
日本を代表するチェンバリスト中野振一郎が、2枚組CD2タイトルからなるラモー全集をリリースする。
「コロナ禍でコンサートがなくなったのがちょうど還暦を迎える頃でしたので、思い切ってフランソワ・クープランの全曲録音に取り組みました。そこからたくさんのことを学びました。となれば次はラモー。曲数はクープランほど多くないですが、名曲揃いです」
ラモーはクープランやバッハとほぼ同時代人。フランスの歌劇の作曲家、和声の理論家など多様な顔を持つが、クラヴサン音楽も重要だ。
「クープランとラモーのクラヴサン音楽はロココ芸術が始まった18世紀前半の出版ですが、活躍した世界も作風も違います。クープランの楽譜は曲想指示が多いけれど、おそらく作曲家自身にしか分からない。標題も作曲家を取り巻く宮廷社会で理解されていたものが多く、現代の私たちにとっては謎だらけ(笑)。音符の数が少なく、装飾音が非常に重要。一方のラモーは旋律ありき。それも親しみやすいものばかりで、『和声論』の著者だけあってしびれるような和音が出てきます。標題にしても『やさしい嘆き』や『ミューズたちの対話』など非常に分かりやすい。劇場的で近代的。ラモーのクラヴサン音楽の魅力と言えるでしょう」
収録曲が作曲された頃の二段鍵盤のブランシェ(1730年)の複製を弾いている。くっきりとした輪郭の力強いカラフルな音色がすばらしい。
「クープランの時と同じモデルですが、ラモーは(録音会場の)サラマンカホールの楽器をお借りしました。音色が合っていると思うから。調律はA=408Hz。中全音律をアレンジした調律なので、協和音と不協和な響きでかなり違います」
収録曲はラモーが生前に出版したクラヴサン曲集の他、作曲者自身の編曲によるオペラ=バレ「優雅なインドの国々」(全30曲)や「ジャック兄弟(フレール・ジャック)の主題による4声のカノン」など。
「『ジャック兄弟』の旋律はフランス民謡と言われていますが、最近の研究によればラモーの作曲だそうです。ラモーは国葬級の葬儀が行われたほどのスーパースターで、革命以後も作品が演奏され続けました。どのように受け入れられたかが興味深くて、ラモーの作品をアレンジしたタプレの『未開人変奏曲』やバルバートルが編んだ歌劇《ピグマリオン》の楽曲も加えました。後者には私が編曲した曲も入れています」
ロココ美術に通じる粋な装飾音や陰影に富んだ歴史的調律が、中野の円熟の演奏とあいまって(フランス・バロック特有のイネガル=不均等奏法がすばらしい)、同曲集の新たなスタンダードとなることだろう。次のプロジェクトはと問うと、天使のマレに対する「悪魔の」と言われたガンバの名手フォルクレのクラヴサン音楽と答えてくれた。こちらも楽しみだ。
取材・文:那須田 務
(ぶらあぼ2026年5月号より)




