間にカマレナが世界の劇場で歌い、また歌う予定の役は、すべてロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニの3人の手になる作品に限られている。しかも、高度な技巧的歌唱が要求される難役が目立つ。ベルカントのレパートリーに力強い生命を吹き込めるテノールとして、カマレナの存在感はますます強まっていくに違いない。
2018年に発売されたCD「CONTRABENDISTA」(デッカ)を聴いても、カマレナの芸術性の拠りどころと、水準の高さが理解できるだろう。
profile
香原斗志 (Toshi Kahara)
オペラ評論家、音楽評論家。オペラを中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や新聞、公演プログラム、研究紀要などに原稿を執筆。声についての正確な分析と解説に定評がある。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、共著に『イタリア文化事典』(丸善出版)。新刊『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)が好評発売中。