束芋(現代美術家)× 森下真樹(振付家、ダンサー)

 ダンスの森下真樹と現代美術家の束芋は、一見畑違いの取り合わせだ。しかし数年前に偶然パーティーで出会い、生年月日・出生地・血液型・3人姉妹等々の共通点があることを知るや意気投合。2013年には『錆からでた実』を上演し「ダンスと映像の画期的なコラボレーション作品」と高い評価を得た。翌年には京都で再演されたが、今回は束芋が構成・演出・美術として関わり、大きく再構築された作品として上演される。
森下「東京の初演と京都での再演は『私を含めたダンサー3人(川村美紀子、きたまり)と束芋の美術』でしたが、今回私は振付に専念し、ダンスは鈴木美奈子のソロになります」
束芋「再演で『外的な条件が変わっても、本質的な魅力は変わらない』とわかりました。それならさらに大きく変えようと(笑)。なにより初演に関してはプロデューサーから『世間的にあれは〈森下真樹のダンス作品〉だと思われている。それが嫌なら〈束芋作品〉を創ったら?』と焚きつけられまして(笑)」
 森下と束芋は「同じ軸を持ちつつ真逆の部分」があるという。だからこそ鏡像のように互いを通して自分の新たな面を発見できる。一方の内側にある物が、もう一方の外側にある、という「表裏逆転の感触」を本作でも重視した。たとえば初演・再演時において、裏方として音楽や映像に関わった粟津裕介、田中啓介が舞台に上がって演奏するなど、作品中に様々なモティーフが生きる。
 束芋は、今回森下に対し、出演か振付か、どちらかに専念するよう頼んだそうだ。束芋の予想に反して森下は振付を選んだ。
森下「束芋ワールドにどっぷり浸かりたかったのと、作り手として一対一で向き合いたかったからです。私の振りを鈴木さんの身体で踊ってもらうことにも興味がありましたね」
 鈴木はしっかりとした実力と独特な存在感が光るダンサーだ。多くのカンパニー出演のほか、森下とのデュオ作品もある。本作の初演時から振付助手としてクリエイションに関わり、束芋からも信頼が厚い。
 実は束芋は過去にオハッド・ナハリンや康本雅子といった振付家・ダンサーとのコラボ経験を持つ異色の存在だ。しかし今回はかつてないほどじっくりと森下とのクリエイションに取り組むことができたという。
森下「私が気になっていた手の動きを撮影し、束芋に渡すと、それを元に彼女が映像を作る、するとそこに音楽がどう絡むか、と思わせておいて全然違う展開を…という、しりとりのようなことを複雑に絡めながら進めてきました」
 今作では手の動きは重要な役割を果たすが、創作の過程で安部公房の『手』という作品と出会った。
束芋「もう一つ重要なモティーフになっていた『鳩』が小説の主人公で、しかも変容していく、というところまでリンクしていた。小説を採り入れたわけではありませんが、折に触れ指針にはしましたね」
 今回目を引くのは、公演が“映像芝居”と銘打たれている点だ。
束芋「ここでいう“映像”は『身体や映像や音楽など舞台上にあるもの全てが一体となったとき、鑑賞者一人ひとりの頭の中に描き出される物』という意味。“芝居”はその名の通り昔は芝生に座って見ていた観客との距離感です」
 ダンス作品でも映像作品でもない。舞台上の全てが観客の中で結実して初めて実現する作品というわけだ。それは、より観客の胸の奥深くに刺さる必要があるだろう。
束芋「実は今、私と森下さんは40歳なんです。女性にとって、40歳までの人生は生きるためのもの、ここからは上手に死ぬための生き方を考えよう、というのも裏テーマのひとつです」
 別に悲観的なことを言っているのではない。
 タイトルにある「錆」について束芋は「物質が安定した状態にかえろうとする過程」だという。「水や酸素との酸化還元反応によって、いわば錆の生成中は物質が最も活発な状態にあると言えます。私たちも40歳を越えて錆びていくけど(笑)、それは新たな活性をもつことでもあるんです」
 面白かったのは、このインタビュー中、森下が「映像の迫力に身体が負けないようにしたい」といえば、束芋が「生の身体の圧倒的なパワーに対抗するために映像も振り切った物にしないと」と強烈に相手を意識していたことだ。本当の姉妹のような仲の良さだけでなく、「気を抜いたら殺られる」というアーティストとしての鋭利な緊張感で切り結ぶ、特異な舞台になりそうである。
取材・文:乗越たかお 写真:吉田タカユキ
(ぶらあぼ + Danza inside 2016年7月号から) 

束芋 × 森下真樹 映像芝居『錆からでた実』
7/8(金)〜7/10(日) 東京芸術劇場 シアターイースト
問:ハイウッド03-3320-7217 
http://www.geigeki.jp