海外で実力を磨いたオペラ界の新鋭たちが勢ぞろい
〜「明日を担う音楽家による特別演奏会」

「明日を担う音楽家による特別演奏会」(2022年)カーテンコールより
撮影:堀 衛

文:岸 純信(オペラ研究家)

 1月の末、東京オペラシティ コンサートホールで、「明日を担う音楽家による特別演奏会」が開かれる。文化庁の新進芸術家研修制度を通じて海外研修で歌に励んだ新進歌手たちが、修練の成果を晴れて世に問うのである。

 ここ10年来、筆者はこの「明日を担う音楽家による特別演奏会(略称:あすにな)」に欠かさず足を運び、プログラムに解説を寄せ、勉強もさせて貰ってきた。何しろ、このコンサートで歌い手が選ぶ曲には、なかなか日本では聴けないレパートリーが必ず含まれているのである。

 というのも、このステージでは、観客の好みに合わせて人気のアリアを歌うというよりは、「本場のマエストロたちから厳しく鍛えられた曲」、つまりは「いまの持ち声を最も良い形で披露できる名アリア」をみな選ぶからである。実は今回も解説の依頼があり、選曲リストを眺めた途端、背筋が思わず伸びた。「《ポントの王ミトリダーテ》に《絹のはしご》! 《オルレアンの少女》を原語で!」。こういう意欲的なラインナップなら、気鋭の指揮者・角田鋼亮も熟練の東京フィルハーモニー交響楽団も、いっそう力を込めて取り組んでくれるに違いない。

  それでは曲をご紹介。まず、モーツァルトがわずか14歳で作曲した《ポントの王ミトリダーテ》は、古代小アジアの大王の史実を扱ったオペラ・セリア。今回は第1幕から、大王の若い婚約者アスパージアの難曲〈脅かす運命に〉をソプラノ保科瑠衣が歌う。カストラートと女声歌手がそれは張り合った時代のアリアなので、難しいスケール(音階)のパッセージが頻発する。イタリアのパルマに留学した保科が、鋭いコロラトゥーラとたっぷりした息遣いのもと、客席を圧倒するさまが楽しみである。

保科瑠衣 (C)Yoshinobu Fukaya/auraY2

 次に、ロッシーニの最初期の成功作《絹のはしご》からジェルマーノのアリア〈愛を穏やかに〉を歌うのは、ボローニャで研鑽を積んだバリトン井上大聞。太い声を柔軟に操る逸材だが、それだけに「今回はロッシーニなのか!」と筆者も興味津々である。というのも、このアリアでは、幅広い音域のもと、前半の非常にゆったりとした味わいと後半の畳みかけのコントラストが面白く、上品さも活気も表現できるのだ。イメージとしては「朗らかな大アリア」。彼の声の技に存分に浸っていただこう。

井上大聞 (C)野村誠一

 続いて、チャイコフスキーの注目作《オルレアンの少女》から名アリア〈その時が来た~さらば故郷の丘や畑よ〉を歌うのは、イタリアのクレモナで修練を積んだメゾソプラノ上島緑である。オペラはかのジャンヌ・ダルクの人生を描き、彼女はこの劇的なソロで故郷に別れを告げ、出陣するのだが、このアリアは昔からフランス語訳詞でよく歌われるもの。しかし、今回はオリジナルのロシア語で歌い上げるそう。「この曲を選ぶのだから、響きは相当に深く艶があるのだろう」と思わずにはいられない。本番に期待大である。

上島緑 (C)Yoshinobu Fukaya/auraY2

 ちなみに、今回歌われるアリアの半数は我々にもなじみ深いもの。ベルリンに留学したバリトン内山建人はワーグナーの喜劇、楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》よりハンス・ザックスの名場面〈なんとリラの香ることか〉を選んでいる。この曲は別名〈にわとこのモノローグ〉ともいうが、ドイツ語ではFliederの一語で「リラ」「にわとこ」の両方を意味するとのこと。近所の娘エーファに秘めたる愛情を抱く親方ザックスの切ない胸の内が、内山のしみじみとした歌い回しからくっきりと浮かび上がることだろう。

内山建人

 また、ソプラノ平野柚香は、ヴェルディの《椿姫》の大アリア〈ああ、そは彼の人か~花から花へ〉を取り上げる。スイスのイタリア語圏のルガーノで学んだ平野は、周辺各国から人が集まるこの街の高い文化水準にも影響を受けたに違いなく、細部まで疎かにしない知的な歌いぶりで、高級娼婦ヴィオレッタが青年の純愛を葛藤しつつ受け入れるまでを、鮮烈な声音で描くことだろう。

平野柚香

 そして、ミラノに留学したバリトン野町知弘が歌うのは、ドニゼッティの《ランメルモールのルチア》から、怒りのアリア〈残酷で不吉な苛立ちが〉。妹ルチアの政略結婚で失地回復したい豪族エンリーコが、妹と自分の敵エドガルドが通じ合っているのではと聞かされて、憤怒の面持ちで歌う烈しい一曲である。このアリアで勝負するのなら、声に格別の覇気を有するはず。野町が歌声を轟かせる瞬間が今から楽しみである。

野町知弘

 なお、今回のプログラムでもう一点面白いのは、後半がすべてモーツァルトの二重唱であること。それも、素朴な音運びが目立つ人気曲が選ばれている。例えば《魔笛》のパパゲーノとパミーナの愛を貴ぶ二重唱や《イドメネオ》の王子と姫君がついに心を確かめ合う一場、《フィガロの結婚》で伯爵を侍女が思わせぶりな態度ではかりごとにかける二重唱。そして《ドン・ジョヴァンニ》から騎士が村娘をエレガントに口説くデュオである。将来有望な名手たちならではの、フレッシュな声音と解釈の肌理細やかさで、前半の劇的な名曲選とはまた違うオペラの妙味を堪能していただこう。

Information

新進芸術家海外研修制度の成果
明日を担う音楽家による特別演奏会


2024.1/29(月)19:00 東京オペラシティ コンサートホール

〜出演者と演奏予定曲〜

平野柚香(ひらの ゆずかソプラノ)
[令和2年度 スイス・ルガーノ]
ヴェルディ:《椿姫》より〈ああ、そは彼の人か~花から花へ〉
保科瑠衣(ほしな るい・ソプラノ)
[令和3年度 イタリア・パルマ]
モーツァルト:《ポントの王ミトリダーテ》より〈脅かす運命に〉
上島 緑(かみしま みどり・メゾソプラノ)
[令和2年度 イタリア・クレモナ]
チャイコフスキー:《オルレアンの少女》より〈その時が来た〉
井上大聞(いのうえ たもん・バリトン)
[令和3年度 イタリア・ボローニャ]
ロッシーニ:《絹のはしご》より〈愛を穏やかに〉
内山建人(うちやま けんと・バリトン)
[令和3年度 ドイツ・ベルリン]
ワーグナー:《ニュルンベルクのマイスタージンガー》より〈なんとリラの香ることか〉
野町知弘(のまち ともひろ・バリトン)
[令和2年度 イタリア・ミラノ]
ドニゼッティ:《ランメルモールのルチア》より〈残酷で不吉な苛立ちが〉
*上記オペラ・アリアの他、重唱の演奏を予定しています。

指揮:角田鋼亮
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団           
司会:永井美奈子 

●料金(全指定席)
S席¥4,000、A席¥3,000、B席¥2,000、学生席¥1,500

問:二期会チケットセンター03-3796-1831
http://www.nikikai.net
http://www.nikikai.net/concert/20240129.html