コロナ後のオーケストラ界を席巻している注目の若手指揮者クラウス・マケラ(1996年フィンランド生まれ、29歳)が、パリ管弦楽団の音楽監督4シーズン目の締めくくりのタイミングで再び来日公演を果たした。
2027年にはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者、そしてシカゴ交響楽団次期音楽監督就任も予定されるなど、超一流オケから引く手あまたの快進撃ぶりである。

曲目は、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付」と、ベルリオーズ「幻想交響曲」という、フランスの人気交響曲。メインの勝負曲が2つ続くような、贅沢なプログラムだ。「ディエス・イレ(怒りの日)」の引用という共通点もあり、これはこれで筋が通っている。
「オルガン付」に関しては告知段階からなぜオルガニストの名前を出さないのかという疑問があったが、オケが舞台に揃って納得がいった。オルガニストはソリストではなく、オケの中に収まっている。メンバー表を見ると、オルガニストはれっきとしたパリ管弦楽団の正団員となっている。

このあたり、おそらく2015年からの本拠地フィルハーモニー・ド・パリのプリンシパル・レジデント・オーケストラとなっていることとも関係があるのだろう。 彼らの正式名称ロゴも、オルケストル・ド・パリから、オルケストル・ド・パリ・フィルハーモニーとなっていることにも留意したい。同ホールは、世界屈指の優秀な音響を持つ美しい会場であるのみならず、あらゆる楽器やアンサンブル形態に対応する多機能な音楽教育・研究機関でもある。従来のオーケストラ以上の役割を担わされていることは容易に想像がつく。
マケラの指揮は、一見煽っているように見えて、それだけではない。尋常でないくらいに、弦の表情に対する要求が細やかである。管楽器の抑制に関しても厳しい。つまり全体の響きのバランスを注意深く取りながら、作曲家が楽譜に書いた音が隅々まで聴こえるような配慮がある。単に圧で押したり、雑なところが一切ない。情熱的ではあっても、常に細部への意識、筆の運びの最後の余韻までが柔軟なのだ。

これは、普段彼らが演奏しているフィルハーモニー・ド・パリの音響によって、自信を持って弱音を奏でることができるようになったことも大きいのではないか。その演奏姿勢はこの十年のパリ管弦楽団の大きな変化であろう。
マケラの指揮の美点として、リズム感の俊敏さも挙げるべきだろう。楽曲全体の設計も明快で、反復のたびに表情も変わる面白さがあった。華やかな場面はもちろんだが、瞑想的なアダージョの包みこまれるような響きはやはり実演ならではの素晴らしさだった。

ベルリオーズ「幻想交響曲」はさらに弦の表情が細かくなり、憧れに満ちた甘い旋律から、グロテスクな描写まで、この交響曲の恐るべきダイナミズムを改めて新鮮な気持ちで体感させてくれた。
第3楽章のコールアングレをはじめとする管楽器の織りなす遠近感も非凡だったし、どす黒い黒雲のようなティンパニ群のうねりは、これぞロマン派における前衛だと思わせる緊迫感と神秘があった。
後半4、5楽章も、音の圧ではなく音の色彩を細かく求めるマケラの姿勢は顕著で、楽曲終盤へ向かうにつれ、息を呑むほどの怪奇的世界が現出した。

化け物たちの饗宴の中で醜く変わり果てた恋人の動機が出てくる場面でふと思ったのは、これは愛というものがいかに幻滅と憎しみへと転化しうるのか、という人生の音楽でもあったのだということだ。そう思わせてくれるほど、マケラとパリ管の演奏は真に迫っていた。
アンコールはラヴェル「クープランの墓」より〈リゴードン〉と、ビゼー《カルメン》前奏曲。繊細さを保ちながらの熱狂。まるでステーキ2枚重ねの上に野菜マシマシの豪華なトッピングが付いたお得な気分で、満場のホールは熱い手拍子さえ自然発生的に起こり、忘れがたい一夜となった。
文:林田直樹
撮影:堀田力丸
【公演データ】
クラウス・マケラ指揮 パリ管弦楽団 2025
2025.6/19(木)19:00 サントリーホール
サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付」
ベルリオーズ:幻想交響曲
https://avex.jp/classics/odp2025/

林田直樹 Naoki Hayashida
音楽ジャーナリスト・評論家。1963年生まれ。主な著書に「そこにはいつも、音楽と言葉があった」(音楽之友社)、「コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて 音響設計家・豊田泰久との対話」(共著、アルテスパブリッシング)。札幌クリークホール・アドバイザー、音楽之友社社外メディア・コーディネーター、インターネットラジオOTTAVAプレゼンター。