大野和士が13年ぶりの上演で再びピットに!
〜新国立劇場《トリスタンとイゾルデ》GPレポート

 新国立劇場で2010/11シーズンに初演されたデイヴィッド・マクヴィカー演出のワーグナー《トリスタンとイゾルデ》が、13年ぶりに再演となる。初演は、まだ新国立劇場オペラ芸術監督に就任する前の大野和士が指揮をしたが、今回は大野が手兵の東京都交響楽団を率いてピットに入る。2023/24シーズンの新国立劇場のレパートリーの中でも特に大きな話題となっているこの公演の最終総稽古(ゲネラルプローベ)を取材した。
(2024.3/11 新国立劇場 オペラパレス 取材・文:室田尚子 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場)

左:藤村実穂子(ブランゲーネ) 右:リエネ・キンチャ(イゾルデ)

 マクヴィカーの演出は、シンプルでありながらビジュアル的に強い印象を残すもの。有名な前奏曲の途中から白い月が昇ってきて、この月は色を変えながら終始背景に投影され、第3幕の最終場面では赤い月が沈んでいくことでひとつの閉じた世界を描き出す(ただし台本に忠実に解釈するならば、第1幕と第3幕は太陽なのかもしれない)。装置も大胆にしてシンプル。第1幕では骨組みだけの巨大な船の一部分が動きながら登場。第2幕の森の場面は、背の高い構造物が中央に据えられ、トリスタンとイゾルデが秘密の逢引をする樹木をシンボリックに表す。第3幕は、石が積み上げられた崖のようなものがあり、海の向こうに月(太陽?)が昇っている。色彩としては濃淡のグレーなので、やはり全体的にトリスタンとイゾルデの愛の世界=「夜の世界」を描いているのだと解釈できるだろう。

左:ゾルターン・ニャリ(トリスタン)
右:エギルス・シリンス(クルヴェナール)

 また、マクヴィカーがいっさいの「読み替え」を行っていないことにも注目したい。装置と同様、衣裳もいつの時代、どこの場所ともはっきりと決められないようなスタイル。彼の演出のポイントは、登場人物の性格を丁寧に描いていることだ。感情豊かで気位が高く、利かん気の強いお姫様のイゾルデ。名前が示す通り悲しみと苦悩に満ちているが、若々しい情熱を持った騎士としての資質をのぞかせるトリスタン。年長者としての分別と細やかな気遣いをみせるブランゲーネ。従者のクルヴェナールは直情型の乱暴者だが忠義に厚い。そして世間と秩序の代弁者であるマルケ王。下手な読み替えをしないことで、彼らの人物像が非常によく伝わってくる。

 トリスタン役は、当初予定されていたトルステン・ケールから新国立劇場初登場のゾルターン・ニャリに変更になったが、俳優としてそのキャリアをスタートさせたニャリはビジュアルもイケメンで、また若々しく艶のある声が、トリスタンは年若い青年なのだということを感じさせた。リエネ・キンチャのイゾルデも、まだ自分のことがよくわかっていないが故に愛に突き進んでいく若い女性という感じで、このカップルの「若さ」が全面に押し出され、より一層彼らの愛の純粋さが際立っていた。

 歌手陣でもっとも感銘を受けたのはブランゲーネの藤村実穂子だ。特に第2幕、奥行きのある声質から生まれる柔らかく力強い響きは、歌い手としてこの人が世界的にも稀なレベルにいることをはっきりと示していた。クルヴェナール役のエギルス・シリンスは安定の表現力。そして、マルケ王は大事をとって休演となったヴィルヘルム・シュヴィングハマーに代わってカヴァーの伊藤貴之が歌ったが、王の苦悩や後悔が伝わってくる良いパフォーマンスだった。

 大野和士は、西洋音楽史の転換点となったいわゆる「トリスタン和音」について、これはトリスタンとイゾルデが媚薬を飲んで一瞬自らを見失った後で、初めて愛する相手を認識したことを示すものだ、と解説している(終演後の挨拶の時にも、実際に演じながら説明)。その解釈通り、第1幕でふたりが媚薬を飲んだ直後に鳴り響いたこの和音の美しかったことといったら! 指揮者の解釈を的確に把握し、音へと具現化することにかけては、東京都交響楽団と大野和士とのコンビは高い完成度を持っているといえる。

後列左から2番目:秋谷直之(メロート)
手前左:伊藤貴之(マルケ王)

 全体的に速めのテンポ設定で、2回の休憩を含めて約5時間25分という長さを感じさせない推進力が音楽にもたらされていたことも特筆に値する。それにしても、この《トリスタンとイゾルデ》というオペラにおける管弦楽の雄弁さは、ワーグナー作品の中でも随一ではないだろうか。ぜひ、「前奏曲と愛の死」しか聴いたことがないというオーケストラ・ファンにも足を運んでほしい。音楽だけを聴いていても、十分に満足できる仕上がりとなっている。最後に、当日簡単なパンフレットが配られたが、ドイツ文学者の山崎太郎による「登場人物紹介」が、この作品を知らない人にも物語と音楽の特徴が伝わる素晴らしいものだった。プログラムに解説とともに掲載されるとのことなので、ぜひ公演を訪れた方はプログラムを一読されることをおすすめする。

【Information】
新国立劇場 2023/24シーズン
ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》全3幕(ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付)


2024.3/14(木)16:00
3/17(日)、3/20(水・祝)、3/23(土)、3/26(火)、3/29(金)各日14:00
新国立劇場 オペラパレス


指揮:大野和士
演出:デイヴィッド・マクヴィカー

出演
トリスタン:ゾルターン・ニャリ
マルケ王:ヴィルヘルム・シュヴィングハマー
イゾルデ:リエネ・キンチャ
クルヴェナール:エギルス・シリンス
メロート:秋谷直之
ブランゲーネ:藤村実穂子
牧童:青地英幸
舵取り:駒田敏章
若い船乗りの声:村上公太

合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京都交響楽団

新国立劇場ボックスオフィス03-5352-9999
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/