ベルギー在住のフルート&フラウト・トラヴェルソ奏者で、せとうち国際古楽祭の芸術監督を務める柴田俊幸さんが、故郷の高松で「デリバリー古楽」の取り組みをスタートさせました。演奏家の多くが実演の機会を失っている一方、さまざまな新しい試みもおこなわれています。ソーシャルディスタンスの確保が叫ばれるなか、わたしたちが音楽を聴く場は、今後どのように変わっていくのでしょうか。
ベルギーに戻ることが叶わず、なんとか音楽を届けようと日本で奮闘する柴田さんが、この数ヶ月の状況と新プロジェクトについてレポートしてくれました。
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ベルギー在住のフルート&フラウト・トラヴェルソ奏者の柴田俊幸です。アントワープ王立音楽院音楽図書館・フランダース音楽研究所にて研究員として勤務もしていました。
まずは過去形の話から、始めさせてください。
2019年の12月、僕は、フランスはメッツの古楽器オケのル・コンセール・ロラン、そしてドレスデン室内合唱団とともに、バッハのクリスマス・カンタータとマニフィカトの演奏旅行に参加していました。指揮者はベルリンRIAS室内合唱団の前音楽監督のマルクス・クリードで、最後の目的地はブダペストでした。ライヴ中継も入り、コンサート後のホテルで美味しいビールをみんなで飲んで、来年のクリスマスの再会を誓いました。
ベルギーに戻れない! そして、せとうち国際古楽祭のゆくえは・・・
翌日、僕はベルギーに帰らず東京に飛びます。図書館の仕事も、幸いリモートワークが許されているので、4月12日に行われる「せとうち国際古楽祭2020」(旧たかまつ国際古楽祭)の準備をしに日本に向かったのです。コロナの報道が始まったのは年始頃だったかもしれません。アジア人がヨーロッパで差別されているなどの報道も出ており心配でしたが、3月中旬にはヨーロッパに一度戻る予定でした。
毎年、この受難節にはヨーロッパ中でバッハのマタイ受難曲やヨハネ受難曲が演奏され、古楽器奏者たちからすると、この時期はヨーロッパ中のいろいろな楽団に呼ばれて、再会を分かち合ったり、初めて会って意気投合したり、一番人とかかわる季節なのです。
しかし、私たちを待っていたのは新型コロナウイルスという大きな困難でした。演奏会のキャンセルがそれこそ世界的に相次ぎました。
僕のところにも、3月14日までには、ヨーロッパで予定していた受難節のすべてのコンサートが中止という知らせが届きました。それでも予定通り、翌日、ベルギーに一度戻るため、羽田空港に向かっていました。しかし、ベルギーの友人からFacebookメッセンジャーで「帰ってくるな、すぐに渡航禁止令がかかる。こちらの状況はかなり悪いから、日本にステイできるんだったらそうしたほうがいい」という連絡があり、やむなく渡航を取りやめました。あまりに予想を超える出来事に、まるで映画の世界にいるようでした(その後、ベルギーでは死者が9000人を超えたとの報道がありました)。
3月17日、香川県で初めての感染者が出たとニュースが入り、その日の夜にはオランダ、そして翌日にはベルギーも海外渡航を禁止しました。その結果、「せとうち国際古楽祭」のゲストが2人、出演できなくなりました。一方で、日本ではアンドラーシュ・シフなどの演奏会は入場制限と感染症対策を徹底したうえでおこなわれていたので、音楽祭開催への希望は捨てていませんでした。オランダから来日予定だったフォルテピアノ奏者の七條恵子さんの代わりに、小倉貴久子さんに古楽祭への参加をお願いしました。
しかしながら、関係者との話し合いを重ね、3月25日、無期限での延期を決定しました。東京にいた僕は、決定後すぐに新幹線で香川県に戻り、2週間の自宅隔離を行いました。その後、コロナ収束の目処が立たないこともあり、正式に今年の古楽祭を「中止」にする決断を下しました。
人生で初めて経験した音楽会の「中止」。これまで1年以上かけて、この「ベートーヴェンへのタイムトンネル」企画を温めてきた3人のフォルテピアノ奏者の方々、そしてフォルテピアノ修復家の太田垣至さんに、芸術監督としてどうお詫びすればいいのか。眠れない夜が続きました。音楽家としてもプロデューサーとしても、どん底に突き落とされたような気分になりました。
感染リスクを最小限にした「デリバリー古楽」
そんな中、4月にはネット上で多重録音で演奏をおこなう音楽家たちの取り組みがみられるようになりました。楽しそうなので僕も試してみました。が、どうもしっくりきませんでした。僕自身が機械音痴だったのもあるのですが、ある程度いいマイクを使っても、やはり耳慣れたアコースティックの音には程遠かったのです。僕が音楽を始めたのは、やはり楽器の奏でる生音が好きだったからだったことを思い出しました。
同時にコンサートホールのプロデューサーさんたちとお話をするなかで、一番問題になっていたのが、舞台上の「密」と観客席の「密」、この2つの「密」をどうやって予防するのか、でした。議論を進めるうちに、演奏者と観客を1対1にして、時間もものすごく短くする。もし、どちらかが調子が悪ければ音楽会を開かない。こんな風にルールをつくれば、限りなくリスクをゼロに近づけた演奏会ができるのではないか、と考えました。それが「デリバリー古楽」の原点になりました。
あまり感染者も出ていなかった香川県は一軒家も多く、現代の楽器よりも音量も小さい古楽器なら、一般の家庭でも演奏会が開けると思いました。
そんな中、ドイツのオーケストラと大学の研究チームがエアロゾルの飛沫に関する実験を行い、感染対策の論文を発表したのです。その研究の報告によると、管楽器の中でも、呼気が外に流れるフルートの感染リスクが比較的高いとされていました。何か保護装置を作ったほうがいいなと思い、香川県を代表する舞台美術作家のカミイケタクヤさんのところを訪ねて、「香川らしい」フルーティスト用フェイスシールドを作ってもらいました。
「デリバリー古楽」では注文を受けて「古楽」を皆様の家にお届けします。 今のところは香川県内のみですが、コロナ収束後、徐々に全国へのデリバリーも検討しています。
このデリバリー古楽ですが、いわゆるサロンコンサートです。これまでに演奏したプログラムは、クープランの「恋のうぐいす」、バッハの「無伴奏フルートのためのパルティータ」などです。実際にオーダーされたお客様は家族単位で聴いてくださる方が多く、「今までもサロンコンサートを企画したかったんだけど、なんか格式高いイメージがあって…。デリバリーという響きが気軽で頼みやすい」とも言ってくださいました。本当は演奏会後にお茶もご一緒できればいいのですが、感染症対策として、玄関先やお庭で「密」を避けてほんの少し話をして帰るようにしています。
ひょっとすると、コロナの後にはクラシック界のパラダイムシフトが起こるのではないか、と思っています。というのも、しばらくは密の発生する演奏会にお客さんがすぐには戻るとは思えません。文化芸術への助成金などのカットなどが進められると、このような気軽で小規模のサロンコンサートが増える、そんな気がします(この記事を書いている時、バイエルン放送交響楽団が出張コンサートを始めたというニュースも入ってきました!)。
ひょっとしたら新しいクラシックファンの獲得につながり、古楽や室内楽全体の存在価値が上がるのではと思わせてくれる、このデリバリー古楽の魅力、皆さんにもいつか体験していただきたいと思います。
写真提供・文:柴田俊幸
Profile
柴田俊幸 Toshiyuki Shibata
ベルギー在住。フルート/フラウト・トラヴェルソ奏者。アントワープ王立音楽院音楽図書館/フランダース音楽研究所 研究員。これまでにブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団、ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメントなどで演奏。2019年には、B’Rock オーケストラの日本ツアーのソリストに抜擢される。
CD「C.P.E.バッハのフルートソナタ集」レコード芸術輸入盤CD特選盤
https://www.toshiyuki-shibata.com
【柴田俊幸出演 公演情報】
◎英BBC新世代アーティスト コンソーネ弦楽四重奏団 日本初ツアー
2020.9/ 11(金) 愛知/宗次ホール
9/12(土) 広島/福山アライアンス教会
9/14(月) 静岡/浜松市楽器博物館
9/15(火) 東京/かつしかシンフォニーヒルズ アイリスホール
出演:コンソーネ弦楽四重奏団、川口成彦(静岡、東京公演のみ)、 柴田俊幸(愛知公演を除く)
問: consone2020japan@gmail.com
(新型コロナウィルス感染症の拡大に伴い、現在チケットの発売を一時停止中)
◎シギスヴァルト・クイケン(指揮/ヴァイオリン) ラ・プティット・バンド
2020.10/31(土) 15:00 大阪/住友生命いずみホール(06-6944-1188)
11/1(日)15:00 福岡シンフォニーホール(092-725-9112)
11/3(火・祝)15:00 東京/すみだトリフォニーホール(日本アーティストチケットセンター03-5377-7766)