In memoriam マウリツィオ・ポリーニ

Maurizio Pollini 1942-2024

 現代最高のピアニストのひとり、マウリツィオ・ポリーニが3月23日亡くなったことが明らかになった。享年82。ミラノのスカラ座の公式ウェブサイトが伝えた。

©Mathias Bothor and DG

 ポリーニは1942年、ミラノの芸術家一家に生まれた。1960年に第6回ショパン国際ピアノコンクールで優勝し、演奏家としてのキャリアをスタート。当時、審査員を務めていたアルトゥール・ルービンシュタインが「われわれ審査員の誰よりも良い演奏をする」と称賛を贈ったというエピソードは伝説と化している。その後「ショパン弾き」のレッテルを貼られることを避けるためにしばらくステージから遠ざかり、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに師事して研鑽を積んだ。

 さまざまなレパートリーを身につけた後、演奏活動を再開。スカラ座では、1960年代後半から、親友でもあったクラウディオ・アバドとともにしばしば共演した。ベートーヴェン、ブラームス、ショパン、シューベルトといった王道のレパートリーを完璧なテクニックで披露し、世界的なピアニストとしての名声を不動のものとしていった。その他、ベルナルド・ハイティンク、カルロ・マリア・ジュリーニ、リッカルド・ムーティ、リッカルド・シャイーといった世界を代表する指揮者たちとの共演も多く、ザルツブルク、ルツェルンなどの主要音楽祭でも活躍した。

 また、バルトークやプロコフィエフといった近代の作曲家も得意とし、さらにはノーノ、ブーレーズ、シュトックハウゼンなど同時代の作曲家の作品を組み込んだプログラムをとりあげ、20世紀鍵盤音楽の演奏史にあらたな地平を拓いた功績は大きい。アンサンブル・アンテルコンタンポラン、クラングフォルム・ウィーンといったコンテンポラリー・シーンを代表するグループとも共演。1990年代にザルツブルク音楽祭で始動させた、自身プロデュースによる「ポリーニ・プロジェクト Progetto Pollini」は、日本でも数回にわたり行われ、ジェズアルドやモンテヴェルディから、シュトックハウゼン、クルターグ、シャリーノまで、さまざまな時代の音楽をプログラムに組み込み、聴衆にその広範な視座を示した。1995年には、東京で開催された「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル」にも参加した。最後の来日は2018年10月。サントリーホールで3夜にわたるリサイタルを行ったほか、トッパンホールでは「ポリーニ・プロジェクト」も開催された。

 録音でポリーニの演奏に親しんだという人も多いだろう。1968年、ドイツ・グラモフォンと契約。1972年に発表したショパンのエチュード集は、完璧なテクニックと高い音楽性で、この曲集の最高の名盤として50年あまり経った今も語り継がれる。その後も、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、ドビュッシーなど多くの録音を遺した。クラウディオ・アバドとのブラームスやベートーヴェンの協奏曲も印象深い。実に39年の歳月を費やしたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音は、2014年に完結した。2018年には、同じくピアニストとなった息子のダニエーレとのデュオでドビュッシー「白と黒で」の録音を発表し話題を呼んだ。最晩年には、ベートーヴェンのソナタの再録音にも挑み、第28番〜第32番まで、後期のソナタ群で円熟の境地を聴かせた。

 彼は、アマチュアからプロまで、あらゆるピアノ弾きにとって規範となる存在でもあった。決して感傷的になることがない知的なアプローチは、圧倒的な技巧と相まって、時としてある種の“冷たさ”を感じさせ、その鋭敏さが物議を醸すこともあった。

 2022年夏にはザルツブルク音楽祭で80歳記念リサイタルが予定されていたが、心臓疾患のためキャンセルを余儀なくされた。最後のリサイタルは昨年の2月13日。比類なきテクニックと解釈、透徹したその精神は、まさに巨人と呼ぶにふさわしく、20世紀後半〜21世紀初頭の最も偉大なピアニストとして、多くの音楽ファンの記憶に刻まれることだろう。