戸田弥生(ヴァイオリン)

人として、演奏家としての深化を映したバッハ無伴奏

(c)Akira Muto

 日本屈指の実力派ヴァイオリニスト・戸田弥生が、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」全曲を、20年ぶりに再録音した。まず彼女にとってその意味は大きい。

 「前回の録音は、エリザベート王妃国際音楽コンクール優勝後の、演奏家としての方向性を探っていた時期にチャンスをいただき、バッハの音楽から色々教わった感じでした。しかし20年経てば多くのことが変化します。最も大きいのは家族ができたこと。二人の子どもを育てる中で人として変わりましたし、家族の協力あってこそ人間は成り立つのだという、感謝の気持ちも生まれました。ならばそこに音楽面の成熟も加わった今の音を聴いてほしいと思い、一生かけて演奏したい唯一無二の作品で、子育ての間も可能な限り弾いてきたバッハの無伴奏曲を録音しようと。今の時期にそれが実現できて本当によかったと思います」

 やはり「バッハの無伴奏は別格」だという。

 「これが私の最後の録音になってもいいくらい大事な作品。自分の精神性がすべて反映されますし、弾いていると自身の内側に引き戻され、バッハと向かい合うことになります。何しろ音楽自体が300年経っても色褪せないで、生きている。勢いや精神的な揺さぶりを強く感じます。ソナタは特にそう。ヴァイオリンを自分の体の一部と思って弾き切らねばならず、それでいて冷静な構築も必要です。対するパルティータは舞曲の連なりなので、演奏者も愉しめます。いずれにしても弾きながら、凄い響き、凄い作品だと感動し、本物の芸術に携われる喜びに浸っています」

 各曲の多様性も妙味をなしている。

 「ソナタ第1番は、演奏するとパイプオルガンが後ろで鳴っているような気がします。曲集が始まる大きな作品としての別格感や強いエネルギーを感じますね。第2番はもう少し人間的。内面に入っていく感覚があり、和音と和音の間に流れがあります。パルティータ第1番は、とても綺麗な曲。各曲に続くドゥーブルには、前の曲の影や気持ちの襞のような意味があると思います。同じく第2番は、やはりシャコンヌが非常に深く厳しく、神様との対話が全部音に反映されています。でもソナタもパルティータも第3番になると光が射してくる。ソナタの長大なフーガは生きる喜びを湛えています」

 今回の録音には「とても自然な、演奏会に近い状態で臨むことができた」。そして「弾きながら感じたバッハの世界に包まれる幸せが、皆様に伝わればいいなと思う」と話す。さらには楽曲誕生の時期に近い1728年製の名器「グァルネリ・デル・ジェス」の音色も注目点。音楽の脈動感や芳醇な深みに魅せられるこのディスクを、一人でも多くの人に聴いてほしい。
取材・文:柴田克彦
(ぶらあぼ2022年6月号より)

SACD『J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(全曲)』
MYCL-00021(2枚組)
妙音舎 ¥4400(税込)