In memoriam クリストフ・フォン・ドホナーニ

Christoph von Dohnányi 1929-2025

 指揮者・作曲家のクリストフ・フォン・ドホナーニが9月6日、ミュンヘンで死去した。95歳だった。同世代のヘルベルト・ブロムシュテットと並んで、現代ドイツの最も傑出した指揮者として近年まで活動を続け、カリスマ的存在であった。

 ドホナーニは、1929年ベルリンに生まれる。父ハンスは反ナチスの活動家であったため、クリストフが10代半ばのときに強制収容所で処刑された。兄と同じくミュンヘンで法律を学び始めるが、後に音楽に転向。ミュンヘン音楽大学を経て渡米し、フロリダ州立大学に入学。祖父で偉大な作曲家であったエルンスト・フォン・ドホナーニのもとで音楽の勉強を続けた。

 ゲオルク・ショルティのアシスタントとしてキャリアをスタートさせ、史上最年少(当時)でリューベック歌劇場の音楽監督に就任。ケルンWDR響の首席指揮者なども務めた。また、フランクフルト歌劇場の音楽総監督(1968〜1977)、ハンブルク歌劇場の芸術監督(1977〜1984)を歴任し、オペラ指揮者としての実績を着実に重ねていった。

 一方、1982年にはロリン・マゼールからクリーヴランド管弦楽団を引き継ぎ、84年に第6代音楽監督に就任。それから2002年に退任するまで約20年の長きにわたってコンビを組み、演奏会形式のオペラなども多数上演、ヨーロッパやアジアへのツアーも敢行し、同楽団を世界的な人気を誇るオーケストラへと押し上げた。稀に見るほど多くのレコーディングがそれを証明している。ベートーヴェン、ブラームス、シューマンの交響曲全集や、マーラー、ブルックナー、シュトラウス、アイヴズ、バルトーク、さらにはワーグナーの《ワルキューレ》と《ラインの黄金》など実に多岐にわたった録音がDECCA、TELARCなどのレーベルに残されていている。

 以降、ボストン響、ニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管、シカゴ響などアメリカをはじめとるする世界の主要オーケストラに多数客演。1997年から11年間首席指揮者を務めたフィルハーモニア管とは、その後も長く良好な関係を築き、亡くなるまで終身名誉指揮者の座にあった。また、ウィーン・フィルやウィーン国立歌劇場などにもたびたび客演し、カラヤンの招きでザルツブルク音楽祭にも出演している。オペラ指揮者としては、ロイヤル・オペラ(コヴェント・ガーデン)、チューリヒ歌劇場、サンフランシスコ歌劇場、メトロポリタン歌劇場など世界のメジャーな歌劇場でタクトを執り、幅広いレパートリーを誇った。

©Andreas Garrels/NDR

 教育者としての活動にも力を注ぎ、ニューイングランド音楽院(ボストン)、カーティス音楽院(フィラデルフィア)、クリーヴランド音楽院などのアメリカの教育機関の学生オーケストラとたびたび共演し、夏にはタングルウッド音楽センターではも指導にあたった。クリーヴランドではユース・オーケストラやユース合唱団の創設にも携わった。

 日本には、1970年代〜90年代を中心に、ウィーン・フィル、クリーヴランド管、ハンブルク北ドイツ放送響(現・NDRエルプフィル)等と何度か来日しているが、とりわけ93年のクリーヴランド管とのツアーでは、サントリーホールでベートーヴェン・チクルス(同ホールの開場7周年記念特別コンサートだった)を行うなど大きな足跡を残している。

 明晰で巧みなタクトで作品をクリアに描き、密度の高い演奏を聴かせたドホナーニ。昨年、95歳を記念して発売されたクリーヴランド管とのCD40枚組ボックス・セットに続き、この11月には、DECCAレーベルに残るウィーン・フィルとの録音がすべてまとめられたCD31枚組+DVDボックス・セットがリリース予定だが、発売を待たず旅立つこととなった。