
Zitong Wang
ピアノ
若きピアニストの真摯なまなざし
2025年の第19回ショパン国際ピアノコンクールで第3位入賞および最優秀ソナタ賞(クリスティアン・ツィメルマン賞)受賞という快挙を成し遂げ、一躍世界から注目を集めるピアニストとなったズートン・ワン。そんなワンのショパン、そして彼女がいま最も演奏したい作品を集めたリサイタル・ツアーが9月に行われる。今回のプログラム、そしてこれまでの音楽とのかかわりについて話を聞いた。
「やはりショパンは弾きたいと思い、浮かんだのが4つの即興曲でした。もともと興味を持っていた作品で、実はコンクールでも弾きたかったのですが、他の楽曲とのバランスを見て外したのです。そして、今回のリサイタルで中心となるのはシューマンの『ダヴィッド同盟舞曲集』とリスト(ブゾーニ編)の『モーツァルト《フィガロの結婚》の主題による幻想曲』です。前者はクララとの結婚の想いを込めて書かれたもので、後者はオペラ《フィガロの結婚》をもとに生まれた楽曲。“結婚”という共通のテーマを持ちながらも全く違う表現で描かれていて、その多彩さをお楽しみいただけたらと思っています」
ショパンコンクールの際も調性や曲想のつながりを工夫したプログラミングが印象的であったが、今回も彼女ならではの物語性を感じさせる選曲である。
「プログラムを作る際、ストーリーを考えることはとても大切にしています。そして、それを聴衆の皆さんと共有できればうれしいです」
シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」は学生時代に取り組んだ思い出のある作品でもあるという。
「シューマンはバッハと並ぶ私の大好きな作曲家であり、この曲集はとくに好きな作品のひとつです。カーティス音楽院に入学して最初に習ったシューマンの作品でもありました。当時は本当に“学ぶ”ことに必死でしたが、時を経て改めて取り組んでみると、あの時は理解しきれなかったことがたくさん見えてくるようになりました。この作品をはじめ、偉大な楽曲にはさまざまな感情やドラマが含まれており、以前はそれをとにかく練習してものにしようとしていたところがあったのですが、共感し、受け入れるという意識で向き合うようになったら、より作品や作曲家のことがわかるようになってきました」
リサイタルの最初を飾るのはショパンの夜想曲第3番である。思い返せば、ワンはコンクール第1次予選でも夜想曲第14番で演奏を開始して、会場の空気を自らのものにしていた。
「ノクターンで演奏を始めるのは落ち着きますし、演奏するピアノの音色をしっかり感じとることができることも重要ですね。またいらしてくださったお客様がゆったりとコンサートを楽しめるような気持ちになれるように寄り添う、という意味でもノクターンはとてもいい役割を果たしてくれるはずです」
シューマンとともに大好きな作曲家として挙げられたバッハについてはどのように取り組んできたのだろうか。
「バッハはピアニストにとって欠かせない存在であり、いろいろな曲を弾いてきましたが、スペシャリストというわけではありません。ただ、歴史的奏法やチェンバロ、オルガンを学ぶ機会をいただき、それらの経験を通して、バッハへの理解が以前よりも深まってきたと思います。でも、今はまだ学びの途中です。いつか演奏会でバッハの作品を取り上げられるよう研鑽を積みたいです」
さまざまなエピソードから音楽に対する深い愛情が伝わってくるワンだが、彼女がピアノを弾く上で、家族の存在は非常に大きいものだという。そして初めてピアノを習ったのは昨年逝去した祖父からであった。

「芸術を愛する人でした。常に楽譜を読み、音楽を聴いていましたね。そして私のキャリアを一番応援してくれる人でもありました。私がピアノを学ぶ上で幸運だったのは、家族の中に誰もプレッシャーを与える人がいなかったことです。“練習しなさい”と言われたことはないですし、常に様々な決定を私自身ができるようにしてくれていました。小さい頃からそうだったので、周りよりも少し大人になるのが早かったように思います」
最初はピアニストになるということは考えていなかったというワンだが、カーティス音楽院を受験することになってからは音楽家として生きていくことを意識し始めたという。そして彼女はそこで2人の教師に指導を受けていた。
「まず学生生活の10年間師事したマンチェ・リウ先生とは家族のような関係を築いています。今は、彼も私と同じくボストンに住んでいらっしゃるので、よくお会いしますし、演奏も聴いてもらっています。リウ先生は私のことを知り尽くしていて、演奏を聴けば、私がどんな練習をして、何を考えているのか、すべておわかりになってしまうのです。最初のレッスンから感じていたのですが、どこかセラピストのような部分もありますね。
そして、7年間ご指導いただいたエレノア・ソコロフ先生は、とても興味深いレッスンをしてくださりました。毎週必ずバッハの『平均律』を1曲持っていくことを課され、1週目は楽譜を置いて、2週目はプレリュードを暗譜で…というように進み、2、3年間かけて全曲を学びました。またラファエル・ジョセフィの練習曲を、毎週1曲か2曲、すべての調で、しかも音楽的に演奏するようにという課題もありました。レッスンは毎週金曜日の午前中2時間でしたが、最初の1時間はこうしたエクササイズ、あとの1時間で曲のレッスンをはじめ、様々なことを教えていただきました」
カーティス音楽院を卒業後は、ニューイングランド音楽院でダン・タイ・ソンに師事。さらなる飛躍を遂げることとなる。
「最初はショパンを教えていただく目的が大きかったのですが、先生はあらゆる作曲家の作品に精通されていて、お話や模範演奏を聴くたび、作曲家が求めるものを知り尽くしていることを感じます。またレッスンでは指先の使い方をとても細かく教えてくれます。音楽的にはもちろん、人柄もすばらしく、とても寛大で、生徒のことを本当によく見てくださっています。存命中のピアニストのなかで最も偉大な存在の一人にあげるべきだと私は思っています」
「趣味が音楽」と語るほど音楽への愛情が深いズートン・ワン。今回のリサイタルを通して改めて彼女の音楽の豊かさ、そしてそれを支える技術の高さといったものを実感できることであろう。
取材・文:長井進之介 写真:野口博
取材協力:カワイ表参道
(ぶらあぼ2026年7月号の拡大版)
ズートン・ワン ピアノ・リサイタルツアー2026
2026.9/6(日)14:00 米子市文化ホール
9/10(木)19:00 札幌コンサートホール Kitara(小)
9/12(土)14:00 名古屋/しらかわホール
9/14(月)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
9/16(水)18:30 秋田/アトリオン音楽ホール
9/18(金)19:00 福岡シンフォニーホール
9/20(日)14:00 高崎芸術劇場 音楽ホール
曲目/ショパン:夜想曲第3番
シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集
ショパン:即興曲第1番〜第4番
リスト(ブゾーニ編):モーツァルト《フィガロの結婚》の主題による幻想曲
問:オフィス山根 contact@officeyamane.net
https://officeyamane.net/zitong-wang-2026
※全国ツアーの詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。

長井進之介 Shinnosuke Nagai
国立音楽大学大学院修士課程器楽専攻(伴奏)修了を経て、同大学院博士後期課程音楽学領域単位取得。在学中、カールスルーエ音楽大学に交換留学。アンサンブルを中心にコンサートやレコーディングを行っており、2007年度〈柴田南雄音楽評論賞〉奨励賞受賞(史上最年少)を機に音楽ライターとして活動を開始。現在、群馬大学共同教育学部音楽教育講座非常勤講師、国立音楽大学大学院伴奏助手、インターネットラジオ「OTTAVA」プレゼンターも務める。
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