2025 高坂はる香のピアノコンクール追っかけ日記 from ブリュッセル5
取材・文と写真:高坂はる香
前回の入賞者インタビューに続き、今回は、ベルギーの隣国オランダ生まれ、現在は地元ブリュッセルのエリザベート王妃音楽院で学ぶ23歳、Nikola Meeuwsenさんのインタビューをお届けします。

◎Nikola Meeuwsenさん(第1位)
——プロコフィエフ2番について、コンクール公式インスタグラムの動画でおもしろいストーリーを語っていらっしゃいましたね。
ああ、あの絵を描いている動画で話していることですね。ちょっと絵はごめんなさいという感じになってしまいましたが(笑)。
——ユニークでしたよ。ああいうご自分だけの物語を楽譜からどう読み取っているのかなと。
実はプロコフィエフについてはインスピレーションの源があります。仲の良い友人で、去年ヴァイオリン部門のファイナリストになったSongHa Choiが、ロシアの小説家、ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」を読むとプロコフィエフが理解できるよと教えてくれました。あのシューレアリズムの要素を多く含む物語と似た世界観は、確かにプロコフィエフにも感じられるもので、とても刺激的でした。
——新作課題曲についてはいかがでしたか?
本当に美しい作品で、自由があるところが好きでした。1週間で準備しなくてはなりませんでしたが、6ヶ月などもっと長い時間をかけて勉強してみたかったくらいです。ジャズピアニストが書いた作品だからこそのおもしろいタッチが求められます。
——個人的にはセミファイナルのモーツァルトの協奏曲がとても印象的でした。
ありがとうございます! 僕もあのステージがこのコンクールで一番好きだった瞬間です。すごくリラックスできて、心から楽しむことができました。
——モーツァルトをコンクールで弾くのは怖いというピアニストは多いと思いますが、あなたにとっては違うのですね。
僕はモーツァルトのオペラが大好きで、「フィガロの結婚」をはじめいろいろなオペラからすごくインスパイアされています。コンチェルトでは、ピアノを弾いているというより、オペラの演奏に参加しているような気分になって楽しいんです。

——これまで師事した先生からどんな影響を受けていますか?
人生で主に4人の先生に出会いました。Marlies van Gent先生は6歳から師事していて、今も彼女のもと学び続けています。そして11歳からエンリコ・パーチェ先生に、2年前からフランク・ブラレイ先生とAvedis Kouyoumdjian先生に師事しています。彼らはそれぞれ僕に別のものを授けてくれます。
Marliesとエンリコは音楽の父と母のような存在です。フランクとAvedisは、より高いレベルにたどり着くための新しい刺激、はずみのつくようなきっかけを与えてくれる存在です。
とくにフランクは、コンクール直前の週などとても熱心に指導してくれました。1週間チャペル生活に入る前には、今年2月に演奏した僕のコンチェルトを一緒に見返して、それにコメントをくれました。長い年月をかけて、僕に惜しみなくいろいろなことを教えてくれる先生です。

——先生の影響以外に、その独自の音楽性をつくったのはどんなものなのでしょうか。たとえば幼少期の影響とか。
僕はピアノを始めた頃、いきなり即興演奏から入ったんです。子どもの頃の僕はジュルジュ・シフラの大ファンで、彼の演奏の動画を見ると、例えばまずショパンのエチュードを弾いてそこから即興を始めるというウォーミングアップをしていたので、その流れに憧れて真似するようになったのだと思います。僕もロマン派の作品をベースに即興していくことが好きでした。鍵盤に親しむにはとてもいい方法だったと思います。
他にも古いピアニストの演奏、コルトーやホロヴィッツなどを聴いて育ったので、その影響もあるかもしれません。
——ご家族は音楽家ばかりだそうですね。
はい、父は音楽歴史学者で、母はフルート奏者、いとこにはチェロ奏者や2年前にエリザベートコンクールの声楽部門でファイナリストになった声楽家もいます。
——日常でインスピレーションを与えてくれるものはなんですか?
室内楽で共演する他の音楽家です。あとはアート作品、ミュージシャンに限らずさまざまな友人など、すべてがインスピレーションの源です。
——室内楽の共演者といえば、プロフィールにジャニーヌ・ヤンセンの名前がありましたね。コンクール中、ウィーン楽友協会で審査員のコジュヒンさんとのデュオを聴いてきたばかりです。
そうなんですか! 彼女とは去年演奏したのですが、僕にとってもっとも大きなインスピレーションを与えてくれる存在です。
実は彼女はコンクール中、オンラインで僕の全ての演奏を聴いて応援してくれていました。1次の直後に連絡があって、12月の彼女のフェスティバルに出演してほしいと招待してくれたんです。こういう出来事は精神的に大きな助けになります。というのも、「うん、もしこのステージで落ちても、僕の演奏はジャニーヌが聴いてこうして評価してくれたんだ。自分は音楽を楽しむだけだ」と思えましたから。

——エリザベートコンクールはブリュッセルで学ぶ人にとって特別な存在だと思います。優勝して、どんなお気持ちですか?
正直、自分が優勝するだなんて予想していませんでした。もちろん、もしかしたらという期待もあるけれど、現実的ではなく、いわばただの夢です。でもそれが起きてしまった。何もかもが大きく変わる出来事です。さらに僕の親友のHinnewinkelも4位に入賞したことがうれしかったです。この友情がどれほど僕に力を与えてくれたことでしょう。ファイナルの彼のシューマンは本当に美しかったです。
——チャペルでの1週間はいかがでしたか?
他の参加者と知り合えたのがとてもよかったです。例えば尊敬しているピアニストの一人、マサヤ・カメイ。彼のヴァン・クライバーンコンクールでのベートーベン「ワルトシュタイン」ソナタを聴きましたが、信じられないほど素晴らしいと思いました。彼は完全に新しい音楽の作り方を生み出したと感じましたね。今回のファイナルもすばらしかったです。
他のファイナリストもみんなとても優しくて、お互いの成功を願っている雰囲気がありました。
——マエストロ大野との共演はいかがでしたか?
僕がとても緊張していても、彼はそれを落ち着かせるのがとても上手で、温かく穏やかな内面の魂を持っています。大きな動きをとりませんが、小さな仕草のなかでさまざまなことを表現して効果をもたらすタイプの指揮者です。
アイデアもすばらしく、例えばプロコフィエフの協奏曲第2番第2楽章のスケルツォは、少しだけメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」のフレーズのような軽いイメージではないかと提案してくださいました。また共演の機会があるとうれしいです。

——最後に、社会の中における音楽家の役割について今どう感じているか、お聞かせください。
近年オランダでは子ども向けの音楽教室が次々消滅しています。でも音楽は1日8時間練習してコンクールに挑み、プロを目指す人だけのためのものではありません。音楽を学ぶことは、それを専門にしない人にとっても大事で、より多くの人が気軽に音楽を楽しめる土壌づくりが必要です。本を読むように楽譜を読むことは、人生を豊かにします。
AIなどの技術の急速な発展、戦争や紛争の中にある現代、芸術家の役割はますます難しくなっていますが、同時に、より一層重要になっています。過去を振り返れば、より暗い歴史の中にこそ、より価値のある芸術が生まれているからです。
美しいものがなかったら、私たちはどうしたらいいのでしょう。戦争が起きる中で何を心の拠りどころにしたらいいのでしょう。悲しい経験をしても、美しい音楽で気持ちが救われるのなら、それは素晴らしいことです。
国によって環境は違うかもしれませんが、少なくとも今オランダでは音楽教育の機会が減っているので、人がもっと音楽にかかわる機会をつくることに貢献していきたいです。
♪ 高坂はる香 Haruka Kosaka ♪
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/