ーー今回の《ドン・カルロ》の公演で、エリザベッタ役をどのように演じたいと思っていらっしゃいますか?
エリザベッタのイメージをわかりやすく伝えられたらと思います。
あまり感情的でない役柄ですので彼女のイメージを表現するのはなかなか難しいのです。ところどころで感情が現れるのですが、例えば第4幕は、ずっと感情を隠し続けなければいけないのです。彼女はあまり感情を表に出す人ではないけれど、周りの出来事にとても強く心を痛めているのです。そこがエリザベッタ役の真骨頂でもあるのですが、だからこそカルロとの別れのシーンもドラマティックなデュエットになります。感情の限界を超えないけれど、どれだけ深い心の傷を負っているか、どれほど孤独かを表現する、その絶妙なバランスがとても面白いキャラクターだし、またそこが難しい部分でもあります。
ーー今回新しい演出ですが、どのような特徴がありますか?
とてもシンプルな演出だと思います。舞台装飾も最小限に抑えられていますが、それが演技をする上で少し難しい部分でもあります。舞台装飾によって演技が助けられることもありますから。第4幕以外、舞台上にはほとんど何もありません。一人掛けソファと、ちょっと寄りかかれるものが置いてあるだけです。でもこれは演出家があえて狙った演出かもしれません。人生の禁欲的な部分や、孤独、空虚感、何
かが足りない感覚を表現するという意味で。衣装は豪華なのですが、舞台はシンプルで、そして陰鬱な感じがするかもしれません。
ーーエリザベッタはどんな女性なのでしょうか?
私が思うに、彼女は王妃になってからは感情を自分の中に閉じ込めてしまっています。まだ若いけれど、早く大人になるしかなく、感情を表に出さないようにしています。それが観客には冷たく感じられてしまうかもしれません。作品中、いくつか感情があふれ出るシーンもあります。例えば、彼女の女官がフランスへ送り返されるシーンとか、第一幕のカルロとのデュエットで一生懸命に王妃としての自分を保とうとしているところとか、第四幕で王に面と向かって抗議するシーンなど。ここは月並みな夫婦喧嘩かもしれません、王も女王も人間ですから。彼女にもそういう感情はあるわけです。しかし彼女は、このように一瞬、感情を露わにしたかと思うと、すぐに自分の殻に閉じこもってしまいます。彼女はそんな役柄です。彼女はいつも自分の感情を抑えているのです。最後のアリアでは、「私は自分に課せられた苦難を背負っていかなくてはならない、私は安らぎを望むだけ」と神と会話する部分があります。彼女は王妃として運命づけられ、そこに彼女の幸せはない。王妃という十字架を背負い続けなければならない。愛する人とも別れ、自分を犠牲にして。こういうとても波乱万丈な人生ですが、その上、その感情を誰にもぶつけることができないのです。
ーー確か、原作ではエリザベッタはかなり若いですよね。
彼女はまだ本当に若くして、少女のままあのような環境に置かれ、表向きは王妃ですが、その実は怯えた子供に過ぎません。周りを見るだけで精一杯で、そこに渦巻く、誰かへの憎しみだとか、そういった感情を実感することすらまだ出来ていない感じです。そのような宮殿の中で戸惑っているのです。また彼女はとても若いので、自分の感情を最後まで隠しきれません。ただ、驚きと恐怖で怯えて自分の殻に閉じこもっているだけなのです。エリザベッタの解釈はいろいろありますが、彼女は王妃になるべくして育てられてきたわけですから、デュエットなどで感情を爆発させたり、舞台袖の幕を破ったり、というようなことはしません。そこは王妃であり、カルメンとは違うのです。同じくらい激しい感情があったとしても、王妃として受けた教育が、それを表に出させないのです。彼女はまだ人生の経験もなく、裏切られることに対する耐性もない。あの宝石箱が王の手元にあり、それはエボリ公女が持ち出したということなど、全く予想していなかったことでした。それとは違い、エボリ公女は駆け引きも陰謀もよく理解していて、水を得たように振る舞います。一方でエリザベッタは簡単に騙され裏切られます。裏切りに慣れていない彼女は、常に標的となって打たれ続けていくのです。イメージ的に言えば、かろうじて立っているような状態でしょう。
ーーロストフ・ナ・ダヌー出身で、音楽のキャリアは、いつ頃声楽を始めたのでしょうか?
私は、タガンログの教育大学の音楽学科に入学しました。そして20歳の時、まだ教育大学に通いながら、音楽院の入学試験オーディションを受けました。歌ったのは皇帝の花嫁のマルファのアリア、とても難しいアリアでした。そこで他の受験者よりも気に入られ、音楽院に編入しました。大学の方で4年勉強していましたから、その残りを音楽院で勉強することになったのです。そして音楽院で勉強しながら、今度はミュージカル・コメディ劇場に入団しました。その後、オペレッタでも歌うようになりました。サーカスの王女や、ジプシー男爵、チャルダッシュの女王などにも出演しました。でも、歌ってみて、これは私のジャンルではないとわかりました。軽い、簡単なジャンルだと思ったからではありません。その反対で、とても難しいジャンルだとわかったのです。オペレッタではセリフを言わなければならないのです。それは音楽院では学ばなかったことでした。舞台上でのセリフの言い方を学ぶ授業はありませんでしたから。それからダンスもこなさないといけませんでした。歌って踊るというのは、とても難しいジャンルです。とても簡単とは言えません(笑)また、私は性格的に完璧主義者で、オペレッタで半分喋りながら半分歌ってという中途半端なヴォーカルが性に合いませんでした。私は歌もまだとてもうまいわけではなかったけど、思いきり歌えないことがいつも気になっていました。オペレッタをやめたのは、もっと歌が上手くなりたいと思ったからです。ロストフではこれ以上無理だと思っていたところに、マリインスキー劇場のオーディションを受ける機会を得てとても嬉しかったです。勉強するにはかなり歳をとっていたけど、ゼロから学びなおすことにしました。いい声を持っているだけではダメで、歌い方を知らなければいけないのです。ロストフではその部分を学ぶことはできませんでした。こうして新しいスタートを切ったのは28歳の時でした。
ーー新しい世界に飛び込もうとしたきっかけは?何がそうさせたのですか?
蝶々夫人の演出に、ユーリー・アレクサンドロフという有名な演出家がやってきたんです。素晴らしい監督で、彼との仕事はとても楽しかったのですが、その彼が、マリインスキー劇場に若手歌手のアカデミーがあることを教えてくれたのです。監督は、アカデミーにトライしてみるべきだ、年齢的にも28歳でギリギリだし、迷わずにやってみたらいい、私の演出作品に出演したことを言い添えてあげるから、その先は自分でやってごらん、と言ってくださったのです。
ーーマエストロ・ゲルギエフは若手の歌手をよく起用しますね。
そうですね。それはアカデミーがあるということもあるし、またアカデミーに限らず常に若手の歌手がオーディションに参加することも歓迎する雰囲気があります。マリインスキーにはここ数年、本当に素晴らしい若手歌手がたくさん揃っていますね。
ーーマエストロとの共演は要求も多くて歌手も大変だと思いますが、彼と仕事をする上でどんなところが大変で、どんなところが楽しいですか?
一番大変なのは、パートを早く覚える事です。しかも暗譜するだけでなく、きちんと歌えていなければいけません。それでようやく追いついていける感じです。ここはマリインスキー劇場、世界最高峰のオペラ劇場の一つであり、マエストロ・ゲルギエフは尊敬すべき世界最高の指揮者の一人であり、ここでマエストロと仕事ができるというのはもちろん光栄ではあるけれど、とても大きな責任を感じます。マエストロの指揮は歌いやすいし、歌手を支えて助けてくれます。とても貴重な存在です。そしていちばん嬉しい瞬間は、歌っている最中にマエストロと通じ合えた時です。一緒に舞台を進め、マエストロが自分の声を聞きながら、息を合わせ、時には歌を支えてくれる、そういうコンタクトが取れた時、役が生き生きとし始めるのです。それは大部分がマエストロと、マエストロのオーケストラが奏でる演奏のおかげです。
ーーその喜びを日本の観衆も共有できるといいですね。
その点では日本の観客は間違いないと思っています。(笑)
いちばん暖かい観客です!公演終了後、サインを求めに並んでくれたファンの皆さんの行列は忘れられないです。日本のお客様のおかげでスターになった気分が味わえます。(笑)
ーーヨンフン・リーさんとの共演はどうですか?
何度か共演しましたが、とても歌いやすいです。とても素晴らしいパートナーです。
ーーフェルッチョ・フルラネットさんとの共演も楽しみだと思いますが・・。
素晴らしいですね!彼とは《シモン・ボッカネグラ》で共演したばかりです。もっとも有名なバス歌手、素晴らしい歌手です。グランド・アーティストですよね。ドン・カルロではまだ共演はないです。去年彼はマリインスキーでドン・カルロを歌いましたが、その時私はオーストラリアのメルボルンでドン・カルロを歌っていました。私がペテルブルグに戻ってきた時には、入れ替わりで彼はシドニーに行ってしまっていました。だから、その時は残念ながら共演できなかったのです。
ーー《シモン・ボッカネグラ》で共演した時のフルラネットさんの印象を教えてください。
まず、声が本当に素晴らしいです。本当によく通る声です。声量も多くて。彼は歌っているのではありません。歌手というよりは、もうアーティストとして、作品の世界を生きているのです。とても深く作品の中に生きている感じです。単に隣に並んで歌を歌っているというよりは、もう彼を信じています。迫真の演技ですから。私の心の中にあるものを全て引っ張り出されるような、そんな声です。彼が私たちと一緒に歌ってくれるなら、最高の舞台になることは間違いなしです!
ーー最後に日本の観客へメッセージをお願いします。
来日を心から楽しみにしています。
過去に一度、日本でレクイエムを歌ったことがあるのですが、東京で観客のみなさまがとても暖かく受け入れてくださったことを覚えています。とても温かいお客さまでした。この素晴らしい国を再び訪れ、素晴らしい観客の前で歌える機会を得て、本当に幸せです。コンディションを整えて、最高の声をお聞かせしたいと思います。
10月が本当に待ち遠しいです。東京でお会いしましょう!
ヴェルディ作曲《ドン・カルロ》
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
管弦楽:マリインスキー歌劇場管弦楽団
演出:ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ
10月10日(月・祝) 14:00
10月12日(水) 18:00
東京文化会館
■予定される主なキャスト
フィリッポ2世:フェルッチョ・フルラネット
ドン・カルロ:ヨンフン・リー
ロドリーゴ:アレクセイ・マルコフ
宗教裁判長:ミハイル・ペトレンコ
エリザベッタ:ヴィクトリア・ヤストレボヴァ/イリーナ・チュリロワ
エボリ公女:ユリア・マトーチュキナ
※キャストは変更になる場合がございます。最終的な出演者は当日発表となります。
■入場料(税込)
10月10日(月・祝)14:00
S=¥45,300 A=¥38,800 B=¥29,100 C=¥21,600 D=¥12,900
10月12日(水)18:00
S=¥43,200 A=¥36,700 B=¥27,000 C=¥19,400 D=¥10,800
マリインスキー・オペラ 来日公演2016公式HP
http://www.japanarts.co.jp/m_opera2016