びわ湖ホール マーラー・シリーズ 沼尻竜典 × 京都市交響楽団

シリーズ第3弾で任期最後に臨む大作「悲劇的」

 沼尻竜典が京都市交響楽団とマーラー交響曲を演奏するシリーズも第3弾となる。これまでに交響曲第4番、第1番と第10番アダージョを取り上げ、いよいよ大作第6番「悲劇的」が演奏される。

 沼尻はびわ湖ホール芸術監督として、ワーグナーの主要作すべてを日本の劇場で初めて上演する快挙を成し遂げつつある。昨年の《パルジファル》は、これまでの集大成といえるほどの見事な出来栄えであった。このワーグナー・チクルスのオケピットに入っているのが京都市交響楽団である。名演を支えるオーケストラの力は絶大であり、《パルジファル》終幕の〈聖金曜日の音楽〉の管弦楽の美しさは格別であった。ワーグナーの楽劇でも後期作品の《神々の黄昏》や《パルジファル》のように、ライトモティーフが重層的に絡み合う複雑なテクスチャーを、沼尻と京響は緻密かつ正確に、見事な音響として聴かせてくれた。

 グスタフ・マーラーは、生前は作曲家より指揮者としてのほうが有名であった。ウィーン、ニューヨーク、ハンブルク、ブダペストなどの大歌劇場の音楽監督を歴任し、それぞれの劇場の水準を劇的に向上させた。ハンブルク時代にチャイコフスキーの前で《エフゲニー・オネーギン》を見事に上演し、作曲者を感嘆させたのは有名な話だ。現在世界最高峰といわれるウィーン国立歌劇場の基礎と最初の黄金時代を築いたのはマーラーであった。そのマーラーが得意としていたレパートリーの中心はワーグナー。マーラーは交響曲を作曲する際、ワーグナーの斬新で多彩なオーケストレーションを自らの血となり肉となるように精一杯吸収して、比類のない見事な音の構造物を造り上げた。ハンブルク時代の20代後半に完成した交響曲第1番「巨人」で、すでにオーケストレーションは、完璧な水準に到達している。

 沼尻と京響がこの第1番を豊かな音色で演奏したのは記憶に新しい。このシリーズ第2回は、第1番と第10番、すなわち交響曲の最初と最後を並べることで、マーラーの作曲の成熟度と作曲思想の変化を体感することもできた。第1回は交響曲第4番に、ベートーヴェン「セリオーソ」のマーラー編曲版を組み合わせるという沼尻流のこだわりもみせた。

 そして第3回は、中期の大作、交響曲第6番「悲劇的」。マーラーのウィーン時代、アルマと結婚したばかりの幸せな時期の傑作である。そんな時に「悲劇的」とは、いかにもマーラーらしい。緩徐楽章だけはアルマの主題が提示されて、美しい陶酔の響きが聴かれる。しかし他の楽章は、皮肉で屈折した世界観が示される。中間の緩徐楽章とスケルツォは指揮者の解釈によって順番が変わり、沼尻がどちらを先に演奏するか、注目の一つだ。またなんといっても、終楽章の「ハンマー」は注目の的だ。通常の楽器ではないハンマーをどのようなものにして、どこで鳴らすか。2回か3回か。これらを含めて、沼尻竜典と京響の演奏への期待はとても大きい。
文:横原千史
(ぶらあぼ2023年3月号より)

2023.3/19(日)14:00 びわ湖ホール 大ホール
問:びわ湖ホールチケットセンター077-523-7136 

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