text:林 昌英
「知る人ぞ知る」という知名度だった作品が、すばらしい名演や名録音によって一気に人気作となることが稀にある。日本におけるその代表例のひとつが、ヴァシーリー・カリンニコフ(1866〜1901)の交響曲第1番ではないだろうか。
まず、その“名演”とは、1993年2月、NHK交響楽団の定期演奏会にロシアの巨匠指揮者エフゲニー・スヴェトラーノフが客演したときのもの。それまでは、ソヴィエト時代の録音は存在していたものの、ロシア音楽愛好家を除けば、一般にはカリンニコフはそれほど知られていない作曲家だった。しかし、スヴェトラーノフのすばらしい統率により、N響がロシア楽団もかくやという音色と熱気で、雄大そのものの大変な名演を繰り広げた。テレビで全国放送されたことで、一気に再評価が進んだのである。
“名録音”の方は、1995年、NAXOSレーベルから発売された、カリンニコフの2曲の交響曲をカップリングしたCDである(テオドレ・クチャル指揮&ウクライナ国立交響楽団)。ベストセラーとなり、同レーベルの知名度自体を飛躍的に高めたともされるほど。その後には先述のスヴェトラーノフ&N響の第1番の録音もリリースされ、改めて注目された。本作を愛する人の多くは、これらのいずれかに接しているのではないだろうか。
こうして振り返ると、本作は、平成の初期に一気にブームとなって、約30年の間に人気が完全に定着した、代表的な楽曲のひとつと言って差し支えないだろう。本作がブームとなった理由は、何といってもメロディの美しさだろう。第1楽章の冒頭から、哀愁漂う印象的な旋律で開始。第2主題はひたすら泣ける屈指の名旋律で、聴く人の心をわしづかみにしてしまう。続く第2楽章は繊細なロマンにあふれる緩徐楽章で、ハープを中心とした抒情的な響きの中、息の長い名旋律を堪能できる。第3楽章の勇壮なスケルツォは楽しさ抜群。第4楽章は第1楽章の主題の再現で始まり、快速の動きに満ちた楽しいフィナーレで、最後は感動的なクライマックスを築き上げる。全曲にわたり、19世紀ロシアの作品ならではの、すばらしい旋律美と甘美なロマン、一方で野趣あふれる熱狂と興奮、これらを好ましく満喫できる。しかも、下品な表現になることはなく、オーケストレーションや構成に一種の品格すら漂っているのが、本作に絶妙な懐の深さを与えている。
このような魅力作をのこしてくれたカリンニコフだが、彼自身は経済的にも体調的にも恵まれない不運な人生を送り、35歳を迎える直前に早逝してしまった、不遇の作曲家だった。
1866年ロシア生まれ。モスクワ音楽院に入学するが、程なくして金銭的な理由で中退せざるを得なくなった。彼の才能を見込んだチャイコフスキーが、劇場の指揮者の仕事に推薦して後押しするが、結核を患ってそれも断念することになってしまった。それでも作曲活動は続け、1894〜95年にはこの交響曲第1番が作られた。出版や初演にこぎつけるのにも苦難の連続だったが、彼の才能を認める仲間の尽力もあり。97年の初演は成功を収める。しかし、その名誉と収入の恩恵もむなしく、1901年、30代半ばにしてその不運な人生を閉じたのである。
とはいえ、交響曲第1番には不幸の影は欠片もなく、音楽の喜び、そして人生の喜びに満ちている。作曲の技術的には進化の余地もあるかもしれないが、本作で見せる感性の洗練や品格には、疑いようのない才能と個性が刻印されている。同時代、特にヨーロッパでは、作曲家個人の感情が露骨に反映された作品が生まれていたが、カリンニコフはむしろモーツァルトなど古典派の精神に近いスタンスで創作活動に臨んでいたのかもしれない。彼の不遇が本作の価値を高めているわけではないことは言うまでもないが、その生涯を知るほどに、感銘がいっそう深まることも確か。彼がもう少しでも長く作曲できていれば、と惜しまれてならない。
彼の記念碑的作品ともいえる交響曲第1番——この愛すべきシンフォニーがある限り、カリンニコフの名前は忘れられることはない。
【推薦録音】
カリンニコフ:交響曲第1番 他
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
NHK交響楽団
キングレコード
KICC-3018
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
ソヴィエト国立交響楽団
Melodiya
MELCD1001995
ネーメ・ヤルヴィ指揮
スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
Chandos
PCHAN9546
テオドレ・クチャル指揮
ウクライナ国立交響楽団
NAXOS
8553417
profile
林 昌英(Masahide Hayashi/音楽ライター)
『ぶらあぼ』等の音楽誌、ウェブメディア、コンサート・プログラム他で記事を執筆。出版社勤務を経て、音楽誌の制作等に携わりながらフリー音楽ライターとして活動を続ける。現在は桐朋学園大学音楽学部カレッジ・ディプロマ・コース音楽学専攻に在学中。