ぶらあぼONLINE新コーナー:海の向こうの音楽家
テレビなどで海外オケのコンサートを見ていると「あれ、このひと日本人かな?」と思うことがよくありますよね。国内ではあまり名前を知られていなくとも、海外を拠点に活動する音楽家はたくさんいます。勝手が違う異国の地で、生活に不自由を感じることもたくさんあるはず。でもすベては芸術のため。このコーナーでは、そんな海外で暮らし、活動に打ち込む芸術家のリアルをご紹介していきます。
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第8回は、ソロ、室内楽の両分野で広く演奏活動を展開するピアニストの久末航さん。拠点とするベルリンの街の様子や、11月にリリースするデビューアルバムへの想いをたっぷりとレポートしていただきました。11月、12月には日本でリサイタルなども予定されているので、こちらも必聴です!!
文・写真提供:久末 航
ドイツに渡ってから、あっという間に丸8年が経った。地元である滋賀県の高校を卒業してすぐ、恩師ギレアド・ミショリ氏との偶然の再会をきっかけに渡独、緑豊かな南ドイツの街フライブルクの音楽大学に進学した。その間、フライブルクからの交換留学生として、パリ国立高等音楽院で1年間学ぶ機会にも恵まれた。今暮らしているベルリンに移り住んだのはおおよそ4年前である。気づけば、日本を出て以来暮らしている時間の一番長い街となった。現在は、ベルリン芸術大学大学院のピアノ室内楽科に籍を置きつつ、ドイツと日本を拠点に、ソロと室内楽両分野での演奏活動に注力している。今回は、私の暮らすベルリンの街の様子や生活について、少しばかり皆様にご紹介させていただきたい。
ベルリンほどアーティストにとって住みよい都市はない、とよく耳にする。確かに、これは一理あるように思う。クラシックやジャズ、テクノポップなど様々な音楽ジャンルのみならず、アート、写真、演劇、舞踊、文学などあらゆる文化シーンの先駆者たちがひしめき合い、共存している。そして、異なるジャンルの者同士が豊かに交流し、さまざまな形で文化の統合やコラボレーションを実現させている。こうした盛んな文化のバリエーションが可能なのは、ベルリンという街のもつ懐の深さ、はかりしれない寛容さによるところが大きいのではないだろうか。
例えば、ベルリンの国立オペラ座やフィルハーモニーといった、第一級の音楽の殿堂に足を運んでみると、ジーパンに半袖シャツ、サンダルに半ズボンといった出で立ちの人たちが当たり前のようにホールに出入りし、客席に腰を下ろしているのを目にする。また、そうした真夏の軽装でやってくる人々に、白い目を向けるような人ももちろんいない。オペラやバレエも含め、クラシック音楽が決して敷居の高いものではなく、肩の力を抜いて純粋に楽しめるごく身近なものとして存在しているからこその風景だろう。それがバッハの長大な宗教曲であれ、21世紀の複雑な現代作品であれ、純粋な好奇心や興味をもってコンサートにやってくるベルリンの聴衆の耳は、それゆえ非常に肥えている。どんな難解な現代音楽でも、何らかの強いメッセージをもった説得力ある演奏に対しては割れんばかりの拍手と惜しみないブラヴォーを送り、有名どころや耳馴染みのある作品がコンサートで取り上げられても、ひとたび「つまらない」と判断すると、たとえ曲の途中でも席を立ってしまう。
ベルリンの聴衆の示すこの「正直さ」を前にすると、無論、舞台に立つ側の演奏者としてはぐっと気を引き締めさせられる。力任せの勢い余る演奏や、技術的な完璧さ・派手さばかりを追求した演奏が常に良しとはされず、瞬間瞬間に舞台の上でうまれる生の感情やインスピレーションを、いきいきと伝えてくれるような音楽が求められる。ベルリンの聴衆の示す、音楽に対する実直な要求、貪欲な姿勢、そして豊かに育まれてきた耳が、舞台に立つ演奏家たちを育て、その音楽のクオリティーを高めているとも言えるだろう。
コロナの影響で静まり返っていたドイツの音楽シーンも、今年になってようやく息を吹き返しつつある。私は現在、昨年から延期となったもろもろのリサイタルやコンサート、新しい室内楽プロジェクトの準備、そして最近特に大きな役割を占めるようになった、録音や動画配信などのメディア・コンテンツの制作に取り組んでいる。今年4月には、ベルリンにあるベヒシュタインのショールームにて、ベルリンと日本での同時配信ライブを行う機会に恵まれ、嬉しい反響を頂いた。また、11月に予定しているバイエルン州ランツフートのRathausprunksaal(ラートハウス・プルンクザール)でのリサイタルや、2022年3月に予定しているベルリン・フィルハーモニー大ホールでのブラームスのピアノ協奏曲の演奏会は、今から特に心待ちにしている本番だ。
【動画】ベヒシュタイン 日本・ベルリン同時配信ライブ
何よりも、こうした音楽活動に取り組める環境が再び戻りつつあることに心から感謝したい。そして、実際に聴衆の方々を前にして演奏できるということが、いかに当たり前の状況でなく、かけがえのない貴重な体験かということをつくづく痛感している。
今年、自分にとって喜ばしい出来事がもう一つある。11月17日、デビューアルバムとなるCD『ザ・リサイタル』が、アールアンフィニ・レーベルよりリリースされることとなった。収録では、すばらしい音響空間と楽器、そして音への追求に一切の妥協を排して臨んで下さったプロデューサーや調律師の方々の厚いサポートに恵まれ、臨場感をそのままにできるだけ生演奏に近いクオリティーのCDをお届けしたいという切実な願いを叶えていただいた。『ザ・リサイタル』というタイトルをつけたのも、音楽を通じて感情や思いをありのままに吐露できる舞台の上での演奏こそが、最も自分を正直かつ直接に表現できる手段ではないかという思いがあったからだ。
収録曲はリサイタル・プログラムを意識したラインナップとなっている。ピアノ音楽が生み出す彩り豊かな世界を楽しんでいただきたいという思いから、スカルラッティからメシアンに至るまで、様々な時代・国の作曲家の作品をプログラムに取り入れた。中でも、若きメンデルスゾーンの書き上げた、流麗の中に情熱を秘める「幻想曲 Op.28」、そして精緻を極めてベルトランの詩の世界観を表現したラヴェルの傑作「夜のガスパール」は、特に楽しんでいただきたい作品としてプログラムのメインを担っている。
このCDを通して、実際に会場で耳にしているかのような臨場感溢れるピアノの音色、また音楽そのものを包み込んでいる静寂や緊張感までも含めて楽しんでいただければ幸せだ。
コロナの影響によって、周りの音楽家たちの生活も大きな変化を強いられている。しかし、以前は気にならなかったことや意識していなかったことが、コロナ禍を経て初めて見えてくることも多い。今の状況だからこそできることを見つけ、取り組み、来るべき時に備えることがいかに大切かということを日々実感させられている。
再び皆が不安なく一堂に会し、音楽を通してひとつの豊かな時間を共有できる日常が戻ることを強く願うばかりだ。
【直近の公演情報】
■第162回 リクライニング・コンサート 久末 航 ピアノ・リサイタル
2021.11/26(金)15:00 19:30 Hakuju Hall
シューマン:ピアノソナタ第1番、ショパン:舟歌、シマノフスキ:メトープ ほか
■日曜午後のコンサート @ヒルサイドテラス 第39回 久末航:ピアノ
2021.11/28(日)14:00 ヒルサイドバンケット(ヒルサイドテラスC棟)
シューマン:ピアノソナタ第1番、ショパン:ノクターン op.9-3、シマノフスキ:「メトープ」Op.29 より ほか
■ワンコイン・コンサート 久末 航 〜音が舞う!華麗なるピアノの世界
2021.12/1(水)11:30 兵庫県立芸術文化センター
リスト:リゴレットパラフレーズ、、ショパン:舟歌、シマノフスキ:メトープより ほか
■黒川侑さん (Vn)とのデュオコンサート
2021.12/10(金)19:00 ロームシアター京都
曲目未定 *無観客開催、オンラインライブ配信・アーカイブ配信のみを予定
■びわ湖ミュージックフォレスト 玉井菜採・河野文昭・久末 航 ピアノ三重奏
2021.12/11(土)14:00 びわ湖ホール 小ホール
ハイドン:ピアノ三重奏曲第25番ホ短調、ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調、シューベルト:ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調
■びわ湖ミュージックフォレスト2021 File8 室内楽 ピアノ三重奏
2021.12/12(日)14:00 滋賀県立文化産業交流会館
ハイドン:ピアノ三重奏曲第25番ホ短調、ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調、シューベルト:ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調
■スイーツタイム・コンサート 久末 航 ピアノコンサート
2021.12/17(金)13:30 愛知/宗次ホール
シマノフスキ:「メトープ」Op.29より、ショパン:ノクターン Op.9-3、シューマン・ピアノソナタ第1番 ほか
久末 航(ピアノ) Wataru Hisasue
大津市出身。第8回ショパン国際ピアノコンクール in Asia小学5・6年生部門 金賞受賞。第32回ピティナ・ピアノコンペティションJr.G級金賞および讀賣新聞社賞、ソナーレ賞受賞。14歳で京都青山音楽記念館バロックザールにてピアノリサイタルを催し、2009年度青山音楽賞新人賞を受賞。第7回リヨン国際ピアノコンクールで第1位及び聴衆賞、メンデルスゾーン全ドイツ音楽大学コンクールで第1位及び特別賞受賞。2017年秋、第66回ミュンヘン国際音楽コンクールで第3位及び委嘱作品特別賞を受賞し、一躍注目を浴びる。小島燎氏とのデュオで2019年度青山バロックザール賞受賞。
これまでドイツ、フランス、スペイン、オランダ、フィンランド、日本などで国際的に演奏活動を展開。AUDI音楽フェスティバル、ヴュルツブルグ音楽祭、Young Euro Classicフェスティバルはじめ、数々の音楽祭に客演。バイエルン放送交響楽団、ヴュルテンベルク・ロイトリンゲン管弦楽団、京都市交響楽団、日本センチュリー交響楽団他と共演。コンツェルトハウス・ベルリン、紀尾井ホールで開催したソロリサイタルはいずれも高い評価を得た。平成25年度平和堂財団芸術奨励賞音楽部門受賞、同財団海外留学助成者。2018/19年度公益財団法人ロームミュージックファンデーション奨学生。シャネル・ピグマリオン・デイズ 2019アーティスト。2021年アールアンフィニ・レーベルよりCD『ザ・リサイタル』をリリース。
村上久仁子、田隅靖子各氏の指導を受け高校卒業後に渡独。フライブルク音楽大学、パリ国立高等音楽舞踊学校、ベルリン芸術大学にて研鑽を積む。G.ミショリ、E.シュトロッセ、P.ドヴァイヨン、K.ヘルヴィヒ各氏に師事。ベルリン在住。
ウェブサイト:https://www.wataruhisasue.com