アルベルト・ゼッダ(指揮)

ロッシーニに必要なのは知的に訓練された喉なのです


音楽の“若々しいエネルギー”を体感するなら、老匠アルベルト・ゼッダの実演に直行しよう! 音楽学者としても業績を積み、来年米寿を迎える超ベテランながら、今なおオペラ界でひっぱりだこの名指揮者である。この4月には大阪でロッシーニの傑作祝典オペラ《ランスへの旅》を振るマエストロ、その抱負をメールで尋ねてみた。
「日本のオペラ・ファンの皆さんに、この場を借りて改めて訴えたいことがあります。それは、作曲家ロッシーニが『現実的、日常的な感情描写をあえて避ける』音作りをしたということです。
 ロッシーニを聴くのなら、演奏する我々も聴き手の皆様も、ヴェルディやプッチーニを聴く時のような『受け身のお任せの姿勢』ではいられません。ヴェルディもプッチーニも、強く美しい声で情熱を描き出し、現実の人生に息づく感情を舞台でありありと再現しようとした作曲家ですね。勿論、ロッシーニのオペラにもそうした情熱を見出すことはできますが、でも、彼は、そうした情熱をそのまま出すのではなく、ある程度の距離を置いて『抽象的に音で語る』のです。ですから《ランスへの旅》をご覧になる皆さんにも、それぞれの部分でロッシーニが何を訴えているか、それを理解すべく積極的に立ち向かっていただく必要があるのです」

ロッシーニの美学

 確かに、19世紀後半からのイタリア・オペラでは、血なまぐさいシーンも続発するし、大笑いや悲鳴が舞台にこだますることも。でも、古典派のロッシーニは、その種の「生々しさを避ける美学」の持ち主なのである。
「ロッシーニは、悲劇的な話でも喜劇的なストーリーでも、基本的に『軽やかなタッチ』で描きました。彼は客席に、人生の様々な出来事を『有るがままの姿で受け入れて欲しい』と求めています。ただし、響きは軽妙でも、彼のメロディは歌うのが非常に難しく、熟練した技量を持つ歌手でないと歌えません。ヴェルディやプッチーニ、ワーグナーのオペラには声量豊かな美声が必要ですが、ロッシーニに必要とされるのは、高貴で洗練された感情を表現するための『知的に訓練された喉』なのです。でも、面白いもので、卓越した美声を見つけ出すより、『知性と洗練された趣味』を見つける方が案外簡単かもしれませんよ。言い換えるなら、特別に大きな声を持たなくても、知性と技巧があれば歌えるのです」

音楽言語の卓越した豊かさと多様性

 確かに、マエストロは以前から「歌い手の体格は普通で十分。ロッシーニに必要なのは喉の技!」と力説してきた人である。では、特別な祝典オペラの魅力と、作曲家ロッシーニの素晴らしさはどのように絡むのか?
「フランスのシャルル10世の戴冠を祝って作られた本作では、何より、登場人物の数が桁外れに多い。何しろ、前例のない〈十四重唱〉が一番の人気シーンですから。ドラマは喜劇仕立で、欧州各国から集まった人々が様々な駆け引きをコミカルにスリリングに歌います。
 一方、この作品の主題は、民族同士の、または国と国との、つまりは人と人との『魂と魂の融和』という、この上もなく現代的なものです。だから、幾つもの名場面を通じて、我々は、皮肉と道徳的批判に富んだ“社会の断面図”を目の当たりにします。ただし、先述したように、ロッシーニはそれらを深刻には描きません。でも、名歌手がずらりと居並ぶステージで、彼らがそれぞれの技を大いに発揮したら、彼の音楽にもいっそうの深みが生まれ、単純な筋書きの次元を超える側面が与えられるのです。また、それが可能となるのも、この作品の中で交わされる音楽言語の卓越した豊かさと多様性ゆえのこと。
 歌手の方たちも、本作によって、自らの才能と創意を解き放つ『無限の機会』を提供されることになります。彼ら彼女らの見事な歌いぶりを、ぜひ多くの方に聴いていただければと思います」
取材・文:岸 純信(オペラ研究家)
(ぶらあぼ + Danza inside 2015年4月号から)

第53回 大阪国際フェスティバル2015 ロッシーニ《ランスへの旅》
アルベルト・ゼッダ(指揮) 松本重孝(演出)
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
4/18(土) 15:00 フェスティバルホール
問 フェスティバルホール06-6231-2221
※公演詳細については下記ウェブサイトでご確認ください。
http://www.festivalhall.jp