ウィーンの名器ベーゼンドルファーで奏でるモーツァルト
モーツァルトとその同時代の音楽をライフワークの一つとしてきたピアニストの久元祐子。2016年に始動したモーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会(全6回)が、コロナ禍の延期等を経て、今秋11月に最終回を迎える。フォルテピアノやクラヴィコードなどの歴史的な鍵盤楽器にも造詣の深い久元だが、サントリーホール ブルーローズでの本シリーズは敢えてモダン・ピアノで演奏してきた。
「これまで様々な歴史的楽器も演奏してきました。モーツァルトが愛したシュタインやヴァルターのフォルテピアノは、現代の堅牢でパワフルな楽器とは異なり、軽やかで透明な音色を持っています。このシリーズでは、モーツァルト時代の美学を現代のピアノで再現することを目指してきました。ピアノという楽器が今日まで変遷する中で、もしかするとこぼれ落ちてしまったかもしれない密やかな音色や繊細さを、現代の楽器で表現したいと思っています」
今回使用するピアノは、ベーゼンドルファー280VC(Vienna Concert)ピラミッド・マホガニー。この楽器は、ベーゼンドルファー・アーティストである久元のためにウィーンの工房で制作されたスペシャル・モデルで、パンデミックの少し前に彼女の元にやってきた。典雅なウィンナートーンを保ちつつ、コンチェルトにも通用するパワーも併せ持った楽器で、「pppからfffまで幅広い表現が可能で、こまやかなタッチの変化を敏感に伝えてくれる反応の良さは、まるでピアノが身体の一部になったかのよう」と語る。
「パンデミック前には、ウィーン近郊にあるベーゼンドルファー工房に何度も足を運びました。音色、ハンマーの重さやタッチの細かいところまで打ち合わせを重ね、製作に関わる技術者のみなさんが入念に仕上げてくださいました」
本シリーズでは、ソナタを年代順に取り上げるのではなく、毎回テーマを変え、同じ調の曲を集めたり、他の作曲家の作品と比較したり、また変奏曲など他の鍵盤曲と組み合わせたりと工夫を凝らしてきた。
「最終回は、モーツァルトがウィーンでもっとも輝いていた時代の作品を取り上げます。ロンド ニ長調(K.485)や幻想曲ハ短調(K.475)は《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》の頃の作品で、オペラをそのまま凝縮したような曲です。一方、ヘ長調のソナタ(K.533/494)はモーツァルトが宮廷作曲家に任命された頃に書かれ、皇帝ヨーゼフ二世が好んだフーガ書法なども取り入れた野心あふれる作品です。そして幻想曲(K.475)とハ短調のソナタ(K.457)——これは続けて演奏しますが——は、ベートーヴェンなど後世の作曲家たちに大きな影響を与えました。ベートーヴェンはモーツァルトの短調の世界への憧れをずっと持っていたと思います。その意味で、次につなげるということで短調の世界で終わることにしました。
そして万華鏡のように色がうつろうロンド イ短調(K.511)と洗練の極致とも言えるソナタ ハ長調(K.545)。モーツァルトの光と影の交錯、変幻自在なファンタジーと精緻な音世界を皆様と共有できましたら幸いです」
6年越しのシリーズのフィナーレにふさわしい、深化したモーツァルトを聴かせてくれるに違いない。
取材・文:後藤菜穂子
(ぶらあぼ2022年10月号より)
久元祐子 モーツァルト・ソナタ全曲演奏会 vol.6〈最終回〉
2022.11/23(水・祝)14:00 サントリーホール ブルーローズ(小)
問:プロアルテムジケ03-3943-6677
https://www.proarte.jp