取材・文:林昌英
6月某日、山形市内の文化施設「文翔館」の一室で行われた山形交響楽団のリハーサル。指揮者のあまりに鋭い一閃でJ.シュトラウスⅡ《こうもり》序曲が鮮烈に開始。その瞬間から、流れるような腕の動き、踊りのような体の使い方――全身から音楽があふれ出るマエストロの一挙一動と、愉悦感あふれる演奏に夢中になってしまった。
そのマエストロは、山響常任指揮者の阪哲朗。2019年の就任から、コロナ禍を挟みながらも山響との関係を深めてきて、まさにいま大きな成果を挙げつつある。
阪はドイツのレーゲンスブルク歌劇場で長く音楽総監督を務めた。ドイツでは指揮に加えて日々の上演、運営にまで責任をもつ立場である。演奏以外にも、楽団員や事務局の人事、予算や決算まで、運営のあらゆることに関わることが要求されたという。
「ドイツの歌劇場生活はほとんど会社員のようでした。朝10時に出勤して会議、そして団員の休暇届を受理するかどうかの検討、必要があればその団員との交渉など、日本だと事務局が行うようなことを音楽監督がやります。僕自身が休暇届を出して日本に客演に来ている時でも、楽員に急病人が出たりしてどうするかといった相談の連絡が容赦なく来ます。それを50歳手前まで12年間やったのでもういいかなと思い、隠居するつもりで日本に戻りました。会議やオーディションに忙殺されていたので、自分の時間も取りたかったし、日本で好きなことを少しずつやろうと」
そんな“隠居プラン”も、ゆかりの山形の楽団から声をかけられたことで、音楽ファンにとっては嬉しい形で崩れてしまった。阪の生まれ育ちは京都だが、両親は山形出身。「母が山形市、父が新庄市の出身で、子供の頃から山形によく来ていました。育ちは京都ですが、血は完全に山形です」と語る。
阪はリハーサルで楽員の自発性を引き出すことに注力していた。「本番でいかに自由に楽しくできるか」をモットーとしているが、阪の「自由に」は特別。オケに任せたいポイントはあえて練習で作りこまず、経験ある曲ならわざと練習で音を出さない箇所を作るという手段まで使い(!)、あらゆる方法で楽員の本番の即興性やひらめきを導き出そうとするのである。
「音楽には“こうだ”という答えはありません。例えば同じ曲であっても、音量も弾き方もテンポも、編成や会場で違います。さまざまな状況に応じて変えられるように、細かく練習したり、逆にわざとしなかったり。マンネリが嫌いなんです。歌劇場って同じメンバーで何回もやるので意外とルーティンに陥りがちで、即興性が大事になります。もちろんいい加減な即興じゃなくて、その場に合った音楽をその場で作りあげないといけません。
我々日本人は、細かい楽譜の処理能力は世界一だと思います。ただ、フレーズの抑揚、特に音域の上がり下がりに関しては音量というカテゴリーで、例えばクレッシェンドの有無などで判断してしまいがちです。そうした几帳面な正確さのせいで、せっかくの音楽性を発揮できていない面があるように思います。朗読する時のように、正しい発声、正確な発音だけでなく、その背景や文脈への理解が大事だと思います」
日本人が陥りがちな“正確さ”について、もう少し聞いてみた。
「まず、日本人はきっと世界最高度の教育を受けているからこそ、誤差なく、こんなことを言っては失礼ですが外国人ができそうにないインテンポが続けられるんだと思います。ただ、そこには正確に楽譜を左から右に読むのと、まず先に話のオチのような「フレーズのオチ」がどこにあるのかを調べてから、右から左に読むのかのような違いがあるような気がします。日本では3cm×4で12cmみたいなインテンポなのですが、欧州ではここからここまでは15cmくらいあれば足りるよね、と12cmを出してくる。そして、その12cmの間の伸び縮みをどの程度フレキシブルなものにするかをスタイルによって考えます。
あと、僕は“ワルツは4拍子”と言ってやっています。ワルツは4小節で1回転する踊りで、先に言った「4拍子」の感覚で捉えると、8小節(実際には32小節)経過したところでお辞儀してパートナーチェンジです。それを各小節で1・2・3、1・2・3とやってしまうと、ずっと1拍子みたいになっちゃいます。起承転結で回ればいいんです。その感じ方が違う」
ウインナ・ワルツといえば2拍目のタイミングがどうといった話に目が行きやすいが、そういう次元ではなく、大きな流れで「踊りのワルツ」を捉えることこそが本質、というのは目から鱗が落ちる思い。そのワルツや《こうもり》序曲のようなウィーンものは、阪と山響の得意レパートリーのひとつになっているが、日本でそういう表現ができる山響は貴重な存在だ。
「他の楽団に客演したときに、山響なら違うかなと思うことが多くなりました。それだけ僕と何かを共有しようとしてくれているのを感じています。ぼくは自主性を引き出そうと“どうしたい?”って聞いちゃいますし、ソロがあるときにわざと違うところを向いて振ったりもします。とにかくマンネリがいやなんですが(笑)、山響では遊びを楽しめるようになってきています」
阪はインタビュー中に何度も「演奏で遊びがしたいんですよ」と繰り返していた。その思いを表現する指揮ぶりは自在で変化に富むが、演奏は野放図にはならず、瑞々しさをたたえながらいつの間にか楽曲としてまとまっていく。マエストロの手腕と、山響の理解の深まりには唸らされる。
このインタビューはリハーサル終了後に行われたが、阪は疲れを見せないどころか圧倒的なエネルギーで、興味深い音楽の話が尽きなかった。近年は実演やテレビ等で彼の指揮を体験できる機会が多くなり、存在感がますます大きくなっている。もしかすると日本に新たな潮流を生み出すかもしれない。マエストロ阪哲朗の今後の活躍が楽しみでならない。
【山形交響楽団 今後の演奏会】
特別演奏会
鈴木秀美オラトリオシリーズ特別演奏会"真夏の「メサイア」”
~やまぎん県民ホールシリーズVol.3~
2022.8/7(日)14:00 やまぎん県民ホール
指揮:鈴木秀美
ソプラノ:中江早希
カウンターテナー:上杉清仁
テノール:谷口洋介
バス:氷見健一郎
合唱:山響アマデウスコア
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」HWV56
問:山響チケットサービス 023-616-6607
https://www.yamakyo.or.jp