二児の母となった人気ソプラノが挑む新しい《夕鶴》
2020年に新作オペラ《紅天女》で大成功し、オペラ界での存在感をさらに高めたソプラノ、小林沙羅。10歳から日本舞踊を習い、かの坂東玉三郎丈との師弟関係も有するキャリアの持ち主だが、その小林が新たに挑むのは、いまや日本語オペラの古典として世界中で上演される《夕鶴》(1952)のヒロイン、つうである。白い雪原、暖かな囲炉裏端、蓑笠つけた男たちと連想してみたが、開口一番、小林が静かに放ったのは「この舞台では、当たり前のことをやらないのです!」という宣言であった。
「長年、つうをやりたいと願っていまして、作曲者の故・團伊玖磨先生とよくご一緒されていたコレペティトゥアの森島英子先生にもレッスンしていただき、指揮台上の團先生が実演でなさっていたことなど、『楽譜の中に書ききれなかった作曲家の思い』をいろいろ教えていただきました。そして今回、熊本県在住の演出家である岡田利規さんとともに、全国共同制作オペラの新演出で《夕鶴》を上演できることになりました。念願かなって本当に嬉しいです。公演は10月末から東京、愛知、熊本と続き、その前に1ヵ月強の立ち稽古を行うのですが、実は先日、ワークショップが開かれまして、演出家と歌手たちで、東京で3日間、熊本で5日間とじっくりミーティングをしたんです。演劇ではよくあるそうですが、オペラで稽古開始前にワークショップを重ね、じっくりと(作品について)話し合うことはこれまでなかったので新鮮でした」
5日間とは、実に贅沢なスケジュールでは?
「その5日間は劇場に通い詰めで、とことん話し合うのみの日々でした。岡田さんからは『自分はこの作品をこういう風に捉えていて、客席には最終的にこれこれこういうことを打ち出したい。そのためにはどうしたらいいと貴女は思うか?』という問いかけがたびたび出されました。オペラ歌手としては、楽譜の世界観を作り上げることがまずは第一と感じていましたが、今回の舞台美術や衣裳デザインが、これまで観たこともないような斬新なもので、そこには『定型を外すなかで新しい視点を持ち、それを通じて作品の本質を抉り出したい』という岡田さんの意欲が強く見てとれたのです。また、そのデザインについて、歌唱面に問題がないかどうかと、岡田さんは私たちの意見も事前に聞いてくださるんです。まさしく、演者を巻き込んで舞台を造る演出家です」
なるほど。率直に意見を交換しながら、みなで新しい舞台を造ろうと必死に動くプロジェクトなのだろう。
「はい。私はいま、《夕鶴》とは現代にも通じる要素を持つオペラであると実感しています。劇中ではお金の存在がクローズアップされますが、確かに、鶴であるつうには、それがどういう意味を持つものなのかまったく分からないですよね。でも、つうが愛する与ひょうも含め、男たちはみな、お金に振り回されます。岡田さんの『《夕鶴》は他人事ではありません。与ひょうはあなただからです!』というキャッチのコメントも、そのことの象徴です」
その愛する男が求めるがゆえに、機(はた)を織り続けたつう。自分の身を削りに削るその姿勢を、小林自身はどう捉えるか。
「実は、数ヵ月前に2人目を出産したばかりでして、産後すぐ、病院のなかをよろよろと歩いていると、他の方たちもみな、よろよろと歩いていまして・・・コロナ禍で誰も見舞いに来られないですから、病棟の廊下は本当に、消耗しきったお母さんたちばかりでした。でも、その光景のなか、『つうも、我が子を産み落とすような気持ちで、身を削って反物を織っていたんだ』とつくづく思いましたね・・・資本主義に何の疑問も持たずに生きていても大丈夫ですかという問いかけ、それがこのオペラの本質ではないかと、私は思っています。ですので、今回のメンバーだからこそできる舞台を、皆で力を合わせて作りあげたいです。團先生の音楽の素晴らしさと、岡田さんの斬新な演出を通じて、皆さまに、『作品の中に飛び込む気持ちで』舞台をご覧いただければ嬉しいです。良さの異なる3つのホールで歌えるのも楽しみです。ご来場をお待ちしています」
取材・文:岸 純信(オペラ研究家)
(ぶらあぼ2021年10月号より)
【Profile】
東京藝術大学及び同大学院修了。2010〜15年ウィーンとローマにて研鑚を積む。12年ブルガリア国立歌劇場《ジャンニ・スキッキ》で欧州デビュー。千住明・黛まどかの《万葉集》、三枝成彰《KAMIKAZE》愛子など、多くの新作オペラ初演を務めたほか、15年野田秀樹演出《フィガロの結婚》スザンナ、17年藤原歌劇団《カルメン》ミカエラ、19年全国共同制作オペラ《ドン・ジョヴァンニ》、20年には《紅天女》タイトルロール役等話題作に続々出演。14年デビューアルバム『花のしらべ』、16年セカンドアルバム『この世でいちばん優しい歌』に続き、19年にはサードアルバムとなる『日本の詩(うた)』をリリース。17年第27回出光音楽賞、19年第20回ホテルオークラ賞受賞。日本声楽アカデミー会員。藤原歌劇団団員。大阪芸術大学准教授。
【Information】
2021年度 全国共同制作オペラ 團 伊玖磨没後20年記念
團 伊玖磨:歌劇《夕鶴》(新演出、全1幕(日本語上演・英語字幕付))
2021.10/30(土)14:00 東京芸術劇場 コンサートホール
2022.1/30(日)14:00 愛知/刈谷市総合文化センター アイリス
9/25(土)発売
2022.2/5(土)14:00 熊本県立劇場 演劇ホール
10/1(金)発売
演出:岡田利規 指揮:辻 博之(東京)、鈴木優人(愛知・熊本)
管弦楽:ザ・オペラ・バンド(東京)、刈谷市総合文化センター管弦楽団(愛知)、九州交響楽団(熊本)
出演
つう:小林沙羅
与ひょう:与儀 巧
運ず:寺田功治
惣ど:三戸大久
ダンス:岡本 優、工藤響子(以上TABATHA)
子供たち:世田谷ジュニア合唱団(東京)、アイリス少年少女合唱団(愛知)、NHK熊本児童合唱団(熊本)
問:東京芸術劇場ボックスオフィス0570-010-296(東京)
刈谷市総合文化センター0566-21-7430(愛知)
熊本県立劇場096-363-2233(熊本)
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