松川創(指揮)from ベルリン(ドイツ)
海の向こうの音楽家 vol.14

ぶらあぼONLINE新コーナー:海の向こうの音楽家
テレビなどで海外オケのコンサートを見ていると「あれ、このひと日本人かな?」と思うことがよくありますよね。国内ではあまり名前を知られていなくとも、海外を拠点に活動する音楽家はたくさんいます。勝手が違う異国の地で、生活に不自由を感じることもたくさんあるはず。でもすベては芸術のため。このコーナーでは、そんな海外で暮らし、活動に打ち込む芸術家のリアルをご紹介していきます。全記事一覧はこちら>>

 連載第14回は、先日ルーマニアのスロボジアで行われた「イオネル・ペルレア国際指揮者コンクール」で三位に入賞した松川創さんの登場です。筑波大学、同大学院を経て、京都市立芸術大学で指揮を学んだ異色の経歴の持ち主。昨年、留学先のドイツにわたってから、コンクールに入賞するまでの奮闘を書き綴っていただきました。

文・写真提供:松川創

 “一寸先は…?”

 真暗闇の道なき道をとにかくがむしゃらに全力疾走しているような、そんな毎日を過ごしていたらあっという間にまた秋が来た。
 “海の向こう”に渡ってから1年が経とうとしている。

 私は昨年の10月からドイツに拠点を移し指揮者修行中の31歳、松川創だ。現在はベルリンで生活している。このコーナーに寄稿されている先輩方と比べるとかなりの海外新参者である。
 小さい時から指揮者に憧れてはいたが最初は夢のひとつといったところで、一時は建築家の祖父の影響もあり、もう一つの夢であった建築家を目指していた。しかし建築とはいえ、結局は音環境などを中心に研究し、音楽から離れることはなく、学べば学ぶほどステージで音楽を奏でたいという思いが膨らみ方向転換。京都市立芸術大学に拾ってもらい指揮を勉強した。そう考えると“音楽家”としても新参者なのかもしれない。
 
 そんな新参者だが西洋音楽を生んだヨーロッパの風土に身を置いて学び、世界で音楽を紡ぐ指揮者になりたいと思い、小さめのスーツケースとリュック1つだけを持って2022年9月末に日本を飛び出した。行きのフライトでは偶然にも同じくその日から留学するという二人に挟まれ、トランジットの時間を共に過ごし、再会を誓い、幸運の兆しのような前途洋々な門出にわくわくした。

出発の日 成田空港にて
浮かれている

 はじまりの地はフランクフルトからほど近い街ハイデルベルク。ゲーテや若き日のシューマンも住んだ美しい都市であった。2週間だけ住まわせてもらったアパートの横には街の集団墓地があり調べてみると、かの有名な大指揮者フルトヴェングラー氏が眠っていた。到着したその日にご挨拶に参り、これからのドイツ生活の成功を祈った。
 今思えばそのお祈りが通じたのかもしれない、それから奇跡といっても過言ではないようなご縁に結ばれ今まで生きている。

ライン平野を一望できるハイデルベルクのKönigstuhlにて

 ハイデルベルクでの最初の奇跡は、街で偶然出会ったハイデルベルク歌劇場合唱団の方に教えていただいたオーケストラ付きオラトリオの演奏会から始まった。街の教会でオラトリオの演奏会、なんてヨーロッパらしいのでしょう、とその風土の中にいることを実感し感動した。
 奇跡はここからだ。その演奏会に出演されていた奏者の方が親切にも打ち上げに誘ってくださり、ドイツに来て初めてのビールをいただき、更にはその方のご紹介で次の日から始まる歌劇場管弦楽団のリハーサルを見学させてもらえることとなったのだ。曲はブルックナーの交響曲第7番、しかも会場は街一番の大教会。大好きなだけでなく、特別大切にしている曲を大教会で見学、勉強することができるなんて、ドイツに来て本当に良かったと涙した。

ハイデルベルク 聖ペテロ教会にて
オラトリオの演奏会
ハイデルベルク 聖霊教会にて
ブルックナーのリハーサル見学

 その後ベルリンに移ってからも大変なご縁に恵まれている。数ある中でも特筆すべきは、ベルリン・ドイツ交響楽団(ドイツ語:Deutsches Symphonie-Orchester Berlin, 略称:DSO)というオーケストラでたまにステージマネージャーさんのお手伝いをしながらリハーサルを見学させていただき、勉強できていることだろう。それは住居不足が深刻化するベルリンで運良く住まわせてもらえることになった家のルームメイトのご家族の方が偶然にもDSOの団員さんだったことが始まりだった。
 日本でもステージマネージャーさんのお手伝いをしながらリハーサルを見学させていただいていた。まさかベルリンでも同じように学ぶことができるとは思ってもいなかった。
 全ての経験が繋がり、活きている。

フィルハーモニー大ホールにて
ステージ転換。日本で教わった技術が活きている。
フィルハーモニーホールの楽屋口前にて
入るとき、いつも神聖な心持ちがする。

 もちろん良いことだけではない。こちらに来てから副指揮者の求人やコンクールなど応募できるものには全て応募してきた。その数は半年で既に30を超えていた。しかしビデオ選考を通過し現地に招待されることはない。その上、指揮者の勉強をしに来たとはいえ学校に所属しているわけでもないため、指揮ができる機会はほとんどない。ベルリンは街全体が音楽に溢れているし、音楽への距離が近いと感じるが、指揮台は日本にいる時よりも更に遠かった。
 7月の時点ではオーケストラはおろか、4月にあるコンクールの予選でピアノを相手に10分程度指揮したのが最後だった。こちらに来てからオーケストラを指揮したことはなかった。

 「指揮者として音楽をしたい」とにかく渇望していた。

 そんな7月のある日、一通のメールが届いた。
 差出人は“イオネル・ペルレア国際指揮者コンクール”。ビデオ選考を通過したという通知であった。
 “イオネル・ペルレア国際指揮者コンクール”は、ルーマニアのスロボジアという小さな街でスロボジア出身の名指揮者イオネル・ペルレア氏の偉業を記念する音楽祭の一環として毎年開催されるコンクールだ。1stラウンド、セミファイナル、ファイナルと3つのラウンド全てでプロオーケストラと共演、更にセミファイナルとファイナルでは歌手とオペラアリアで共演できるという小さいながらも大変恵まれたコンクールであった。ペルレア氏がそうであったように交響曲、オペラの両軸をこなす指揮者を輩出することをコンセプトにしているらしい。予選通過者は20名、日本人は私だけだった。

 その報を受けた瞬間、真暗闇に一筋の光が見えた心地がした。
 渇望していたその機会に胸が音を立ててはずんだ。
 とにかくオーケストラを指揮できる! 指揮者として音楽ができる! そのことが嬉しかった!

 しかし喜びに浸ってはいられない。通知が来たのはコンクールの10日前、それから怒涛の準備が始まった。
 このコンクールは課題曲の中から当日に曲が指定され、披露するという形式だった。準備する曲は少なくない。勉強をしたことはあっても実際に指揮したことのない曲に加え、全く知らないオペラアリアも含まれていた。
 知人の協力も借りながら今できる全てをかけて勉強し、当日を迎えた。

ブカレストからスロボジアへ向かうバスの車内にて
ルーマニアの平野には肥沃な穀倉地帯が広がる。

 大凡一年ぶりにオーケストラの前に立つ。気付けばヨーロッパに来てからのことを思い返していた。
 沢山の指揮者のリハーサルを見学した。なにがすばらしいのだろう、なにが自分と違うのだろう、といつも考えながら。日本で学んだこととあまりにも違う方法で指揮をしているにも関わらず、紡がれる音楽が素晴らしい指揮者もいた。
 指揮のことだけではない。言語に関しても、どうしたらもっとコミュニケーションが取れるのだろうといつも考えていた。ユースホステルで出会ったサウジアラビア人は、私よりもドイツ語も英語もお世辞にも上手とはいえなかったが、友達がたくさんいた。
 その彼らに共通していることは何なのだろうか。導いた答えの一つは皆、自然体だったこと。
 もしかしたら自分ももっと自然体でいてもいいのかもしれない。そんな気持ちを抱えながら指揮台に立ち、振り始めた。割り当てられた曲はメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」序曲。京芸時代に学んだ思い出の曲だった。
 
 その瞬間のことは忘れない。それまで指揮台で感じたことのない程の奏者との共感があった。解き放たれた心地だった。言葉が通じずとも、音楽という共通言語を互いに分かち合うことができたような気がしたのだ。
 その夜セミファイナリストに選ばれたという通知が来た。また明日も指揮ができることが嬉しかった。
 セミファイナルはオペラアリアが課題だった。私の課題曲はグノーのオペラ《ファウスト》より〈この清らかな住まい〉。昨日得た感覚を忘れまいと、楽しんだ。運良くその課題も通過。最終の6人に選ばれた。
 このままファイナルも楽しかったと言いたいが、人生はそう甘くない。決戦前夜、準備をして床についた時、思い出したかのようにとてつもない緊張感がやってきた。世の指揮者たちはこの緊張感を毎日抱えているのか…と思うとその緊張感を味わえている誇らしさとともに、自分の歩む道の険しさを知り震えた。
 ファイナルではベートーヴェンの序曲「コリオラン」とロッシーニのオペラ《セビリアの理髪師》から〈今の歌声は…〉を演奏した。初戦で感じたほどの共感はなかった。
 結果は三位。正直にいうと悔しさもあった。しかし得たものはとてつもなく大きい。なによりヨーロッパに来て約9ヵ月、初めて形としての成果を頂けたことがとても嬉しかった。
 その日の夜、スロボジアからブカレストに帰るバスから見えたルーマニアの広大な地平を照らす月明かりが、眩しかった。
 こうしてヨーロッパに来て初めての戦いは幕を閉じた。

ファイナルで
(c)Festivalul Internațional Ionel Perlea
ソリストと
(c)Festivalul Internațional Ionel Perlea
決勝に残った6人で
(c)Festivalul Internațional Ionel Perlea

演奏後
(c)Festivalul Internațional Ionel Perlea

 1年前、この夏まさかコンクールで受賞することになるなんて思ってもいなかった。10年前の私は31歳の誕生日をヨーロッパで過ごすことになるなど全く想像できなかっただろう。20年前のリトルソウに、将来指揮者として“ぶらあぼ”に寄稿するんだよ、と教えたら目を丸くして喜ぶに違いない! 

 真暗闇にいつ光が差すかはわからない。
 “一寸先は光”だ。
 全てのご縁に感謝しながら、これからもありのままに全力疾走していきたいと思う。


松川創(指揮) So Matsukawa

1992年8月23日東京生まれ。

2023年7月ルーマニアで開催された第7回イオネル・ペルレア国際指揮者コンクールで第3位受賞。
同年9月にハンガリーで開催された第1回フェレンツ・フリッチャイ国際指揮コンクールでは応募総数531名、出場者111名の中から17名に選ばれる。
2020年度公益財団法人山田貞夫音楽財団指揮者オーディションにて山田貞夫音楽財団特選、音楽賞受賞。受賞者演奏会にてセントラル愛知交響楽団を指揮。

幼少の頃より「桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室」にてピアノとソルフェージュを学ぶ。
筑波大学、同大学院を経て、京都市立芸術大学音楽学部指揮専攻を首席で卒業。卒業時に京都市長賞並びに京都音楽協会賞を受賞。
2023年イタリア・シチリア島モディカで開催された#ProfessioneOrchestraにてディプロマを取得。
指揮を増井信貴、下野竜也、小森康弘、鈴木竜哉の各氏に師事。また秋山和慶、尾高忠明、鄭致溶、高関健、広上淳一、佐渡裕、沼尻竜典、サルヴァトーレ・ペルカッチョーロの各氏から特別指導を受ける。
2017年、2019年、2020年、2021年にびわ湖ホールで行われた“沼尻竜典オペラ指揮者セミナー”の受講生に選抜され、大阪交響楽団とびわ湖ホール声楽アンサンブルを指揮。
2021年度公益財団法人 日本製鉄文化財団 若手指揮者育成支援制度指揮研修生として、紀尾井ホール室内管弦楽団、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団の下で研鑽を積む。

現在ベルリン在住。

松川創 オフィシャルウェブサイト
https://so-matsukawa.com/jp/