追悼 ミレッラ・フレーニ(1935-2020)

ミラノ・スカラ座日本公演 《ラ・ボエーム》(1981)より
「成功というのは、劇場で喝采を受けるだけではありません。自分の中でバランスを保つことです。私はそれを見つけました! 自分の中に調和があって、自分を愛している。これが最高の成功です。私は歌う時、みなさまにこのことを伝えたいと歌っているのです」

 ミレッラ・フレーニには3度インタビューする機会に恵まれた。いつも穏やかで気取らず柔らかな笑顔で、人生を生きる秘訣をたくさん教えてくれた。これは1993年にボローニャ歌劇場と来日して《アドリアーナ・ルクヴルール》を歌った時の言葉。ニコライ・ギャウロフと2度目の結婚をして、舞台も家庭生活も順調で幸せそうな、58歳の時だった。

「たしかに幸運でしたが、それだけではこのような生活は手に入れられません。私は頭を使い、勉強をしっかりして、人にたくさんのものを捧げてきました。仕事に大きな喜びを感じ、愛をもって続けてきました」

 フレーニは美しく透明な響きの声と、よく鍛錬されコントロールされた歌い方で、イタリア・ベルカントの伝統を身に付けた正統派ソプラノと言われた。《カルメン》のミカエラでデビューし、《ラ・ボエーム》のミミなどのリリコの声質で一世を風靡した。時間をかけて、少しずつ重い声を必要とする役も歌うようになり、カラヤンの指揮で《トスカ》や《蝶々夫人》、《アイーダ》まで歌った。また後年には小澤征爾の指揮で《エフゲニー・オネーギン》《スペードの女王》などロシア・オペラにも挑戦。70歳を超えてもステージに立ち続け、輝かしいキャリアを築きあげた。

 フレーニの最も印象的な役といえば、ミミだろう。1963年には、彼女を高く評価したカラヤンの指揮で、フランコ・ゼフィレッリ演出によるミラノ・スカラ座の舞台に立ち、大成功を収めた。81年スカラ座とともに来日してミミを歌い、88年にはもう一度同じ舞台で来日。2回とも、伝説の指揮者カルロス・クライバーがこの舞台を指揮した。

「スカラ座でのミミの役は、最初はカラヤンの指揮で、次がクライバー。二人とはフィーリングが良く合い、感謝しています。クライバーは毎回、『ここはこうしたら?』と、いろいろ注文なさるので、学ぶことが多かった。でも、役づくりに最も役立ったのは、自分の人生経験でした」

 カラヤンと言えば、64年のスカラ座でのフレーニとの《椿姫》では、天井桟敷の古いカラス・ファンがブーイングを浴びせ、以後スカラ座では30年間にわたり、《椿姫》の上演が封印されることになった。
 そんな彼女だが、顔は陽気なイタリアのマンマのように、包容力がある人だった。モデナ生まれで同い年のパヴァロッティとは、母親同士が同じ工場で働いていたので、同じ乳母に育てられた。「彼とは兄弟みたい。同じおっぱいを飲んで育ったのよ」と笑っていた。

 自分を愛し、バランスを保ち、成功を手に入れたフレーニ。晩年は後進を育てながら故郷で過ごし、2月9日、84歳の生涯を閉じた。
文:石戸谷結子