text:香原斗志(オペラ評論家)
パヴァロッティに近いテクニック
だれかと顔が似ていると思うと、声のトーンや話し方まで似ている、ということがよくあるが、この人の場合、体型がルチアーノ・パヴァロッティによく似ていて、歩き方も、手の動かし方も、首の振り方も近しい。さらには顔までが似た雰囲気で、想像がつくと思うが、歌い方もパヴァロッティを彷彿とさせるのである。
テノールの声が空気をつんざくように客席に届き、それを浴びて心地よい、という経験は久しぶりだ。2019年10月末から11月上旬にかけて「ステファン・ポップと仲間たち」というガラ・コンサートが武蔵野、東京、大阪、横浜で開催されたが、メインの出演者であったポップは、大きな体のどこにも力みがなく、余裕で発声している。まるで一流のピッチャーが投げる剛速球のように、その声は強い音圧がかかり、ピンと張りつめているのだが、豊かな倍音をともない、さらには緩急自在なのだ。そして、フォルティッシモもピアニッシモも心地よい。高級車のエンジンがなめらかに吹け上がるのにも似ている。そこもパヴァロッティと似ているが、身につけたテクニックも近いのだろう。
ポップに「顔がパヴァロッティに似ている」と伝えると、豪快に笑いながら、「パヴァロッティが僕の憧れでね。オペラの勉強を始めて最初に観たのが、パヴァロッティが歌う《ラ・ボエーム》の〈冷たい手を〉でしたから。その後、賞をもらったコンクールでも〈冷たい手を〉を歌い、その次にパヴァロッティを聴いたのが《リゴレット》の〈女心の歌〉でした。すぐに気に入って『僕もマントヴァ公爵を歌いたいなあ』と思いましたよ。16歳か17歳だったかなあ」と話してくれた。そもそも歌の勉強を本格的に始めたのは、高校に入る前にたまたま受けた歌のレッスンで先生に「オペラを勉強しなさい。きみは第2のパヴァロッティだ!」といわれたのがきっかけだという。
本人がいま、どこまで意識しているかわからないが、レパートリーもパヴァロッティと近く、それぞれ堂に入っている。上記のコンサートで歌った曲でいえば、《愛の妙薬》の〈人知れぬ涙〉は剛速球のような声を実に柔らかく使って情感を表し、《ラ・ボエーム》の〈冷たい手を〉は芽生えた恋心の熱さと純粋さが旋律にこもり、クライマックスで輝かしいハイCを響かせる。一方、《リゴレット》の〈女心の歌〉では天に突き抜けんばかりにあっけらかん歌い、来年、舞台で初めて歌う《仮面舞踏会》の〈永遠にきみを失えば〉は、王の威厳のなかに心を寄せる人妻を手放す断腸の思いが漂う。
「神が声帯に口づけをした」といわれたパヴァロッティだけの美声はないが、役に没入する力ではパヴァロッティを上回っている。
断れるから成長する
ポップの来日はこれが2度目で、最初は17年10月、藤原歌劇団公演の《ノルマ》でマリエッラ・デヴィーアを相手にポッリオーネを歌い、不世出のディーヴァの相手にふさわしいスタイリッシュな歌が記憶に残っている。デヴィーアは18年5月、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場における《ノルマ》を最後にオペラの舞台から引退したが、その公演も、その4カ月前に彼女がジェノヴァで歌った《ノルマ》も、ポッリオーネはポップであった。
私はその後、ボローニャ歌劇場でミケーレ・マリオッティ指揮のガラ・コンサートや《リゴレット》のマントヴァ公爵などを聴いたが、聴くたびに成長のあとが見られるのは、彼が底抜けに明るい性格とは裏腹に、賢明かつ慎重であることと関係がありそうだ。
ポップはヴェルディが大好きで、いずれはすべての役を歌いたいと語るが、たとえば18年には《ドン・カルロ》のオファーを断っている。「声の成熟を待ったほうがいいという判断です。《トスカ》や《アイーダ》をはじめ、いろいろな役のオファーが来ますが、僕はまだ33歳で、10年ほどのキャリアしかない。いまは《愛の妙薬》や《ランメルモールのルチア》、《ラ・ボエーム》などを歌っていたい」とポップは語る。
ポップの声は大きくて音圧も強いから、ドラマティックな役柄も十分に歌いこなせるはずだが、こうして慎重さを堅持しているから、やわらかい響きも、緩急自在の表現力も、失われるどころかさらに磨かれているのだ。19年4月、ポップは新国立劇場の《ホフマン物語》でタイトルロールを歌うはずだったが、「芸術的理由」でキャンセルした。「芸術的」の意味を尋ねると、「楽譜を読み、先生にも相談した結果、やはりこの役を歌うのはまだ早いと判断した」とのこと。いまの自分の声には重すぎる役のオファーを次々と受け、声をつぶしていく歌手は多い。キャンセルは残念だが、彼の将来のためによしとしたい。大事に声を育ててこそ、成熟したときにより大きな大輪を咲かせることができるのだから。
上記のコンサートは、《トゥーランドット》の〈誰も寝てはならぬ〉で締められた。もちろん、ポップはこのオペラを舞台では歌っていないが、このアリアが余裕をもって伸びやかに歌われ、高いHを含む「Vincero!」がこれほど高らかに長く響いたのは、パヴァロッティ以来かもしれない。ちなみにパヴァロッティも、コンサートで十八番のこのアリアをオペラの舞台で歌った回数はわずかだった。
profile
香原斗志 (Toshi Kahara)
オペラ評論家、音楽評論家。オペラを中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や新聞、公演プログラム、研究紀要などに原稿を執筆。声についての正確な分析と解説に定評がある。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、共著に『イタリア文化事典』(丸善出版)。新刊『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)が好評発売中。