【GPレポート】
指揮、演出、適材適所の歌手たちで実現した最高の輝き〜新国立劇場 ヴェルディ《シモン・ボッカネグラ》

左:シモーネ・アルベルギーニパオロ・アルビアーニ) 右:ロベルト・フロンターリ(シモン・ボッカネグラ)
左:須藤慎吾(ピエトロ) 右:シモーネ・アルベルギーニパオロ・アルビアーニ)

 ヴェルディが40代で書き、その24年後に円熟の手腕で大きく改訂したオペラ《シモン・ボッカネグラ》。海洋国家ジェノヴァに実在した総督を主人公に、平民と貴族の対立、親子や恋人の愛憎などが複雑に入り組み、最後は和解にいたる。いぶし銀の輝きを帯びた味わい深い傑作である。意外にも新国立劇場での上演ははじめてだが、「満を持して」ということであったなら、上演の水準はそれにふさわしい。11月15日、18日、21日、23日、26日の5公演が行われる(同劇場での世界初演後、ヘルシンキ、マドリードで上演予定)。その最終総稽古(ゲネラルプローベ)を取材した。
(2023.11/12 新国立劇場 オペラペレス 取材・文:香原斗志 写真:寺司正彦)

左:ロベルト・フロンターリ(シモン・ボッカネグラ) 右:リッカルド・ザネッラート(ヤコポ・フィエスコ)
中央:ロベルト・フロンターリ(シモン・ボッカネグラ)

 プロローグの幕が上がると、黒を基調に赤が加わる、三角形を組み合わせた幾何学的な装置が目に飛び込む。演出を手がけるのはエクサン・プロヴァンス音楽祭総監督のピエール・オーディで、舞台美術は現代アートの大家アニッシュ・カプーア。《シモン・ボッカネグラ》に欠点があるとすれば、最たるものは物語が複雑なことだが、こうして舞台を抽象化することで、人物の動線がとらえやすくなることに気づかされる。

イリーナ・ルング(アメーリア)
左:ルチアーノ・ガンチ(ガブリエーレ・アドルノ) 右:イリーナ・ルング(アメーリア)

 歌手陣は新国立劇場における昨今の上演のなかでも、際立って適材適所というほかない。最初に登場するのは物語の推進役で、シモンと敵対したのちに毒殺するパオロ・アルビアーニだが、シモーネ・アルベルギーニ(バスバリトン)は、少しドスの利いた声を安定して響かせ、一筋縄ではいかない人物であるとニュアンスで伝える。シモンの恋人マリアの父ヤコポ・フィエスコは、ヴェルディを歌わせたら当代一のバス、リッカルド・ザネッラート。深く力強い声がやはり多彩に響き、登場時の娘を失った悲痛さも、力まずに伝わる。

 そしてシモン・ボッカネグラはロベルト・フロンターリ(バリトン)。この日が65歳の誕生日だったが、少し明るめのみずみずしい声は年齢を少しも感じさせない。声を押さず、スタイリッシュに運びながら人物像を構築する。だからフィエスコとの二重唱は、力強いが品格は決して失われない。後述もするが、そのことはこのオペラできわめて重要である。

左:シモーネ・アルベルギーニ(パオロ・アルビアーニ) 右:ロベルト・フロンターリ(シモン・ボッカネグラ)

 プロローグから25年が経過した第1幕は、天井に逆さに置かれた火山の下で展開する。アメーリアのイリーナ・ルング(ソプラノ)はレガートが美しく、低音域から高音域まで自然に響かせ、ピアニッシモの最弱音まで制御される。それがそのままアメーリアの清純さを伝え、これまで彼女が新国立劇場で歌ったヴィオレッタやルチアよりも適性を感じる。そして、その恋人のガブリエーレ・アドルノを歌うルチアーノ・ガンチ(テノール)は、輝かしい声がまっすぐ伸び、直情的なこの役そのもの。特にジラーレ(曲げること)した強音の輝きは際立ち、その質感がルングの声の響きと近い。すなわち、2人は声の響きだけで、恋人としての相性のよさを示してしまう。

ヴェルディ円熟の味わいを引き出す大野和士の指揮

 ここまでの記述で、歌手たちがこの複雑で深いドラマを、声の力に頼らず、強弱や色彩をとおして表現していることが伝わったと思う。すなわち、適材適所の歌手たちは、声に加えるニュアンスで心理劇を演じることができており、その歌唱を大野和士率いる東京フィルハーモニー交響楽団が支えていた。

 たとえば、シモンとアメーリアがたがいに父娘であることを知った場面のえもいわれぬ美しさ。また、シモンがアメーリア誘拐の真犯人であるパオロに、みずからを呪わせる場面の金管が咆哮する全合奏。それぞれの場面でヴェルディがねらった強い効果が引き出される。ヴェルディは改訂にあたって音楽の5分の2ほどを書き替え、残る部分も少しずつ手を加えた。その新しい音楽と暗めの色彩が、大野と相性がいいのではないだろうか。

 ヴェルディの音楽はスクエアに構築されることが多いが、それでは《シモン・ボッカネグラ》を覆う円熟期の味わいは活かされない。大野は60代後半のヴェルディが到達した深みに照準を当て、結果、歌手たちの考え抜かれた歌唱と、すぐれたマッチングを示すことになった。さらにいえば、このオペラには改定後の音楽とオリジナルとのギャップも存在するが、オーディとカプーアによる抽象的で象徴的な舞台に、そのギャップが吸収され、大野と歌手たちがつくる音楽が、さらに深みを増したようにも思う。

 第2幕、アメーリアがシモンの娘だとガブリエーレが知ったあとの三重唱。第3幕、再会したシモンとフィエスコの二重唱。それぞれに一級の歌手でなければ表現できない細やかなニュアンスが宿り、声の饗宴はそれぞれの思いが複雑にからみ合った魂の饗宴になった。それは《シモン・ボッカネグラ》というオペラが最高に輝く瞬間だった。

新国立劇場オペラ 2023/24シーズン
ヴェルディ《シモン・ボッカネグラ》(新制作)

2023.11/15(水)19:00、11/18(土)14:00、11/21(火)14:00、11/23(木・祝)14:00、11/26(日)14:00
新国立劇場 オペラパレス

指揮:大野和士
演出:ピエール・オーディ
美術:アニッシュ・カプーア
衣裳:ヴォイチェフ・ジエジッツ
照明:ジャン・カルマン

シモン・ボッカネグラ:ロベルト・フロンターリ
アメーリア(マリア・ボッカネグラ):イリーナ・ルング
ヤコポ・フィエスコ:リッカルド・ザネッラート
ガブリエーレ・アドルノ:ルチアーノ・ガンチ
パオロ・アルビアーニ:シモーネ・アルベルギーニ
ピエトロ:須藤慎吾
隊長:村上敏明
侍女:鈴木涼子

合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

共同制作:フィンランド国立歌劇場、テアトロ・レアル

問:新国立劇場ボックスオフィス03-5352-9999
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/simonboccanegra/